本記事は、鈴木祐氏の著書『YOUR TIME ユア・タイム』(河出書房新社)の中から一部を抜粋・編集しています。
退屈が脳の感受性をアップレギュレートする
そう考えると、ハーバードの学生たちが、時間の余裕を体験した理由もわかりやすいでしょう。
私たちが美術展で絵画を見る場合は、1作品あたり長くても数分しか使わず、数秒で切り上げてしまうことも珍しくありません。このような鑑賞法では、「なんだかきれいな絵だな」や「よくある作品だな」ぐらいの感想にとどまり、印象的な想起が脳の中に貯蔵されづらいはずです。これが、あとから振り返った際に「たいしたことをしていないのに時間だけが過ぎた……」という感覚につながります。
ところが、ハーバードの授業のように退屈を突き詰めると、ある種の逆転現象が起こります。脳が退屈に慣れたおかげで外部の刺激への閾値が下がり、いつもは見過ごしていただろう細かな情報や、なんの役にも立たないと思われた些細な情報が、心から興味深く感じられ始めるのです。
この現象をたとえるなら、騒音の激しい都会から田舎に移り住んだら、自然音の些細な変化に気づけるようになったようなもの。退屈が脳の感受性をアップレギュレートしたおかげで、小さなデータが「印象的な想起」として蓄積されやすくなったわけです。芥川龍之介の言葉にならえば、「あらゆる日常の瑣事の中に無上の甘露味を感じ」られる状態とも言えるでしょう。
退屈の先に起きる時間感覚の変化について、ジェニファー・ロバーツは「減速は前向きなプロセスだ」とコメントしています。
情報にあふれた現代では、私たちは「どれだけ大量のデータにアクセスするか?」にばかり意識を向けがちで、コンテンツの表面を軽くなでただけに終わることが珍しくありません。配信サイトの作品を倍速で視聴したり、ビジネス書のテクニックだけをつまみ読みしたり、ユーチューブで学習動画をながら見したりと、本人は大量の情報を処理したつもりが、振り返ればなにも身についていないようなケースは誰にでもあるでしょう。この問題をクリアするには、手軽な情報処理をやめて戦略的にスピードを落とし、退屈な時間にあえて身をさらすしかないのです。