アメリカビックスリーの一つに数えられたクライスラーは、2009年4月、破産を申請しました。2008年の世界金融危機が引き金という見方もありますが、以前から原油高を背景として販売が不調であった事実もあります。2014年1月、フィアット社の完全子会社となり、世界第7位の自動車メーカー、フィアット・クライスラー・オートモービルズ(以下FCA)が誕生しました。2013年9月には、クライスラーは米国証券取引委員会にIPO申請をしましたが、大きな方針転換の結果の完全子会社化です。
まったくタイプの異なる自動車メーカーの統合の背景、今後の戦略を、クライスラーの軌跡を確認した後に考えてみたいと思います。
1.クライスラーの軌跡
クライスラーは1925年、ウォルタークライスラーが創業しました。ミニバンやセダンの高級車、ジープが有名なメーカーといえます。歴史を顧みると、世界中のメーカーを買収してきましたが、「負け組み連合」と呼称されたこともあるように、世界展開は順調にはいきませんでした。
70年代、社内ブランドが煩雑にありブランディングに失敗した点や、小型車ブームにも出遅れ、苦しい時期を経験しながら、80年代より販売開始した小型車(Kカー)、ミニバン、不採算事業の売却や縮小を実施、80年代後半には経営を立て直すことができました。90年代には格安小型車「ネオン」が人気となり、好業績となりました。
90年代後半、独ダイムラー社が買収、中・大型車のラインナップを販売しましたが、2003年のイラク戦争以後、深刻な原油高を背景として赤字経営が続き、2007年、米国系PEファンドサーベラス・キャピタル・マネジメント社がダイムラー社よりクライスラーを引き取るような形の売却が成立しました。
さらに、2007年のサブプライムローン問題が発端となる金融危機を背景に、資金繰りが緊迫化し、公的資金が投入されるまでとなり、最終的にフィアットとの提携交渉が纏まりました。
フィアットがクライスラーとの提携を考えた思惑は、クライスラーの北米における製造拠点・販売網の獲得と思われます。フィアットにとっては、クライスラーの北米における工場設備を活用できることで、北米市場参入の初期投資を安く、さらにすでに構築された北米販売網を利用できるわけですから、クライスラーとの提携には大きなメリットがありました。
2.完全子会社化による効果
2009年のフィアットとクライスラーの業務提携後も、両社の完全統合は進まない状況が続きました。フィアットはクライスラーの筆頭株主として58.5%の株式を保有していました。一方、第二位の株主である、全米自動車労組は、IPO申請の権利を行使し、2013年9月にIPO申請を行い、完全統合を目指すフィアットに揺さぶりをかけ、株式売却に対して有利な立場を取ろうとしました。
IPO申請まで視野にはいった難航する交渉でしたが、買収額の折り合いがつき、2014年1月、クライスラーはフィアットの完全子会社として経営統合を果たしました。
完全子会社化以前は、フィアット、クライスラー、同経営陣であるにもかかわらず、財務管理が別々になっていたため、利用資金に制約があったことや、車輌の技術面、共通プラットフォーム化も難航していました。
完全子会社として一枚岩になることで、新たなラインナップの開発、欧州北米市場への販売・製造拠点の共通プラットフォーム化の促進が行なわれます。最適な組織再編も実施され、「世界第7位の自動車メーカー」の存在が確立されます。