この記事は2022年8月4日に「テレ東プラス」で公開された「おいしいだけじゃない!知られざる健康戦略の全貌:読んで分かる『カンブリア宮殿』」を一部編集し、転載したものです。
目次
牛乳配達が再人気~8,000億円巨大企業
明治が牛乳配達を始めたのは1928年のこと。1970年代の半ばには約350万軒が利用していた。その後、時代と共に牛乳を取る家庭は激減する。ところがまた増え始め、一時の120万軒から250万軒まで回復した。この牛乳配達で明治がトップシェアだ。
▽牛乳配達で明治がトップシェア
「新規の申し込みが(この地域だけで)月に30~40件あります」(明治牛乳桜台宅配センター・飯田健太)
人気の秘密は宅配専用の商品。市販品とは違うものを配っている。1番人気は機能性ヨーグルトの「R-1」。毎日飲む宅配用はまろやかな味わいに変えている。
また「ミルクで牛乳」は1本で1日分のカルシウムと鉄分が摂れる。こうして明治の牛乳配達は高齢者の健康に一役買っているのだ。
1916年には明治製菓、翌17年には明治乳業の前身が誕生。以後、「栄養報国」という、栄養を提供し、国を豊かにするという創業の精神を受け継いできた。
2009年には明治製菓と明治乳業が統合して明治に。売上高8,260億円、従業員数1万464人の巨大食品メーカーとなった。
▽それぞれのジャンルのトップシェアを誇る
明治の商品といえば、「おいしい牛乳」「ブルガリアヨーグルト」「十勝カマンベール」などがそれぞれのジャンルのトップシェアを誇る。おなじみのロングセラーには人類が月面着陸した1969年に生まれた「アポロチョコレート」や、1962年発売の「アーモンドチョコレート」、ビタミンCの「ハイレモン」、「チェルシー」などがある。
4年前から社長を務める松田克也(64)は、明治の商品が強い理由をこう語る。
「ロングセラー、新しい商品、トップブランド商品をおかげさまでたくさん持っています。でも、ずっと同じかと言われるとそうではなくて、それぞれ変えている。ラッキーで売れることはないです」
乳酸菌で新たな市場~メガヒット「R-1」
明治の強さ1「新しい価値を生む研究力」
鍵を握るのが東京・八王子市にある「明治イノベーションセンター」。約500人の研究スタッフが常駐。技術とアイデアを集結し、これまでにない商品を生み出している。
例えばグミの研究では、機械の中に人工の唾液を入れながら咀嚼運動を繰り返し、人が食べた時と同じ状態を作り出していた。
「人が食品を食べた時に、どのように食感が変化していくかを確認することができます」(研究員・神田玲奈)
これで実際の噛みごたえを数値化。6段階の硬さを選べるようにした。
▽グミの研究、6段階の硬さを選べるようにした
施設の心臓部は「乳酸菌ライブラリー室」。「弊社が保有している約6,000種類の乳酸菌が保管されています」と言うのは、この道一筋30年以上という乳酸菌研究所の木村勝紀だ。1つ1つの菌の特徴を来る日も来る日も調べ続けてきたが、製品化に結びつくのは気の遠くなるような確率だと言う。
「数百に1個という感じだと思います。探し続けていく中で、たまに製品化につながる菌も見つかってくる」(木村)
そうやって見つけたのが胃の中で生き残る力が強いLG21乳酸菌。その菌を生かして2000年に発売、累計82億個を売り上げたのが「LG21」だ。菌の特性を打ち出し、それまでとは違ったヨーグルト市場を作りだした。
LG21に続けと、10年の歳月をかけて探し当てたのが1073R-1。今度は、「免疫力を高める乳酸菌」だ。かくして生まれたのが「R-1」。発売当初は苦戦したが、2012年、インフルエンザが猛威を振るうと予防効果が期待され大ヒット。コロナ禍の今もよく売れていて、LG21を越えるメガヒット商品になった。
石の上にも16年~「苦いチョコ」がブレークするまで
明治の強さ2「石の上にも16年」
