本記事は、志水浩氏の著書『やさしくて強い社長になるための教科書』(あさ出版)の中から一部を抜粋・編集しています
環境変化の激しい時代に求められる「反実仮想」
もし〇〇になれば××する
NHKの大河ドラマに何度も取り上げられている西郷隆盛や大久保利通を輩出し、幕末、明治維新をリードした薩摩藩。日本の西南端にある辺境の藩であるにもかかわらず、なぜ維新を為し得たのでしょうか?
琉球王国(沖縄県)を窓口とした中国との貿易、奄美大島で栽培された砂糖の専売などによる財力。西郷隆盛の師であり、主君であった島津斉彬による科学技術振興、洋式軍備整備。そして、薩摩隼人と称される、勇猛果敢な藩士たちの存在。
こうした力が薩摩を幕末の主役に押し立てたと一般的に語られます。
私はこれらのことに加えて、反実仮想の習慣・力も大きな影響を及ぼしたのではないかと思います。
反実仮想とはシンプルにいえば、「現実には起きてはいないが、将来もし起きればどう対処するのか?」を考えることを指します。
薩摩藩では、「郷中」という自治教育組織が地域ごとにありました。そこでは、大人になる前の若者が師となって、目下の子どもたちを教育していました。その教育のなかで、この反実仮想が日々、問答されていたそうです。
「お殿様に命じられたことが早馬を使ってでもなし得ない時、どうするか?」
「もしも自分たちの町で流行り病が蔓延した時は、どうすればよいか?」
「味方から援護を求められて出向こうとした時に、崖崩れが起きて唯一の峠道がふさがれたらどうするか?」
といった設問を、師である先輩が出します。そして、目下の子どもたちが考え、答えるという思考訓練をひたすら続けたようです。
薩摩の武士たちは幼少期から何千回とこうした問答を繰り返した結果、未来に起こり得るさまざまな想定を行い、対応シナリオを考える習慣が培われていきます。その結果、幕末の変動に対して、他者に先んじて手立てを講じることができました。この習慣が明治維新をリードすることができた本質的な要因であると思います。
日本一になる子どものカバンにも経営ヒントがあった!
学生陸上競技の指導者で、これまで何人もの選手を日本一に導いてこられた方から聞いた話です。
ご縁があり、学校に訪問して学生たちの練習を見学させていただいた折、このような話をうかがいました。一言でいえば、
「日本一になる子は、試合に赴く時のカバンがでかい」
ということでした。
どういうことかというと、強い子・強くなる子は試合に出かける準備をする際、
・試合会場は山の麓である。急に冷え込むことも考えられる。暖かい季節ではあるが念のために上着を持っていこう。
・また、昼から雨が急に降りだすことも考えられる。カッパも持っていくことにしよう。
・雨が降り、グラウンド・コンディションが悪い場合は、試合前に靴が濡れて重くなる。靴をもう1足持参して、直前に乾いた靴に替えて試合に臨もう。
といったような想定を行い、対応法を考えるので荷物が多くなるとのことでした。
こうした思考により、他の子たちからみれば想定外のことが起きても、本人には想定内の出来事であることが多く、慌てずシナリオどおりの対応を行い、平常心をもって試合に臨んでいくことができます。結果、高いパフォーマンスを発揮することとなるのです。
おわかりのとおり、薩摩武士と同じく反実仮想をしている子が秀でた結果を出すことが述べられています。
コロナ禍で政府の対応が後手にまわり、遅きに失することが多いとの批判がよく出ました。その理由の1つは、この反実仮想が十分になされていなかったためでしょう。
ただ、これは当然、他人事ではありません。環境変化が激しくなる時代です。われわれ企業組織においても、社員一人ひとりが反実仮想を行い、一言でいえば想定力を磨き、組織全体の未来に備えるマインドセットを進化させていくことが求められます。
シナリオプランニング手法の活用
反実仮想をビジネス分野で検討する手法に、シナリオプランニングがあります。
要約すると、「中長期的な環境変化を多角的に分析・検討し、さまざまな想定(反実仮想)を基にして事業運営を進める、変化の激しい時代のマネジメント手法」となります。
このシナリオプランニングは、第2次世界大戦中のアメリカ軍の研究に端を発しています。その後、ビジネスへの応用研究が進み、エネルギーメジャーのロイヤル・ダッチ・シェルにより、一躍その存在が世に知られることになります。
具体的には、1973年に石油輸出機構(OPEC)がアメリカなどの非友好国への石油輸出禁止、他国への大幅な価格引き上げに踏み切り、3カ月で原油価格が4倍となるオイルショックが起きます。多くの企業において想定外の事態でした。
しかし、ロイヤル・ダッチ・シェルはシナリオプランニングによって、この事態を想定していたのです。結果、競合他社に先駆けて危機を乗り切ることができました。
現在、有名な企業ではフォルクスワーゲンやユニ・チャームが活用しているといわれています。
では、シナリオプランニングの手法説明に入りましょう。
