本記事は、千本倖生氏の著書『千に一つの奇跡をつかめ!』(サンマーク出版)の中から一部を抜粋・編集しています。
利他的思考は稲盛哲学の中核となる思想ですが、世のため、人のためになることをやっていれば、その善なる心に天が味方してくれて、必ず物事はうまくいく。この利他思想をビジネスの世界であれほど徹底して貫いた経営者は、稲盛さんより他におられないでしょう。
稲盛さんは、その利他の思いに裏づけられた不動の信念をつねに内心に据えており、そのことが稲盛和夫という人間の骨格を形づくってもいました。
物事の判断はいつも損得ではなく「善悪」を基準にして下す ―― このことを確固たる経営信念として、あれほど内面に確立していた人はほかに見当たりません。
そのことは、第二電電の設立を提案した私にイエスの答えを返すまでに、稲盛さんが次のような自問自答を何度もくり返したという有名なエピソードでもあきらかでしょう。
「私の動機は一点の曇りもない純粋なものか。自分を大きく見せたい、社会から賞賛されたいという私心がありはしないか。その動機善なりや、私心なかりしか――」
DDIが成長していた時期、私たち社員が市外電話サービスの代理店づくりに苦労していたときにも、
「ゼロからのスタートで苦労が絶えないだろうが、きみたちがやっている仕事は何より国民のためになることだ。その世のため、人のためという精神をいつも忘れず、情熱をもってとことん仕事に取り組んでほしい」そんなメッセージを事あるごとに発して、私たちを叱咤激励してくれました。
自分たちの思いや意思のベクトルが向こう、つまり自分ではなく社会や国民のほうへ向いていれば、それは私欲を離れた、よい心にもとづいたものであるがゆえに必ず成就する。
家族のため、人びとのため、社会のため、日本のため、世界のためという願いや祈りは、それが私心なき善の思いから発せられたものであるため、必ず天が聞き届けてくれる。
そんなふうに稲盛さんのなかには、「利他の心」がほとんど生来の性格のように、しっかりと根づいていたものと思われます。
いま振り返っても、その稲盛流の利他思想が経営の根幹に据えられていなければ、DDIはあれほど飛躍的な成功をとげることはできなかったでしょう。
私たちは何かを願うとき、こうなりたい、こうでありたい、こうあってほしいという思いのベクトルを自分自身に向けることが多い。しかし、私よりもあなたのため、彼や彼女のため、人びとのためという具合に、思いのベクトルが自分から自分の外側に向かっていく願いもあります。それがすなわち利他の心であり、より多く、より大きくかなえられるのは、おそらく後者のほうでしょう。
自分たちのためだけに損得のソロバンを弾く私利私欲の混じった願いは「濁った願望」であり、そういう願いは一時的にはかなうことがあっても、長い目で見れば、先細りに消滅していく運命にあるでしょう。
他方、それが利他の思いや公益性を含んだ願いやビジネスであれば、いっときは苦境に立っても、必ず成就や成功へ向かう経路をたどり出すものであり、DDIの事業もそのとおりの過程を経ていったのです。
かつてのホンダ、パナソニック、ダイエー(むろん京セラも)といった、戦後経済を主導した企業には、水道哲学や流通革命など独特の経営理念がありました。
その根底には「人びとの暮らしをより豊かなものにしたい」という、経営者をはじめそこで働く人びとの強く熱い思い入れがあった。
その思いが凝集して、一種の商業道徳や経営理念を形成し、それぞれの企業活動の骨格をなしていたように思うのです。
高い利益を出して株主に還元することを企業活動の大目的とする、昨今の事業のありようと単純に比較することはできませんが、成長や成功は「正しい思い」を動機に力を尽くした結果として生まれてくる。そのことは時代を超えて変わらない真理だと思います。
思いのベクトルが外へ向かって「人に尽くそう」としたときに、クオンタムリープ(飛躍的成長)の恩寵もまた、私たちにもたらされるのです。