本記事は、鹿子木 健氏の著書『投資で失敗する人 成功する人 ―― あなたの人生を貧しくする投資のウラ側』(自由国民社)の中から一部を抜粋・編集しています
リスクの意味は「危険」と「不確実性」の二面
「ゼロリスク」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?
♦リスクの意味(1)「危険」
ゼロリスクとは言葉の通り、「リスク(危険)が少しでも存在することはけしからん、だからリスクがゼロになるまで何も始めない。リスクをゼロにするためには何でもする。」──そんな考え方です。
仮にリスクが本当にゼロになるのなら、一定の努力をしてリスクゼロを目指すのはよいことかもしれません。しかし、リスクをゼロにする対価が大きすぎる場合、リスクゼロの追求は妥協して、リスクは「可能な限り下げる」方針にするのが良策です。
たとえば、交通事故による死亡リスクをゼロにするためには、車両が公道を走ることを禁止する以外にありません。しかし、それをしてしまっては人流と物流に致命的影響をきたしてしまい、経済が回らなくなります。
「車両を走らせている限りは、交通事故による死者が絶対にゼロにはならない」とわかっていても、車両を締め出すことはしません。国の方針として(交通事故で亡くなる人には気の毒ですが、大変不運であったと諦めてもらい)、死者が出ることを許容しているのです。
ゼロリスクを追求することは決して最良ではないと、ロジックで理解しているから日本国民はこれを受け入れています。日本だけではなく、世界中で同じ考え方が成り立っています。
しかし、人の命はどうでもいい、というのではなく、「なるべく死者が減るように」「なるべく事故が軽くなるように」「仮に死者が出ても家族が困らないように」さまざまな対策を施します。
それが道路交通法の整備や交通取り締まりだったり、車両の安全性能の向上だったり、交通安全・道徳・倫理の教育だったり、自動車保険だったりします。
リスクをゼロにはできないが、リスクを可能な限り最小限に抑えつつ、人流や物流による恩恵を最大化して、社会を豊かにしようという考え方を共有しているわけです。
これが「危険」としてのリスクの、一般的な「リスク&リターン」の考え方です。
しかしこのリスク&リターンは、日本では明文化されないことが多いです。なぜなら、リスクを許容するということは、「犠牲者が出るのはやむを得ない」という判断を下すこと(つまりは決断)を伴うものであり、誰かがその責任を負う必要があるからです。
仮に「死者が出ることはしかたのないことです。」と政治家が言ったならば、「けしからん!何を言っているんだ!」となり、失言で更迭されるでしょう。
日本では、たとえ皆がそう思っていても、そういうことは決して口に出してはならないのです。実際、最近のコロナ禍で問題になったのは、このリスクとリターンの考え方についてでした。
また、電力不足が指摘される中、東日本大震災以来わずかしか稼働していない原子力発電所についても、停止のままか再稼働か、といった議論がなされています。
リスクをゼロにすることを求めるのか、それともそれは諦めるのか。リスクを許容するならば、どこまでのリスクを許容するのか。
国民を守るために最も重要なことは、そういった方針をまず決めることです。
しかし、その意思決定がなされないまま(あるいはなされたのかもしれませんが、それを表に出さないまま)、リスクをゼロにするための対策と、ゼロリスクを追求することで犠牲になる事柄を公平に天秤にかけず、そういった議論に蓋をしたまま、一連の対策が進んでいきました。リスク&リターンの考え方が欠如していたからです。
このように本来は投資以外でも常にリスク&リターンはものごとの決断の基本ですが、今回はそこまで踏み込みません。
♦リスクの意味(2)「不確実性」
投資の世界の「リスク」には、「不確実性」という意味があります。不確実性とは、起こることの予想のしにくさで、この場合はリターン(投資収益)のブレの大小を指します。
金融商品のリスクとリターンは表裏一体です。つまり、リターンが高いということは、リスク(不確実性)も高く予想がしにくい、すなわちハイリスク・ハイリターン(大きく儲かるかもしれないが、大きく損を出すかもしれない)だということです。
ですから、投資をする際にゼロリスクはあり得ない。そしてゼロリスクを求めてはいけない。ゼロリスクやローリスクでハイリターンというのはあり得ず、これを喧伝する金融商品があれば、それは詐欺商品です。これを肝に銘じる必要があります。
