本記事は、千本倖生氏の著書『千に一つの奇跡をつかめ!』(サンマーク出版)の中から一部を抜粋・編集しています。
「これはいける」という直感が的中するのはなぜなのか
話は少し精神世界的な色を帯びるかもしれませんが、私は小倉さんが宅急便というすばらしい事業を発想したとき、「これはいける」という直感、あるいは天からのひらめきのようなものを感じたのではないかと思っています。
小倉さんがそういっているわけではありませんが、どうもそんな気がしてならないのです。
というのは、事業や仕事をしていると、ある事柄に関して事前に、「ああ、これはこうなるだろう」という直感のようなものを覚え、実際に事を進めてみると、そのひらめきどおりの結果が手に入る。つまり、直感やひらめきによって事前に見えた図と現実に起こった図が一致することが、けっしてめずらしくないからです。
DDIが携帯電話事業を始めたとき、稲盛さんはその契約料や基本料金、通話料などについて細部まで明確にイメージできていたという話を前にしましたが、そのときの稲盛さんにもきっと、詳細な分析や豊富な経験知とは別のところで、「これはこうなる」というカンのようなものが鋭敏に働いていたに違いありません。
人間には誰しも、物事の成否などについて直感的に確信できる瞬間があるものなのです。
私にもそういう瞬間が何度かありました。たとえばDDIを始めたときも、私には「この事業はきっとうまくいく」という妙な自信がありました。
もちろん、巨人である電電公社を向こうにまわしての戦いですから、相当な苦労をするに違いないが、失敗に終わることもないだろう。そんな確信が最初からあったのです。
そう思える論理的根拠は何もありませんでした。しかし、きっとうまくいくという直感的な確信は十分にあった。「これはいける」とひらめいた瞬間、そのひらめきのなかにすでに確信が混じっていた。実にそんな感じです。
その根拠なき自信に導かれて、私はその後の事業活動に邁進していったように思います。
直感やひらめきについては、いろいろな意見があります。単なる偶然で虫の知らせのような非論理的なものにすぎないという人もいれば、知識や経験の蓄積のなかから瞬間的にすくいとられる英知の断片のようなものではないかという人もいる。
あるいは、それはまさに天からの啓示=天啓であり、だからこそ直感というのは物事の本質に最短距離、最短時間で到達できるのだという人もいます。
エジソンにいわせれば、天才とは「1%のインスピレーション(ひらめき)と99%のパースピレーション(発汗、努力)」となります。これも妥当な考えかもしれません。
いずれにせよ、人間の限りある思考範囲のなかでは、その正体はあいまいで、もう1つあきらかにはなりませんが、では、それはどこからやってくるのでしょうか。私たちに直感やひらめきをもたらすものは何なのか。
個人的には、それは人間の「よい心、よい行い」に反応して、天が送ってくれるシグナルのようなものだと考えています。
たとえば、世のため、人のためにという利他の心、社会貢献のために大きな目標を果たそうとする高い志。そうしたよい心や正しい行いのありように「大きな意思」が反応して、私たちに進むべき方向や問題の解決策などをちらりと
それが直感であり、ひらめきであるのではないかと思うのです。
つまり、天の意思や意向が「啓示」のかたちをとって人間の頭の中に現れたものですから、その直感やひらめきをもたらす主体は天や宇宙であり、それを媒介するのが私たち人間の心や行為ということになります。
自分のことはあとまわしにして周囲の人をやさしく思いやる。困っている人たちのためによかれと思いながらボランティア活動に励む。利用者にさらなる便利や満足を与えようと一生懸命働く。もっと世の中の役に立ち、もっと多くの人が喜んでくれるように仕事や事業に精を出す……。
こんなよい心、よい行いは天の意思に沿ったものですから、そこに物事の成就や問題解決のためのヒントとなるすぐれた直感、深いひらめきがもたらされる。
それゆえに、それに素直に従ってアクションを起こせば、それは天の加護やサポートを受けて、途中に困難や失敗はあっても最後には必ずうまくいくのです。
直感やひらめきを媒介にして、天の意思に沿ったものはうまくいくし、沿わないものはうまくいかない。こういう単純な成功と失敗の公式が成り立つわけですが、それは単純なだけに、成功の摂理としてはきわめて力強いものとなるのです。