(写真=PIXTA)
はじめに
前回の 「放課後の居場所」の行方(1) では、学童保育の利用が急速に伸びてきている推移、そして「小1の壁」問題がメディアで顕在化するまでに10年もの時間がかかったことをご紹介した。
30年という長い年月。これは、学童保育普及を求める全国的な団体が民間で結成されてから、実際に法律によって学童保育の制度化が行われるまでにかかった年月である。
今回「放課後の居場所」の行方(2)では、学童保育制度化までの経緯をみることで、日本において女性活躍を大きく進展させるためには、一体何が重要であるのかについて考察してみたい。
保育政策の道のり
図表1はわが国の女性活躍推進に関わる法律の動きと、学童保育に関連する社会の重要な動きを時系列で示したものである。
日本における女性活躍推進をサポートする政策のステップは、おおよそ以下の5ステップに分けて考えると理解しやすい。
◆ステップ1:男性だけで行われていた職務に女性が進出するための門戸を開く(1985年 男女雇用機会均等法成立~)
◆ステップ2:出産を直接の原因としてやめることがないような育児休業を中心とする制度作り(1992年 育児休業法施行~)
◆ステップ3:乳幼児の保育場所が確保できないことを原因としてやめることがないような制度作り(1994年 エンゼルプラン~)
◆ステップ4:就学児童の保育場所が確保できないことを原因としてやめることがないような制度作り(1997年 児童福祉法一部改正~)
◆ステップ5:慣例として男性が行っている働き方を原因としてやめることがないような制度作り(2015年女性活躍推進法~)
女性が長期的な就業継続を行うためには、上記の5段階の全てが同時並行的に行われなければならなかった。しかし、1985年の男女雇用機会均等法成立によるステップ1(女性の社会進出の法制化)から1997年の学童保育制度化によるステップ3(就学児童の保育場所の制度化)までで、すでに12年もかかっている。
この間に、わが国の出生率は1.76から1.36へと大きく減少した(図表1)。
せっかく社会進出を果たしても、就学児童の預け先が見つけにくい現状がある以上、仕事のスキル上昇を望む就業意欲ある女性にとって出産は高い壁となってしまっていたことがうかがえる。社会進出した多くの女性が、出産か就業継続の選択を迫られていた様子が見て取れる。
1997年までの政策は、あくまでも目の前の課題である「乳幼児の居場所をどうするか」に集中していた。乳幼児の保育対策が主眼となり、その後に必ず続くこととなる学童保育対策については後回しとなっていたのである。