本記事は、千本倖生氏の著書『千に一つの奇跡をつかめ!』(サンマーク出版)の中から一部を抜粋・編集しています。
豊かな時代なのに、なぜ幸福を感じられないのか
いまあなたは、この時代をどのような思いで生き、日々をどんな気持ちで過ごしているでしょうか。
現代は表立っては何不自由ない、豊かで幸せな時代のように思われます。
もちろん、生活していくなかで、不自由さを感じたり不満や不安を抱く場面も多々あるでしょう。
けれども、日本が戦後の貧しさから
しかし、物や環境が豊かになったぶん、私たちは心から幸福になったといえるでしょうか。真の意味での〝豊かさ〟を手に入れているでしょうか。
仕事や社会活動を通じて社会としっかり対峙しているという手応え、あるいは本当の自分を生きているという実感はあるでしょうか。
もしこの問いに対してどこかモヤモヤした思いを抱いているとしたら、これから語ることは、あなたにとって何らかのヒントになるかもしれません。
なぜなら、私もまた、かつてそうしたモヤモヤした思いを抱えて生きていた1人だったからです。
京都大学で電子工学を学んだ私が就職先に選んだのは日本電信電話公社、いわゆる電電公社(現・NTT)でした。
当時の電電公社といえば日本の通信業界を独占しているマンモス企業。30万人を超える社員・職員を擁し、就職してしまえば一生安泰だといわれたものです。
仕事もそれなりにおもしろく、充実した日々を送っていましたが、入社して半年くらいするとどこかもの足りない気持ちも出てきて、「このままでいいのか」という迷いと戸惑いが生じてきました。
そんな私の背中を押してくれたのは、アメリカ留学でした。有名なフルブライト基金の交換留学の試験を受けてみたところ合格し、就職してわずか半年でアメリカに渡ることになったのです。
留学先のアメリカで感じたチャレンジ精神、フロンティア(開拓)マインドは、当時私が勤めていた大企業の土壌にはないものでした。
それから十数年ののち、京セラの創業者である稲盛和夫さんとの出会いを機に、私はライバルとなる新会社設立に参画、電電公社を飛び出し、新しい世界に飛び立っていくことになります。
その新会社こそ、創業当時は第二電電と呼ばれ、のちにDDIから現在のKDDIへと大きく成長、発展していった通信会社です。
誰の人生にも飛躍のチャンスは3度ある
どんな人の人生にも、少なくとも3回の大きなチャンスがあると私は考えています。
もちろん就職や結婚、転職といった人生の転機というものもあるでしょうが、そうした通過儀礼的な節目とはべつに、大きな変化や飛躍につながる決断や行動の機会というものが誰の人生にも3度は訪れる。そう考えているのです。
私自身もこれまでの人生において、自分を大きな成長に導く方向に
稲盛さんとともにDDIを創業し、それをNTTのライバル会社にまで育てた経験は間違いなく、私にとっての大きな人生の転機でした。
それから12年後、私はDDIを離れ、しばし大学で
当時、アメリカで勃興したインターネットという超ド級といっていい革命的なイノベーションの登場と普及を目の当たりにして、私のなかにしばらく眠っていたアントレプレナーの血が騒ぎ出したのです。
イー・アクセスの創業もまた、私にとっては人生を大きく変える出来事でした。こうして立ち上げたイー・アクセスは携帯電話の普及とともに、モバイル会社であるイー・モバイルの設立へとつながり、2013年にその会社を孫正義さん率いるソフトバンクに売却するまで、私はインターネット、携帯電話という業界に身を置くことになったのです。
イー・アクセスの売却後、私は生き馬の目を抜くビジネスの世界を離れ、しばしおだやかな時間を過ごすことができました。しかし、やがてまた私のなかでふつふつと「起業家」の血が騒ぎ出します。
私にもたらされた新たなテーマは「地球環境」、そして再生可能エネルギーでした。
かつて大学で教鞭を執っていたときに、教え子の1人が提案した「再生可能エネルギー事業」に私がビジネスモデルをアドバイスして、ベンチャー企業を起こしたことがありました。
あるとき、その会社の取締役が再生可能エネルギーの普及に意欲を燃やす若い起業家を紹介してくれました。
彼の事業に賭ける強い思いや情熱に感銘を受けた私は、彼の立ち上げた電力事業会社レノバに経営陣の1人として加わることにしたのです。
最初は社外取締役での参加でしたが、その後、会長の職を引き受けて、本格的に経営に関わることになりました。
地球と地域のために再生可能エネルギーを日本に根づかせるべく、奔走することになったのです。
「千に一つの奇跡」をつかみ、命を輝かせる
いま、こうして自分の人生を振り返り、歩んできた道をたどってみると、それはまさに奇跡の連続だったように思います。
第二電電の立ち上げに参画したときは、時代は規制緩和という大きな流れのなかで、電電公社の1社独占だった通信業界に風穴があき、民間企業の参入が可能になった時期でした。
まさに、そのような「百年に一度」の大きな風が吹いたときに、私は当の独占企業である電電公社に勤めながら、民間のライバル会社ができないと通信業界の未来はないという危機感をもっていた。
あとから考えれば、大きな時代の転換期にその渦中にいられたことは、まさに奇跡というべきことでした。
イー・アクセスを立ち上げたときも、アメリカではインターネットの普及が急速に進み、常時接続で料金も安いサービスを提供する会社が次々と現れるなか、日本ではまだダイヤルアップといって電話回線を使ってインターネットを接続する状態。料金が高止まりして、自由にいくらでもインターネットを接続できるしくみはありませんでした。
なんとか日本のインターネット環境を世界レベルに追いつくぐらいに高めたい ―― ここでもまさに、時代の大きな風が吹き、これまで通信業界に深く関わってきた自分の「ベンチャー魂」がむくむくと頭をもたげたのです。
そんな大きな変革の時代に居合わせたのも奇跡なら、そこにぽっかりと空いた穴を埋めるように、自分の経験や実績、興味関心と問題意識がぴったり合致したのも、奇跡です。
しかし、何もそれは私の人生だけに起こったことではありません。どんな人の人生にもかたちは違えど、その人にふさわしい「千に一つの奇跡」が訪れる瞬間があるのではないかと思います。
そのチャンスがきたときに、しっかりとつかみとることができるか。そしてその流れのなかに勇気をもって飛び込むことができるか。それがまさに人生の分かれ道で、与えられた命が輝く生き方ができるかどうかが問われてくるのです。