この記事の監修者

浅野まむ
(画像=「whiskeen」より引用)

浅野まむ

お酒とBarを愛しています。バーテンダー歴8年、現在ライター。ウィスキーエキスパート資格持ち。 1人で飲むのも、2人で飲むのも、大勢で飲むのも何でも好きです。

富山県にある三郎丸蒸留所は、ウイスキー造りの伝統を継承しつつ新たな挑戦を続けているクラフトウイスキー蒸留所です。

富山から日本全国、そして世界へとジャパニーズウイスキーの魅力を発信したいという思いから富山県内の企業や工房、デザイナーと共に革新的なウイスキー造りに取り組んでいます。

その取り組みの詳細と共に、三郎丸蒸留所の歴史や評価を紹介します。

三郎丸蒸留所とは

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(画像=「whiskeen」より引用)

三郎丸蒸留所は北陸地方で唯一のウイスキー蒸留所で、スモーキーな香りが特徴のウイスキーを製造しています。

ジャパニーズウイスキーの文化を豊かにするために、常に新しい挑戦を行っているのが三郎丸蒸留所です。

三郎丸蒸留所の場所


三郎丸蒸留所は、富山県の砺波(となみ)市・三郎丸にある若鶴酒造内にあります。

砺波市の豊穣な大地から湧き出る清水と豊かな自然環境により、三郎丸蒸留所ならではの味や香りのウイスキーが生み出されているのです。

1862年に三郎丸蒸留所の母体である若鶴酒造が創業し、ウイスキーの製造免許を取得して本格的なウイスキー造りを始めます。

現在の三郎丸蒸留所となるまで、2度の再建を遂げた歴史があります。

三郎丸蒸留所の歴史

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(画像=「whiskeen」より引用)

三郎丸蒸留所の歴史を、ウイスキー造りを始めることとなった経緯とともに紹介します。

米不足という逆境から始まったウイスキー製造

三郎丸蒸留所の母体となっている若鶴酒造は、ウイスキー造りを始める以前から清酒造りで成功を収めていました。

しかし、第二次世界大戦が始まると米不足に陥り清酒の生産高が激減します。

そこで、若鶴酒造の2代目社長であった稲垣小太郎は米以外の原料からアルコールを造り出す方法に目をつけました。

蒸留酒製造の研究を重ねて1952年(昭和27年)にウイスキーの製造免許を取得し、本格的に蒸留酒の生産を進めた若鶴酒造は、後に「サンシャインウイスキー」を発売します。

「サンシャインウイスキー」は「戦争ですべてを失った日本にふたたび日をのぼらせよう」という思いが込められているウイスキーです。

戦争による米不足という逆境をチャンスに変えて革新していく姿勢は、母体である若鶴酒造から現在の三郎丸蒸留所にも受け継がれています。

守り抜かれた北陸唯一の蒸留所

若鶴酒造が本格的なウイスキー造りを始めた矢先、火災によって蒸留所が全焼してしまいます。

しかし、地域の人々の手助けによって半年もかからず工場の再建に成功しました。

この奇跡的な再建からも長い年月が経過して蒸留所の老朽化が進んだことから、若鶴酒造は再び三郎丸蒸留所の改修を決断します。

蒸留所改修に際し、クラウドファンディングにも挑戦しました。

クラウドファンディングで目標額を大きく上回る支援を受け、三郎丸蒸留所は2017年に再び生まれ変わりました。

北陸地方唯一の蒸留所でのウイスキー造りを途絶えさせるわけにはいかないという強い思いによって、三郎丸蒸留所は守り抜かれてきたのです。