バブル経済の追い風もあって、1990年前後に、財政は1度健全化した。公債残高が減ったわけではないが、1986~91年度は基礎的財政収支(プライマリー・バランス、PB)が黒字となり、1990年度は利払費を含む財政収支がほぼ均衡した。
(本記事は、道盛 大志郎 著,編集, 大和総研 著, 川村 雄介 編集『明解 日本の財政入門』きんざい 2016/10/4 の中から一部を抜粋・編集しています)
1990年代以降の財政収支は「構造的な悪化」が継続
2度のオイルショックに見舞われた1970年代に日本の財政は著しく悪化したが、1980年代の安定成長期に改善傾向をみせ、1990年代以降の長期停滞期に入ってから再び悪化した。2008年秋に発生したリーマン・ショック前の数年を除けば、1990年代以降、財政収支は構造的に悪化した状態が続いている。
「失われた20年」などといわれる経済停滞のなかでは、税収は増えない。一方で高齢化が激しく進んだため、社会保障費が構造的に増えている。また、財政支出を伴う景気対策で経済の停滞を取り繕うことを続けていれば、家計も地域経済も財政への依存を強めることになり、歳出を減らしにくくなる。
直近4回の「財政健全化計画」を見る
もちろん、財政構造を改革する必要性はいわれ続けてきた。1990年代以降、重要政策課題として明確に位置づけられた財政健全化の計画は、直近を含めて4回ある。
1回目は橋本龍太郎内閣のときで、1997年に制定された財政構造改革法(以下、財革法)による取組みである。財政再建に特化した法律を制定して財政を健全化させようという取組みは、日本としては画期的な試みだった。財革法は、特例国債体質からの脱却と国・地方の財政収支赤字をGDP比で3%以下にすることを目標とした。
2回目は、小泉純一郎内閣が2006年に閣議決定した骨太の方針「経済財政運営と構造改革に関する基本方針2006」(以下、骨太06)による歳出抑制策である。このときには、2011年度までに国・地方のPBを黒字化することを目標にした。ただ、橋本内閣のときには1997年4月に消費税率を3%から5%へ引き上げたのに対し、当時の小泉首相は在任中の消費税増税を封印していた。
3回目は、菅直人内閣が2010年6月に閣議決定した「財政運営戦略」である。もっとも、そこで掲げられた目標は、民主党(当時)への政権交代直前の麻生太郎内閣でのそれを踏襲したものだった。そもそも、当時の民主党は、特別会計を抜本的に見直したり、国から地方への補助金を一括化して地方に使い方を委ねたりすれば財政を立て直せるという主張を掲げて政権を獲得した。しかし、結果をみれば、そうした当初の発想にはかなりの無理があったというのが大方の見方である。
もっとも、その後、2011年秋に発足した野田佳彦内閣が、社会保障制度の充実と持続性の向上、そのための消費税増税を内容とする「社会保障と税の一体改革」を2012年にまとめあげたことは現在にもつながる大きな前進だった。
そして4回目が、安倍晋三内閣が進めている「経済・財政一体改革」である。財政健全化を進めようとするときの政権は、財政健全化にもちろん前向きである。財革法のときも、骨太06のときも、経済環境の激変が目標達成に至らなかった最大の理由だが、よほど前向きでもうまくいかないむずかしい課題が財政健全化である。財政を健全化させるには数年単位の長い時間が必要であり、改革を進める戦略と粘り強さが求められる。
財政健全化には、景気循環と距離を置いた「着実さ」が必要
数年を要する改革であれば、その間に景気の浮き沈みがあることを前提にしなければならない。景気が拡大して税収が増えているからといって楽観的になり過ぎれば失敗するし、景気が後退したからといって財政再建を棚上げすれば、これまた目標は実現しない。
税収が増えるとそれを財源に歳出を増やしてしまい、税収が減るとその分の国債を発行するということを続けていては、債務残高は増える一方である。景気循環とは距離を置いた着実さが財政健全化には不可欠だろう。
もちろん景気は無視できない。そこで役に立つのが、景気弾力条項を設定しておくやり方である。景気が相当悪いときに歳出削減や増税を行えば、経済はさらに悪化し、むしろ状況を悪化させてしまうかもしれない。景気が悪いときには予定された財政の緊縮を一時的にストップすることを事前に決めておけば、それを回避できる。
ただ、ストップする条件とはどんな状況を指すのか、人によって考えはさまざまである。景気が十分によい状態でなければ、財政健全化の取組みは棚上げすべきという意見もあれば、そんなことでは財政健全化が進まないとして、大不況にでもならない限りは改革を断行すべきという意見もある。
財革法には、景気弾力条項が当初存在しなかった。そのため、金融システム危機が発生しているにもかかわらず、法律に縛られて予算編成が窮屈になったという反省がある。当時の橋本首相は1997年12月に2兆円、1998年4月にはさらに2兆円の合計4兆円の特別減税を表明する事態に追い込まれ、1998年5月の財革法改正時に赤字国債増発のための景気弾力条項を、後知恵で法律に書き込むという経緯をたどった。
骨太06のときは、毎年の骨太方針に「経済情勢によっては、大胆かつ柔軟な政策運営を行う」という趣旨の一文があるだけだった。この一文は、柔軟性はあるものの基準がないため、ひとたび景気が悪くなると、その程度にかかわらず財政改革が骨抜きにされやすい。実際、2008~09年には合計7回の経済対策が打たれた。
消費税率を2014年4月に5%から8%へ、さらに2015年10月に8%から10%へ引き上げることを内容とする法律改正は2012年8月に国会で成立した。改正法には景気弾力条項が含まれており、立法府は内閣に対して税率引上げ前に経済状況を点検するよう求めたわけである。
その後どうなったかは周知のとおりで、2014年11月、安倍首相は景気弾力条項に基づいて2015年10月の税率引上げを2017年4月まで延期すると判断した。同時に法律から景気弾力条項を削除することも決め、安倍首相は「再び延期することはない。ここで皆さんにはっきりとそう断言いたします」とも述べた。
さらに、安倍首相は2016年6月、10%への消費税率引上げを2019年10月まで再び延期する方針を発表した。今度は弾力条項がなく、政府は判断を求められていないのだから、政府独自のまったく新しい方針である。
景気弾力条項は削除しないほうがよかったのではないだろうか。それには、経済と財政の両方に目配りしていることを国民や市場に示すという重要な機能があるからである。また、大規模な天災や世界同時の深刻な不況があった場合に増税を棚上げできる条項を、客観的な数字で示しておけば、人々は将来の予測を立てやすくなる。
2回の増税延期という現実をみれば、景気弾力条項はあってもなくても同じという話になるが、問題は、具体的な基準を含む弾力条項でなければ機能しないということである。いずれにせよ財政健全化を進める際は、景気との関係についてうまく工夫する必要がある。
鈴木 準
大和総研パブリック・ポリシー・チームリーダー・主席研究員
1990年東京都立大学法学部卒業、大和総研入社。2009年経済調査部長などを経て、2014年より現職。現在、経済財政諮問会議専門委員、社会保障制度改革推進会議専門委員、男女共同参画会議専門委員などを務める。
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