本記事は、三橋貴明氏の著書『日本経済 失敗の本質』(小学館)の中から一部を抜粋・編集しています。

疑問
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アメリカが日本ではなく中国についた意外な理由

大日本帝国は間違いなく「帝国」に該当する。元々は「日本国民の国民国家」だったのが、台湾、朝鮮半島を領有し、多民族・多言語の国家となった。無論、大日本帝国は帝国主義丸出しの欧米諸国とは異なり、新たに領土化した地域の住民に教育を与え、インフラを整備していった。最終的には新領土の人々の「日本国民化」を図り、国政選挙権を与えるに至るが、帝国であったことに変わりはない。

さて、大東亜戦争期はもちろん、現代に至っても存続している3つの大帝国だが、ずばりロシア帝国(ソ連、ロシア連邦を含む)、中華帝国(中華民国、中華人民共和国を含む)、そしてアメリカ合衆国になる。

ロシア帝国は、元々はモンゴル帝国(ジョチ・ウルス)の支配下にあったモスクワ大公国が「タタールのくびき」から脱し、旧モンゴル帝国領のほとんどを領有するまでに拡大した国家だ。1547年、モンゴルの承認の下でモスクワ公に就任する状況を覆し、イヴァン四世(雷帝)がツァーリとして戴冠。ちなみに、イヴァン4世の母親は、ジョチ・ウルスの有力軍人・政治家のママイの直系で、2番目の妻はジョチ家の王族の血脈だった。ロシア皇帝の血筋は、実は「モンゴルの婿」なのである。

中華帝国(現在は中華人民共和国)は、古代には黄河流域の狭い地域を支配していたに過ぎない周が源流だ。その後、春秋戦国、秦、漢と、中華圏は次第に領土を広げていった。

もちろん、中華帝国は「易姓えきせい革命」の国であるため、帝国のパワーが衰えると、皇帝や皇族は皆殺しにされる。前の皇帝を殺害した者が、新たな皇帝となるという、実に殺伐とした歴史をたどったが、中華(漢民族というよりは中華民族)の支配領域は着実に増え続け、大清帝国時代にピークに達した。

最後に、アメリカ合衆国。アメリカが「帝国」といわれてもピンと来ないかもしれない。

アメリカ合衆国は独立当初は東部13州に過ぎなかったのである。その後、アメリカ人は、いわゆるマニフェスト・デスティニー(明白なる運命)に基づき、領土を西へと拡大していく。

アメリカは欧州の市場的地位から脱し、大工業国・大投資国に成長したが、欧州は古くからの工業国で、アメリカの工業品を欲しない。中南米は購買力に乏しい。双方ともに市場にはならないのだ。故に、アメリカは「西」にフロンティアを求める必要があった。アメリカ人は「民主主義」というイデオロギー、あるいは「プロテスタント」という宗教を旗印に、「ドルのビジネス」という真の目的を隠したまま西に進んだ。

やがて、太平洋岸に到達したが、その後もアメリカの西進は止まらず、ハワイを領有し、ついにアジアのフィリピンまでをも支配下にするに至った。そして、中華という別の帝国と接触することになる。

アメリカ合衆国も、ロシア帝国、中華帝国同様に「多民族国家」だ。もっとも、アメリカ建国の父たちは極めて賢明で、合衆国の国民意識を醸成し、育むために、移民たちにアメリカ英語を強制した。アメリカは、言語的には一応、統一されている(最近はスペイン語人口が増えてきているが)。

改めて考えてみるとゾッとする話だが、日本はロシア、中華、アメリカという世界三大帝国に囲まれた地域に存在しているのである。日本が「大帝国に囲まれている」という認識は、少なくとも戦前の日本人は持っていたようだ。たとえば、戦前の国家主義者・農本主義者だった長野朗ながのあきらは、自著『民族戦』(柴山教育出版社)において、

