投資信託であれほどまでに高い人気を誇っていた「毎月分配型」の販売不振・資金流出が顕著になっている。決してニーズがないわけではない。銀行の金融商品販売の現場では「毎月分配型」のニーズは根強いのであるが、我々販売サイドに言葉にできない自粛ムードが広がっており、もはや毎月分配型は「売りたくない商品」といっても過言ではない状況なのだ。

銀行員の「7月のため息」

「あぁ、まだまだ銀行の暗黒時代が続くじゃないか」
酒の席で同僚の一人がため息をついた。7月4日、金融庁のトップである森信親長官の続投が決まったとのニュースに対する反応である。

我々銀行員は金融庁の意向に逆らうことはできない。「毎月分配型投信」では資産形成はできない、顧客本位ではない商品だ……金融庁にそう切り捨てられてしまっては、たとえニーズがあっても積極的に売れないのが実情だ。

それにしても、金融庁長官の任期は通常2年である。
「嵐が過ぎ去るまで、もうしばらくの辛抱だ」銀行の経営幹部の中にはそう高をくくっていた嫌いがある。幹部だけではない。現場の銀行員にも少なからずそう考えていた者もいる。それがフタを開けてみれば続投である。件の同僚の「ため息」も酒の席の冗談とは言い切れない。

メディアも独立系FPも金融庁に逆らえない?

森金融庁長官ーー彼はまるで勧善懲悪の時代劇の主人公のごとく、銀行の営業方針を批判してきた。徹底的に顧客の利益を優先した経営を求め、銀行にとっては大きな収益源となる金融商品の販売の「姿勢」を公の場で批判してきた。

一方で、彼は『つみたてNISA』など前例がない投資税制優遇制度を創設した。マネー誌や独立系FP(ファイナンシャルプランナー)はこぞってそのメリットばかりを取り上げているが、私にはその姿が異様にさえ感じられる。銀行だけではない。メディアも独立系FPも金融庁の意向に逆らうことができないのかも知れない。

それだけではない。金融庁は、ご丁寧にも「初心者が安心して資産形成を始められる」お墨付きの投資信託まで選定してくださっている。すなわち、アクティブ型株式投信5本、インデックス型株式投信50本弱である。投資家にしてみればお節介も良いところだろうが、これは「銀行にはまともな投信なんてありませんよ」と言われたに等しい。お墨付き投信といっても、金融庁が元本保証をしてくれるわけでもないのにである。

昨年、金融庁の指摘で、銀行が保険会社から高い手数料を受けとり、顧客ニーズを無視して「手数料の高い保険商品」を優先的に販売していると広く報じられた。

その結果、金融庁の指導のもと、銀行窓口で販売される貯蓄性の高い「外貨建保険」などで販売手数料の開示が行われることになった。また、銀行が保険商品を販売するためには顧客ニーズをヒアリングするためのアンケートが必要になり、購入手続きが煩雑になった。販売担当者に還元される収益も大きく減少し、保険商品はさっぱり売れなくなったのである。投資信託の販売においても、まさに同じことが起こりつつあるのだ。

運用で「資産形成しなければならない社会」こそ問題だ

森長官が打ち出す方策は「個人の安定的な資産形成」という点では筋が通っているのかも知れない。

だが、私に言わせれば、そもそも運用で「資産形成」ということ自体おかしな話だ。運用しなければ、老後の資金が枯渇してしまう。そんな社会こそ問題ではないだろうか。

投資信託の手数料云々という前に、投資しなくとも社会の富が誰にでも分配される仕組みを作ることこそ「お上の仕事」ではないのだろうか。それを放棄して「運用で自分の資産を形成しなさい」と言わんばかりの態度に、私は強烈な違和感を覚えるのだ。

運用したい人は運用すればいい。
でも、なかには運用したくない人だっているはずだ。運用したくない人であっても、資産形成ができる社会の仕組み、富の分配についての社会構造が必要なはずだ。

本当の悪代官は誰だ?

結局のところ、私には銀行の販売姿勢ばかり非難する金融庁の姿勢も「その場しのぎのパフォーマンス」にしか見えないのだ。

なぜなら、現在のようなマイナス金利下ではまともな金融商品を提供すること自体が困難だ。定期預金ではまったく金利は付かないし、国債などにおいても同様にそこから金利を得ることは困難である。

一方、マイナス金利下で大いに懐が潤うのは「国の財政」だ。ただ同然のコストでどんどん国債を発行して、しかもそれらは日銀が買い上げてくれるのだ。こんなにオイシイ話はない。本来であれば、このタイミングで財政再建をきっちりと実現しなければならないにもかかわらず、国の散財はとどまることを知らない。

こうした状況を捨て置いて「銀行はけしからん」と怒りの矛先を向けられても、銀行員の私にはとても納得できるものではない。

白河の清きに魚も住みかねて……

「……もとの濁りの田沼恋ひしき」。田沼意次の商業主義的な政策を批判し、クリーンな政治を推し進めた松平定信に対する皮肉が込められたこの狂歌。あまりにも有名だが、銀行員の私はまさにこの心境だ。

森長官の主張は正論である。しかし、その正論にすべてをあてはめることはあまりに乱暴ではないか。目の敵にされている毎月分配型投信でも、実際に利益を出している人はいるのだ。たとえ、元本の切り崩しだと分かっていても、10年後の資産形成よりも来月の分配金を重視する人だっているのだ。90歳の年金生活者にとって10年後の資産形成という言葉がどれほど空虚なものか想像できるだろうか。

『遠山の金さん』や『水戸黄門』のごとく巨大な金融機関を相手に正論をふりかざす金融庁は個人投資家にとって頼もしく見えるかも知れない。しかし、現実はどうだろう。金融庁は本当に個人投資家の味方なのか? 本当の悪代官は金融機関ではなく、マイナス金利で「濡れ手で粟」の政府ではないのか。

一見、魚も住みたくないような清廉潔白な金融行政だが、銀行員の私にはどうにも納得しがたいことばかりだ。(或る銀行員)