創業以来いろいろなチョコレートをヒットさせてきた明治だが、全く新しいタイプのチョコレートが「チョコレート効果」だ。カカオをたくさん使った身体にいいポリフェノールがとれるヘルシーなチョコレートだ。発売は1998年だが、それから16年も売れなかった。カカオが多いと苦くなるからだ。担当した食品開発本部長・宇都宮洋之は言う。
「『こんな苦いのは売れない』と言われました。工場で作られた商品は、普通はチェックする以上におやつとして食べられるのですが、『チョコレート効果』はそこからつらかった。食べる人が極めて少なかったんです」
▽『こんな苦いのは売れない』と言われた『チョコレート効果』
当時、チョコレートは甘いのが当たり前。苦い高カカオチョコレートは見向きもされなかった。何とか振り向いてもらおうと風味やパッケージを何度も変えてみたが、試行錯誤は報われず、ずっと売れなかった。
それでも明治は諦めない。今までよりポリフェノールの量が多いカカオ豆を探し出し、さらにカカオ豆の品種に合わせた発酵方法で苦味が変えられることに気づく。
「品種と発酵。これによりポリフェノールとおいしさを制御できるようになったことが大きいと思います」(宇都宮)
そしてついに食べやすい味の高カカオチョコレートにたどり着く。16年もの低迷期を経て、年間売り上げ200億円を超えるドル箱商品となったのだ。
新しい価値を持った商品を何が何でも浸透させる。それが明治のやり方だ。
「食品は本当に保守的だから、新しい食べ方や概念は、なかなかすぐには無理。我慢していると世の中で認められる。カテゴリーを作っていくことが大切だから、そこに注力しないとメーカーとしてダメだと思います」(松田)
尖った商品でチャレンジ~ガキ大将社長が大逆転
滋賀県の「草津パーキングエリア」。多くの旅行者が行きかうこの施設で大人気のお土産がスナック菓子「カール」だ。中には箱買いする人もいる。
▽大人気のお土産がスナック菓子「カール」
かつては国民的なお菓子だった「カール」。しかし2017年、東日本での販売は終了し、西日本限定販売となった。当時は「カールショック」という言葉も生まれたほど。「草津パーキングエリア」は境目ギリギリの西日本に位置するので、客がこぞって買っていくのだ。
「カール」はかろうじて生き残っているが、明治にはヒット商品の陰で人知れず販売終了となった商品がたくさんある。気軽にシュークリーム気分が味わえる1976年発売の「ポポロン」は2015年販売終了。1921年生まれの超ロングセラー「カルミン」も2015年販売終了。そして1927年発売の「サイコロキャラメル」も2016年に販売終了となった(グループ会社が一部地域で販売中)。
「たぶん消費者の思考がどんどん変わる中でそれについていけなかった。販売終了をやらないと会社は変化していかないし大きく伸びることはできない」(松田)
不採算商品を切り捨てる戦略は当たった。この10年で営業利益は4倍に。儲かる会社に生まれ変わらせたのだ。
そんな明治を率いる松田だが、小さな頃は先生に睨まれていたと言う。 「今の時代には全くいないようなガキ大将。ガキ大将を超えているかな(笑う)」(松田)
1980年に入社すると、社内でも陽の当たっていなかったチーズの営業からスタート。
34歳の時に転機が訪れる。本社勤務となった松田は、それまでなかった「ヨーグルトドレッシング」を企画。これが通り、発売にこぎつけた。だが、当時流行したのは他社のノンオイルドレッシング。松田のドレッシングは全く売れず、1年で販売終了になった。
ある日、専務から呼び出しがかかり、向かった松田は辞表を出す覚悟だった。だが、「何か新しいことをやれと言って、本当にやったのは君一人だ」という言葉をかけられた。
「全然気にすることはない、やったことに価値がある、と。『だから損した分の3倍、これからの明治乳業の人生で返せ』と言ってくれた」(松田)
これ以降、松田はチャレンジを信条とするように。そしてチーズ事業の責任者になると、雪印一強時代に、全く違うタイプのチーズを出した。
「ずっと同じことをやっていても勝てない。だから尖った商品、9人が嫌いでもひとりが『おいしい』と言ってくれればいい、と」(松田)
▽全く違うタイプのチーズ「十勝スマートチーズ」
