戦後国債市場の歴史

戦後、国債が始めて発行されたのは1966年である。東京オリンピック後の不況により、赤字国債が発行された。それまでは高度経済成長に支えられた収支均衡予算が組まれ、国債は発行されなかったが、1966年以降は毎年発行されるようになる。

戦後の国債市場を巡る主な出来事

国債は安定して発行する必要があるため、シンジケート団(以下、シ団)及び大蔵省資金運用部の引受により発行された。シ団とは、国債引受を目的として組織された団体で、銀行や証券会社などほとんどの金融機関がメンバーになった。

また、金融機関が多く保有することを期待されたため、シ団引受分のうち一部は個人や事業法人に売却されたが、ほとんどは金融機関が保有し市場売却は事実上制限されてきた。つまり、流通市場はほとんど存在しなかった。

そして、金融機関引受分は発行後1年経過すると、そのほとんどを日銀が買い取った。個人や事業法人が取得した国債も、売却するには購入した証券会社に買い取ってもらうしかなく、流動性は低かった。1966~1976年の期間は、このように国債は発行されていたものの、流通市場はほとんど発達していなかった。

1971年のニクソンショック、1973年の第1次石油危機などを受け、その後の不況から抜け出すため、1975年以降は国債が大量発行されるようになる(国債大量発行時代)。国債が大量発行されるようになると、全額を日銀で買い取ることができなくなり、金融機関保有分の市中売却ニーズが高まった。

1977年には金融機関保有分のうち、発行後1年経過した国債については市場で売却できるようになった。これをきっかけに、国債流通市場は拡大していった。しかし、この間も金融機関には発行後一定期間の売却制限があったことや、自己保有分を流動化(売却)することが中心であったことなどから、活発な売買が発生するまでにはならなかった。

一方で市場が活発に発展するよう、様々な試みが実施された。国債を大量に消化するためには、投資家ニーズに合う国債を発行する必要がある。そのため、様々な種類の国債が発行された。

1966年に発行された国債は期間7年であったが、1972年には期間10年の国債が発行された。そして、1977年以降は5年割引国債、3年中期国債、2年中期国債、4年中期国債、6年長期国債等、様々な種類の国債が発行されていくことになる(i)。

更に、金融機関が国債引受後、一定期間(1977年当初は1年)を保有しなければならない売却制限期間は、その後徐々に短縮されていく(完全撤廃は1995年)。

また、1983年には金融機関による募集取扱が開始された。これは金融機関の店舗を通じて個人などに国債を販売する仕組みで、より幅広い投資家に国債が売却されることになった。1977~1984年の期間は、このように様々な取組により市場が整備されていった。

1984年に金融機関による国債ディーリングが一部の年限(期間2年未満)において開始され、翌年の1985年には全年限の国債ディーリング(フルディーリング)が開始された。