しかし金融商品取引法という投資商品を規制する法令で想定されているリスクとは、(2)の「不確実性」としてのリスクではなく①の「危険」としてのリスクが土台となっているように思われます。
金融商品取引法では投資家保護の観点から、基本的に、取引による元本の一部または全部を失うことをリスクと定義しているふしがあり、それが金融商品についての説明の際表記することが義務づけられている「リスク表記」に表れています。
元本が保証されていればリスクはゼロ、つまり安心、安全と解釈される立てつけになっています。元本割れがあるか元本割れがないかという基準は、日本の金融当局にとっては絶対的に重要なものです。
だから各金融機関は、日本国債については「これは元本割れのない(元本保証の)安心、安全な金融商品(投資)です。」と説明することが可能となっています。日本政府が利息と元本の支払いを保証しているからだとされています。
図表6は財務省HPの個人向け国債の説明ページの一部ですが、「元本割れなし」と元本保証をうたっています。
「国が発行だから安心」との言葉を使っています。金融商品の説明で「安心」と言うのはよほどのことです。
しかし実際にはリスクがゼロはあり得ません。元本保証だとしても利回り以上にインフレが進行すれば、元本は額面金額では保証されますが、実質的には目減りします。ですから危険としてのリスクにとどまらず、不確実性としてのリスクも存在するのです。
さらに大事なことはリターンです。投資はリスクの見返りにリターンを得ることが目的だからです。
日本国債は元本が保全されるというゼロリスクを求めた結果、リターンは微々たるものとなっています。
たとえば募集期間2022年8月5日~31日の個人向け国債の適用利率(年率)は、固定5年と固定3年が0.05%(税引き前)、変動10年の初回利子適用利率(年率)が0.11%(税引き前)です。
固定5年で0.05%、つまり1億円投資しても年間5万円しかリターンがなく、さらにここから20.315%の税金が差し引かれます。これではとてもインフレには勝てません。表面的なリターンはプラスかもしれませんが、実質大幅マイナスです。
そして次のことが説明されることなく、隠されています。日本国債は金融商品としての性質上、元本保証がなされるが、「その元本保証自体は保証されない」ということです。
元本保証自体は保証されない? どういうことでしょうか?
元本保証の約束はありますが、その約束は、約束が履行できた場合に限り有効なのであって、約束が履行できない場合は保証できないということです。
つまり約束はしているが、約束したことが履行できる保証はないということです。ですから、ある大手信託銀行のHPでは、金融商品についてのリスク表記欄に図表7のように表記されています。
元本保証の保証はない、と断言しています。財務省の説明とは、ある意味矛盾しています。しかしこれが同行の「良心」なのかもしれません。
他の多くの銀行は、国が保証しているからリスクはないとの立場なのでしょう。仮に支払不能の状況が生じたとしても、金融商品取引法違反ではありませんから(国、財務省、金融庁の意向に反していないため)、これらの銀行が処罰を受けることはありません。
日本国債の最大リスクは元本を失うこと、最大リターンは固定5年で税引き前0.05%(インフレを考慮すれば大幅マイナスの可能性)ということです。
あまりよい条件での試算ではありませんが、リスクもマイナス、リターンもマイナス、どっちに転んでもマイナスという、投資の価値があるのかどうかきわめて疑わしい金融商品ということになってしまいます。
投資家は、リスクとリターンを天秤にかけて、投資をするかどうかを決めます。リスクをできるだけ減らすことを考えますが、ゼロにしようとは考えません。ゼロリスクを求めれば、リターンもゼロかマイナスになることを理解しているからです。
リスクを可能な限りコントロールし、無駄なリスクはとらず、リターンをできるだけ大きくする。これが投資の正常な考え方であり行動です。
また、「リスクがある」と思っていたほうが実際のリスクは減ります。なぜならリスクの存在を意識するので心構えができ、リスクに対する備えもできるからです。
しかし「リスクはない」と高を括っている人は、実際にそのないはずのリスクが顕在化した場合、壊滅的な打撃を受けてしまいます。「想定外」なのでリスクへの準備がないからです。
投資においてゼロリスクを求めても、何もよいことはないのです。
登録番号は〔投資助言・代理業 近畿財務局長(金商)第409号〕。
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