その商品が「十勝スマートチーズ」。これまでにない濃厚な味に、しっとり感を抑え、ホロホロとした食感に仕上げた。すると社内からは「今までと違い過ぎる」と言う声が上がったという。当時の松田の部下、三井基史も「そもそも私は反対だったんです。ちょっと日本人には遠いんじゃないかなと」と言う。
案の定、2008年に発売すると、「ものすごくお客様から電話がかかってきました。『なぜ変えた?』『なぜこんなにしょっぱい?』と」(三井)。
そんな中、ライバル会社のトップから明治のトップに、スマートチーズを賞賛する電話が入ったのだ。すると社内の風向きも変わる。
「競合会社のトップから『うまい』『今までと違う』『なんでこんなものが出せるんだ』と」言われると、『余計なことをするな』から、みんな『すごいな』という話になった」(松田)
これをきっかけに会社も販売に力を入れるようになり、これまでと違う購買層を取り込むヒット商品となったのだ。
たんぱく質で前代未聞のプロジェクト~各地で生産者支援も
明治のプロテインブランド「ザバス」の発売は1980年。プロテインとは体を作る大事な栄養素たんぱく質のこと。明治はいち早くプロテイン商品を世に出し、大ヒットさせた。今やプロテイン市場のおよそ7割のシェアを持つ。小さな紙パックの「ザバス」で15グラムのタンパク質が摂れる。
▽明治のプロテインブランド「ザバス」の発売は1980年
さらに松田はもっと手軽にたんぱく質が取れないかと考えた。実は現代人はタンパク質不足で、「1日あたりの摂取量が戦後すぐと変わらない」というデータもあるのだ。
そこで2020年、世に送り出したのが「TANPACT」シリーズ。「チーズビスケットミルクチョコレート」や「牛乳でつくるコーンスープ」などの各種スープ、冷凍の「チーズグラタン」などバラエティに富んだ食品、計32品目にたんぱく質をプラスしたのだ。
▽2020年、世に送り出したのが「TANPACT」シリーズ
前代未聞の展開も行った。スーパーで売り場を見てみると、「TANPACT」のサラダチキンやソーセージが並んでいたが、これらは明治ではなく伊藤ハムの商品だ。他にもマルハニチロなどが「TANPACT」ブランドの商品を出している。
「お店に入った時、どの売り場にもTANPACTがある。より手軽にたんぱく質の量を増やせるムーブメントができたらいいなと思っています」(伊藤ハム・伊藤功一社長)
松田が他の食品メーカーも仲間に引き入れたのだ。
「明治だけではできないので、カテゴリーの違うメーカーさんに『どうですか』と言ったら、皆さんからご賛同いただいてこれができました」(松田)
また、明治は酪農家の支援も行っている。
北海道・根室市の「北翔農場」。ここでは明治が牛の食べた量に基づき飼料の配合法を提案している、「MDA(メイジデイリーアドバイザリー)」として、全国42カ所の酪農家に生乳の生産量アップや品質を改善するアドバイスをしているのだ。
▽明治は酪農家の支援も行っている
「今日も元気に餌を食べてたくさん乳を出してくれています」(「北翔農場」・佐藤亮輔さん)
一方、松田が向かったのは東京・渋谷区のベトナム大使館だ。今、明治が打ち出しているのが「ひらけ、カカオ」。チョコレートを作る際、これまでは捨てていた果肉や殻、皮まで使おうというプロジェクトだ。例えば皮からはタンブラーやコースターができる。
「無駄なく使い切ることはカカオの価値を高め、農家の人たちの所得アップにもつながると思います」と、ベトナム大使も歓迎している。
~村上龍の編集後記~
万人受けするものを明治のブランドと営業力でたくさん売ろうという発想は間違い、松田さんは考えている。誰もが知りながら希少性を持つような尖った商品開発を目指す。まるでトヨタがフェラーリを作るようだ。
「代謝異常症用特殊ミルク」。30以上の症状に対応できる22種類の商品を作る。企業は社会に貢献できなければ存在する意味がない。松田さんはやんちゃだった。単にやんちゃなのではない、彼を社長にした上層部にも同じ遺伝子がある。信念は揺るがないという遺伝子だ。