金融業経験者を集めるも定着せず

間借りしているような小さなM&A仲介として、中村氏が超えなければならない壁は多かったようだ。同氏も「独立してはじめてわかった」と言及しており、実績や信頼、知名度がないとまったく相手にしてもらえなかったという。

中村氏自身は「わかっていたら怖くて独立できなかった。全然相手にしてもらえない。会社の譲渡を相談する相手、社員にも言えないことを相談する相手なのだから当然のことだ。聞いたこともない会社や作って間もない会社には相談したくはないだろう」と語った。

さらには、M&Aキャピタルの組織の構築も困難にぶつかった。中村氏は「会社概要を立派にしないとこの業界では生き残れないと強く思い」、金融業界でのキャリアを持つ人材を採用していったものの、固定費がつみ上がり、現金が流出。創業2期目には、あと1~2カ月で倒産という危機的な状況にまで陥ったという。

当時、同社の危機を救ったのがベンチャーキャピタル。中村氏は「その頃はまだベンチャーキャピタルが元気で、潰れかけの会社の価値を4億円と評価して、20%の8000万円を投資してくれた。その資金でまた金融キャリアの採用に走り、会社はそれなりに立派になった」が、仕事が一緒についてくるわけではなかったという。

続いて何が起こったかというと結局、キャッシュがまた流出してしまい、3期目の終わりにはまた倒産寸前に。家賃も払えず、社員の給与も払えない上に、1億円以上の個人保証もあったという。その危機的な状況について「いよいよ自己破産かと考えて、自己破産後の人生を調べたりもした。街を見ても空を見ても、帰って妻の顔を見ても、どこかで資金繰りの恐怖がぐるぐる回っているという経験をした」と中村氏は語った。

しかし、その頃、一生懸命集めた金融キャリアはほぼ全員が転職し、誰も残らなかったという。