本記事は、千本倖生氏の著書『千に一つの奇跡をつかめ!』(サンマーク出版)の中から一部を抜粋・編集しています。

挑戦,飛躍
(画像=beeboys/stock.adobe.com)

「失敗しない」より「挑戦する」が大事

アメリカではこうなのに、日本はこうだからダメだ。外国に比べて日本は決定的に遅れている ―― こんな外国かぶれの議論の鼻持ちならなさや愚かさはよく承知しているつもりですが、それでもやはり相手にすぐれている点があるなら、それを素直に認めて、見習うべきではないでしょうか。

私はDDI時代から変わらず、アメリカのいくつかのベンチャー企業とは、社外取締役に就くなどして関係を継続しています。コロナ禍以前は、毎月二度か三度くらいはシリコンバレーへ出張して、向こうの知人とあれこれ話を交わしていました。

そこでよく話題に上るのは、新しく始めた会社や事業の話で、


「今度、電池技術関係のベンチャーをスタートアップさせたよ」
「また、つくったのかい。この間のやつはどうした?」
「ああ、あれならもう売った。どうだい? 新しい会社にきみもひと口乗らないか」
「いまはこっちの役員で忙しいから無理だな」
「じゃあ、エンジェルでいいから投資しろよ」

こんな会話がしょっちゅう交わされており、そこには開放的な活力ともいうべき空気が満ちています。

これらは半分お金儲けの話ですが、もう半分は彼らの価値観の発露でもあって、その根底にはやはり、リスクをとって新しいことを始めることにもっとも価値を置くゼロイチ的なアントレプレナーシップが息づいているのです。

社会のなかに新しい一石を投じる行為。それが彼らにもっとも尊ばれ、賞賛されもする。だから、彼らにとって大事なのは「失敗しない」ことではなく、「挑戦する」ことです。

新しいことにチャレンジすれば当然、失敗することもありますが、しかし、彼らは失敗をそれほど気にしないし、周囲もそれでその人の評価を大きく下げるようなことはしません。彼らがもっとも低い評価を下すのは、失敗を恐れて行動を起こさないことであり、「挑戦したが失敗した」ことは、それよりもずっと評価が高いのです。

だから、失敗した人間でも平気な顔をして私たちの前に現れ、「今度はなんとか成功させるよ」と再チャレンジの意思を堂々と表明する。

失敗を恥と考える日本人なら、「もう失敗したくないから何もせず、おとなしくしていよう」となりがちですが、こういう非行動的な安全策に彼らが高い優先順位を与えることはけっしてありません。

また、先にイー・アクセスの創業時、共同経営者エリックの勤務先であるゴールドマン・サックスの上司(日本法人の社長でアメリカ人)に資金調達をお願いした話をしました。実はこのとき同時に、私はエリックを新会社に引き抜きたいという打診もしていたのです。

もちろん、エリックがまだ同社に在職中のことで、彼はその上司の右腕的存在でもありましたから、そのヘッドハントには上司が大いに難色を示すものとばかり思っていました。ところが意外なことに、その答えは実に寛大で気持ちのいいものだったのです。

「それなら大歓迎だよ」

と間髪をいれず答えたかと思うと、さらに続けて、

「ベンチャー企業の共同創業者がウチの会社から出るなんて、すばらしいじゃないか。

センモト、エリックに大きなチャンスを与えてくれて、こっちが感謝したいくらいだよ」

と、まるで自分のことのように喜んでくれたのです。

これには私のほうがびっくりしましたが、こんなところにもチャレンジ意欲に富むベンチャースピリットを何より尊ぶアメリカ人の気質や価値観がよく表れています。

私がもし大企業の経営者で、その安定した大組織に部下を迎え入れたいという話だったとしたら、彼はきっとにべもなく断ってきたに違いありません。

実際、その上司はゴールドマン・サックスの社長でありながら、有名な大企業の幹部と面会することはほとんどなく、会うのは若手の起業家とか新進気鋭のベンチャー企業の社長などが大半でした。

つまり企業の規模や歴史、経営者の年齢などとは関係なく、ただ旺盛なベンチャー精神の持ち主であるかどうか。そのことを基準に面会相手を選んでいるフシがありました。

要するに、彼は名より実をとる、安定よりも挑戦を価値の上位に置くといったタイプの人間なのです。

私が彼と知り合ったのも、私がDDIの事業の屋台骨をなんとか固めようと悪戦苦闘していた頃のことです。

アメリカではそれが当たり前でも、日本の大企業の経営者の間では、彼の評判はもっぱら「変わり者」というものでした。

人にさきがけて挑戦する者、行動する者は最初、世の中からたいてい奇人変人あつかいされるものです。

イーロン・マスク氏が電気自動車を開発したときも、「電池で車を走らせようなんて無理だ。まともな製品がつくれるわけがない」と当初は旧来の自動車メーカーを中心に異端あつかいされました。

私も十年以上前、シリコンバレーに最初に建設されたテスラの工場を見学したことがありますが、シリコンバレーでも土地の値段の高いところに建てられていて、「これで採算がとれるのか」と疑問に思ったものです。

しかし最初は異端だった電気自動車も、いまや脱炭素の動きにも乗って、「電気自動車でなければクルマにあらず」とばかり世界の主流になりつつあります。

こういう大きなゲームチェンジを起こす「破壊的な決断」もむろん、積極的なリスクテイク、果敢な挑戦をいとわないアメリカ流の前向きでパワフルな行動学から生まれてくるものでしょう。

もちろん私は、みなさん全員にイーロン・マスクのような起業家になれ、新しい会社を起こして社会を変えよ、といっているわけではありません。

大切なのは日常的な心がけや考え方で、内向き思考で、当面の安全や安定にこだわり、もっぱら現状維持を図ってばかりいるのでは、自分を大きく変えたり、飛躍的に成長させたりするビッグチャンスを見逃してしまうことになります。

人生を急流逆巻く川だとすれば、溺れずに向こう岸まで渡るのには橋が必要になってきます。多くの人は安全に川を渡れるよう、たくさんの既成の橋のなかからできるだけ大きく、できるだけ頑丈な橋を選ぶのでしょう。かつて就職先に電電公社を選んだ私もそうでした。

しかし本来、人生の橋は自分で築くべきものです。

それがたとえ頼りない丸木橋であっても不安定なり橋であっても、自分独自の橋を自分の力で向こう岸へと架けるために、冷たい水に飛び込んでゼロから行動を起こす。つまり自分の人生は自分の手で切りひらく。

とりわけ若い人には、そうした気概と活力にあふれたチャレンジ精神を忘れてほしくないと思います。

千に一つの奇跡をつかめ!
千本倖生
1942年奈良県生まれ。京都大学工学部電子工学科卒業。日本電信電話公社NTT入社後、フロリダ大学にて修士・博士(Ph.D)の学位を取得。84年に第二電電株式会社(現・KDDI)を稲盛和夫氏らと共同創業し、専務取締役、取締役副社長を歴任する。96年に慶應義塾大学大学院教授に就任、その後カリフォルニア大学バークレー校、カーネギーメロン大学の客員教授などを務める。99年イー・アクセス株式会社を創業、代表取締役社長、代表取締役会長などを歴任。2005年イー・モバイル株式会社(現・ワイモバイル)を設立し、代表取締役会長兼CEOを務める。14年に株式会社レノバ社外取締役に就任、代表取締役会長を経て、20年から取締役会長。

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