ロスチャイルド家をはじめとするユダヤ人たちは中世の頃から、今日の金融業務のほとんどの礎を築いていたことにも触れました。第二次世界大戦中、ナチス・ドイツは欧州のあちこちでユダヤ人を迫害したことは広く知られていますが、運よく難を逃れた人たちの多くは米国へと脱出を図りました。実は、それ以前からもユダヤ人たちは何度となく米国に集団で移住しています。

そして、彼らは米国の金融界も牛耳るようになり、こうした構図は現代社会においても受け継がれていると言えます。たとえば、世界最大手級の実力を誇る米投資銀行のゴールドマンサックスは、ドイツ出身のユダヤ系米国人であるマーカス・ゴールドマンによって設立されました。

また今日、グローバルなシェアを握っている米大手投資銀行の成り立ちは大きく3つに分けられますが、そのうちの1つで、かつて名を馳せたクーン・ローブ商会という名の金融財閥もユダヤ人が興したものです。

(本記事は、菅下 清廣 氏著『 歴史から学ぶお金の「未来予測」 』かんき出版 (2015/7/3)の中から一部を抜粋・編集しています)

菅下 清廣
スガシタパートナーズ株式会社代表取締役。国際金融コンサルタント、投資家。立命館アジア太平洋大学学長特別顧問。マーケット情報配信サービス「 スガシタボイス 」、株価の解説・予測が無料で読める「 スガシタレポート オンライン 」を配信中。

移民のユダヤ人たちが金融界を牛耳る

歴史から学ぶお金の「未来予測」1

1977年にかのリーマンブラザーズに統合され、さらに1984年にはアメリカンエキスプレスに買収されたことでその名は現代に残っていませんが、1875年にアブラハム・クーンとソロモン・ローブという2人のドイツ系ユダヤ人の移民がニューヨークに設立した銀行がその発端です。クーン・ローブ商会が台頭していったのは、ローブの娘婿であるジェイコブ・ヘンリー・シフが経営に参画してからでした。

ちなみにジェイコブは、フランクフルトのゲットー(ユダヤ人隔離居住区)でロスチャイルド家と同居していたことがあります。このため、巷では同家が米国進出のために彼を派遣したとの俗説も飛び交っているようです。

息子たちを欧州の主要都市に派遣して早くからグローバル展開に注力していただけに、ロスチャイルド家が米国の繁栄を見越して手を打った(ジェイコブを派遣した)と考えても、あながち乱暴な推論ではないでしょう。いずれにせよ、ジェイコブと同家がつながっていたことは事実です。

それはともかく、クーン・ローブは20世紀の半ば頃まで、今日のJPモルガンやモルガンスタンレーの源流であるモルガン財閥とともに、絶大なる支配力を有した金融財閥でした。こうした民間の銀行証券会社のみならず、米国の政府系機関においてもユダヤ人は数多く活躍しています。

その代表例として挙げられるのは、長きにわたってFRB(連邦準備制度理事会)の議長を務めたアラン・グリーンスパンでしょう。彼は米国における住宅バブルの発生とその破裂(サブプライムショック)を引き起こした張本人だと批判する声も少なくない一方で、在任中は世界中から信任を集めた歴史に残るFRB議長でもあります。

1987年8月に彼はFRB議長に就任することが米議会で承認され、住宅バブルが弾ける前の2006年1月まで、米国史上最長の5期にわたって同職を務めました。ちなみに、就任から約2カ月後にはブラックマンデーが発生し、以降も金融に関する数々の歴史的出来事と遭遇しています。

このように、米国の金融界についてはユダヤ人の存在抜きには語れません。米国は世界最大の金融市場ですから、いわば彼らはグローバルに金融を牛耳っているともみなせるのです。

ユダヤ人と石油王のロックフェラー

米国の経済史について話すうえでは、ジョン・ロックフェラーのことについて言及しないわけにはいかないでしょう。マンハッタンの超一等地にその名を冠した高層ビルもあることから、歴史や経済に疎い人でも世界的な大富豪だということは何となく想像できるはずです。