《米国の発達の方式はドルである。之を保護するために軍艦と飛行機とがある。ロシアの民族発展は銃と剣とが先に立って、植民と商業とが後から来る。それがソ連になってからは組織と宣伝とが加わった。支那の民族発展は鍬くわだ、人が土をうて行く。政治はその後から来る。米国の発展は表皮を剥ぐのだ。ロシアの発展は肉を喰らう。支那のそれは骨の髄に喰い込む最も深刻なものである。》

と、実に的確な表現で「三大帝国」について説明している。確かに、歴史伝統的にロシアの侵略の武器は「軍事力」であり、アメリカは「カネ」で、中国は「人口」だ。特に怖いのは、やはり中国の「人口」を使った侵略である。彼らは数百年かけ移住を続け、その地の民族を「漢化」していく。手ごわい民族に対しては、男は中国各地に散らばらせ、女は移住した漢人と結婚させ、民族色を薄めていく。この手の侵略(れっきとした民族浄化だが)を「洗国せんこく」と呼ぶ。

1930年代、日本の傀儡かいらいらい国家である満州国は、すでに中華帝国の「洗国」による侵略を受けていた。何しろ、満州国が建国されて以降、十年も経たない内に4,000万人もの漢人が移住してきたのである。まさに「人口による侵略」だ。

満州西部のノモンハンで日本がロシア(ソ連)という帝国と激突する2年前、1937年に支那事変が勃発。中華帝国との戦争が泥沼化するにつれ、アメリカという帝国が、次第に蔣介石しょうかいせき(中華民国)側に肩入れするようになった。

なぜ、アメリカは日本ではなく中国側についたのか。中国お得意の情報工作、ロビー活動に加えて、蒋介石自身が「プロテスタント」だったという事情がある。

蒋介石の妻で、アメリカにおける反日プロパガンダの主役を務めた宋美齢そうびれいがプロテスタントだったのは有名な話だ。さらには、蒋介石もそうだったのである。宋美齢は蒋介石と結婚する際に、条件の1つにプロテスタントへの改宗を提示したとされている。

1930年10月、蒋介石は上海のメソジスト教会で洗礼を受けている。

さらに、1936年12月に西安事件が発生し、共産党に監禁された蒋介石は、解放後に中国のプロテスタント教会に「信仰告白」を送っている。いわく、

「私がこの時、監禁者に乞うたものは一巻の聖書に他ならなかった。(中略)この時、私の心に新たなる霊感を与えたものはキリストの偉大さであり愛であった」

プロテスタントの布教に人生を捧げていた、中国在住のアメリカ人宣教師たちは熱狂した。中華民国の指導者が、ここまで深いプロテスタントへの情熱を語ったのだ。うまくいけば、「プロテスタント中国」が誕生するかもしれない。アメリカ人宣教師にとっては、プロテスタントを布教することもまた、マニフェスト・ディスティニーにほかならなかった。

そこで、在中アメリカ人宣教師たちは、蒋介石の対日戦争や反日プロパガンダに全面的に協力するようになる。宣教師たちは蒋介石による軍事国家化であった「新生活運動」への支援を決議。実際に、南京の宣教師たちは決議に沿った蒋介石支援活動として、南京陥落後(1937年11月)、いわゆる南京安全区における中国軍兵士の支援活動を実施した。

南京安全区は「安全区」維持に必要な第三国の軍事力が存在していなかったため、日本側から公認されていない。あくまで、アメリカ人プロテスタント宣教師たちが、勝手に南京安全区を設定したに過ぎない。

日本経済 失敗の本質
三橋貴明
作家・経済評論家。中小企業診断士。1994年、東京都立大学(現:首都大学東京)経済学部卒業。外資系IT企業ノーテルをはじめNEC、日本IBMなどを経て2008年に中小企業診断士として独立、三橋貴明診断士事務所を設立した。現在は、経済評論家、作家としても活躍中。2007年、インターネットの掲示板「2ちゃんねる」において、公開データの詳細な分析によって韓国経済の脆弱な実態を暴く。これが反響を呼んで『本当はヤバイ!韓国経済』(彩図社)として書籍化されて、ベストセラーとなった。

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