まずはじめに、5年、10年先の自社を取り巻く環境変化予測を、大きく2つの視点で言語化します。
1つが、多くの企業が同じように影響を受けるマクロ環境変化予測です。具体的には、STEEP分析といわれる5つの切り口などで環境変化予測を行います。
人口やインフラ動向など社会(Society)状況の変化、DX関連、ロボティックスなどの技術(Technology)変化、そして経済(Economics)状況変化、気候変動・資源問題などの環境(Environment)面の変化、最後に政治(Politics)における変化。
もう1つは、自社を中心とした業界におけるミクロ環境変化予測です。
川上の仕入先・協力会社の今後の動向、川下の顧客、及び〝顧客の顧客〞動向、直接的に争っている競合企業の予想される変化、そして異業種からの参入可能性、代替製品の登場可能性などを検討します。
マクロ・ミクロ、さまざまな切り口で数年後に予想される環境変化を検討し、ポストイットカード(付箋紙)1枚に1つの環境変化要素を書き出します。
書き出したポストイットカードは、図示しているマトリックス(不確実性マトリックス)の4象限のなかに貼りつけていきます(図表1)。
縦軸に環境変化の「影響度」。上に行けば行くほど自社にとって良くも悪くもインパクトが大きい。下に行けば行くほどインパクトは小さい。
横軸は環境変化の「不確実度」。左になればなるほど、その変化が記載されている通りに起きる可能性が高い。逆に右に配置されるほど、起きないことも含めて記載されていることがどんな変化を起こすか読みづらい。
一般的な企業で考えると、左側に配置されるのは人口予測などになるでしょう。強力な移民政策や致死率の高いパンデミック、大規模な天災などがない限り、国の予測に近い形となります。右側では、顧客や競合などの他社動向、異業種参入などが配置されるでしょう。
「ベースシナリオ」と「不確実シナリオ」
「不確実性マトリックス」4象限の左上のA領域(影響度大:不確実度低)をベースシナリオといいます。次に、このベースシナリオの環境変化が生じれば、将来「具体的にどんな世界となるのか?」「どのような事業機会や脅威が起きるのか?」「事業機会でもあるが、場合によっては脅威となり得ることは、どのようなことが考えられるか?」をサンプル図のように検討します(図表2)。
中期経営計画や長期ビジョン構想を策定する際、通常はこのベースシナリオに記載されている環境変化を基に戦略・方針を練っていきます。ただシナリオプランニングにおいては、将来に向けた政策を検討する上で、これだけでは不十分であると考えます。
「不確実性マトリックス」4象限の右上B領域(影響度大:不確実度高)を不確実シナリオといいます。このなかで重要な変化要素をピックアップして、さまざまな変化の可能性を探っていきます。
この分析はいろいろな方法があり、一般的にはシナリオ・マトリックスといわれるものを作成することが主流ですが、今回はシンプルで検討・実践しやすい形式のもので説明します。
4象限の右上である不確実シナリオ内の環境変化要素のなかから1つピックアップします。この要素は、影響度は高いものの起きないことも含めて現時点でどのような変化が生じていくのか、読みづらいものです。
図表3のように、環境変化要素に対して、考えられる変化の可能性を検討します。
そして、変化の可能性ごとに、その変化が生じれば「どのような事業機会や脅威が起きるのか?」「事業機会でもあるが場合によっては脅威となり得ることは、どのようなことが考えられるか?」をベースシナリオ同様に検討します(サンプル図では、【変化の可能性3】に関する事業機会、事業機会&脅威、事業脅威のみ記載しています。【実際は変化の可能性1、2】についても同様の検討を行います)。
このサンプル図のような形で、不確実シナリオ内のその他の重要な環境変化要素を複数ピックアップして、同様の形式で検討します。
ベースシナリオ、不確実シナリオから導き出した、さまざまな「事業機会」「事業脅威」「事業機会&脅威」を列挙して、2つの切り口で課題検討を行います。
1つが着手課題。重要性やリスク度を考慮して早期に着手すべき課題です。2つ目がペンディング(様子見)課題。重要ではあるが緊急性は比較して低いゆえに、半年後に検証し、その時の状況で課題解決に注力するかどうかを検討する。もしくは、ある指標を超えれば課題解決に取り組んでいく課題です(図表4)。
そして、まず着手課題について掘り下げて検討を加え、社員を巻き込みながら計画的に推進をしていきます。
ここまで1人で検討することを前提に述べてきましたが、幹部・管理者、場合によっては一般社員を巻き込んで実施・検討していきます。
ビルの例えで社長と社員の視座の高低差からくる未来に対する危機感の違いを述べました。このシナリオプランニング手法を用いて社員に未来検討を促すことが、視座のギャップを埋めることにつながります。
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