しかしながら、彼は生まれながら裕福だったわけではなく、自らの努力でゼロから財を成していった人物です。16歳のときにわずか月給25ドルの雑用係として社会人デビューし、あっという間に約9億ドルもの資産を有する大富豪となりました。

もちろん、ジョン・ロックフェラーの成功は彼の努力だけでもたらされたものではありません。それでも、もともと彼は、ビジネスのセンスに長けていたようです。外で働き始める前も、実家で育てた七面鳥を売って得た資金を近所の人たちに貸し付けて利息を得るなど、ユダヤ人も顔負けのセンスを有していました。前述したように彼は16歳で雑用係として、ヒューイット&タトルという会社に雇われます。農作物の配送業を営む会社で、この職場においてジョン・ロックフェラーは会社経営のことを実務から学びました。

そして、3年経った後には早くも独立して自ら農場経営に乗り出し、さらにその数年後には石油業界にも手を伸ばすようになりました。まだ当時の燃料は鯨油が主流でしたが、やがて安価な石油がそれに取って代わると読んだからです。

製油所への投資に端を発し、近隣の競合企業をM&Aで吸収して規模を拡大していって、南北戦争終結の5年後に当たる1870年にはスタンダードオイル・オブ・オハイオを設立します。やがて同社は全米に配送網を有する競合をも飲み込むこととなり、1879年には同国における石油精製の90%を掌握しました。

つまり、ここに米国一の石油王が誕生したのです。とはいえ、石油に目をつければ誰でも大成功したわけではありません。精製会社が林立して競合が激化し、石油価格の下落が誘発されて多くが淘汰されていきました。

その中でジョン・ロックフェラーは次々と競合を傘下に収め、勢力を拡大していったわけです。ただ、彼が率いたスタンダードオイルはトラスト(企業集団)としてあまりにも巨大化したことから、その独占支配に対して批判が飛び交うようになります。

ついには米国の最高裁から反トラスト法に違反しているという裁きが下り、トラストの解体が命じられました。もっとも、各社を手放す際にはそれらの株式の売却で莫大な利益を得ることとなり、ジョン・ロックフェラーの資産は約9億円まで膨らみました。

彼は97歳でこの世を去りましたが、その息子のジョン・ロックフェラー2世が後を継いでいます。一方、2世の息子のネルソン・ロックフェラーは米国大統領の座をめざしたものの、リチャード・ニクソンという強力なライバルにそれを阻まれ、フォード政権下における副大統領が最高位でした。ロックフェラーは実業界だけでなく、金融の分野にも勢力を伸ばしています。

ネルソンの実弟であるデイビッド・ロックフェラー(同家の第3代当主)は、1970年代から1980年代にかけて米大手銀行・チェース・マンハッタン銀行の頭取兼CEO(最高経営責任者)を務めました。2000年9月には、チェース・マンハッタン銀行がJPモルガンを吸収合併しています。また、初代・ジョン・ロックフェラーの実弟であるウィリアムは兄の片腕として活躍する一方で、ナショナル・シティ・バンク(今日のシティグループの前身)の設立にも参画しています。

1960年代には、ロックフェラーとモルガン、シティはニューヨークにおける3トップと位置づけられるようになり、米国企業のグローバル展開や大型M&Aのための資金面の支援で協業してきました。こうしたロックフェラー一族に、ユダヤの頂点であるロスチャイルド家が真っ向から対立し、グローバルに両陣営の勢力争いが繰り広げられてきたと指摘する声が少なくありません。

しかし、ことに金融の世界においては、無益な対立が1セントももたらさないのは明白だと賢人なら考えるはず。実際には、連携すべきところは手を結び、協業していったのではないでしょうか? つまり、ロックフェラーの石油とユダヤ人たちの金融がつながったことで、米国が大英帝国に代わって世界のトップの座を確立したのです。

【関連記事】
インド株で勝つ!令和に急成長が見込まれるインド株投資の魅力
中国の五大富豪の職業は何?4位は女性、1位は極貧からの不動産王
アメリカ大統領たちの「中国政策」と日本の立ち位置
インド株の買い方は?日本からインド株へ投資をする方法やインド株を買える証券会社、おすすめ銘柄など
日本でも強い存在感 インド最大財閥・タタ・グループの正体とは