軽くて上質なレザーバッグ~人気沸騰のブランド店
横浜・元町。時代を超えてハイカラなファッションを世に送り出してきたこの街に、人気急上昇中の店がある。
去年、表通りに店を構えたマザーハウス横浜元町店。レザーを中心としたオリジナルバッグの店だ。定番とは一味違うデザインが目を引くバッグが並ぶ。
レディースだけでなく、メンズ向けのバッグも豊富に揃っている。洒落た「ビジネストート」(5万9400円)はビジネスマンに人気だ。お客の心を捉えているのは軽くて上質な革。「バックパック」(3万5640円)はベンツのシートにも使われているレザーで、体にフィットすると言う。素材だけでなく、機能性にもこだわりが。一見ショルダーバッグの「ヨゾラ」(3万9960円)は両サイドを引っ張るとリュックになる。
マザーハウスがあるのは首都圏だけではない。去年、名古屋にオープンした名古屋星が丘テラス店では、中を走り回っている女性が。彼女に握手を求めるお客も。なんとカバンにサインまでせがまれていた。マザーハウス社長、山口絵理子(36歳)だ。
マザーハウスのバッグはバングラデシュ製。マザーハウスはただ物を売るのではなく、途上国と向き合いたいという山口の思いから始まった会社だ。「1ドル、2ドルのものを大量に作るのではなく、途上国から世界に通用するブランドを作りたい」と言う。
マザーハウスの本社は東京都台東区にある。創業11年で社員は140人。この5年で急成長を遂げ、現在、全国に22店舗、台湾と香港にも6店舗を展開。出店攻勢を続けている。
この日、山口は本社近くのサンプルルームでデザインに没頭していた。山口はマザーハウス、唯一のデザイナーでもある。これまで商品化した全てのバッグは彼女が手がけた。
そのやり方は、デザイン画ではなく模型のようだ。まるで工作のように紙を組み立てて、立体的に作っている。
「デザイン画だと革職人に『難しい』のひと言で終わらせられちゃうんです。実際に紙で作れば、できるじゃないか、と」(山口)
できた模型で打ち合わせが始まった。打ち合わせの相手はバングラデシュから来日中のモルシェド。紙の模型を、革のサンプルに起こす職人だ。「彼女はバングラデシュ人の考え方をよく理解してくれているんだ。だから仕事がとてもやりやすいよ」と言う。
アジア最貧国で自社工場~女性起業家の貢献ビジネス
バングラデシュ。日本の半分以下の国土に1億6000万人がひしめき、その75パーセントは1日2ドル未満の生活を余儀なくされているアジアの最貧国だ。この数年、政情不安から市民の暴動が頻発。ライフルを手にした警察官があちこちに立つ。
一方、バングラデシュの安い労働力を世界が求め、街中にはアパレルの縫製工場が林立する。しかし、バングラデシュの労働者は賃金が安いだけでなく、その環境も厳しい。ある工場では2つしかない扇風機が止まり、室温40度。蒸し風呂状態だった。
こんな現状を、山口は変えてきた。
「『安いですよ』『早いですよ』ばかりの製造業だったら、絶対、競争に負けてしまう。その国なりのゴール、輝き方はあるから、それを見つけるのが使命だと思っています」(山口)
首都ダッカから車でおよそ2時間。山口が自社工場に到着した。委託ではなく自社製造する会社は、この国では異例だという。
山口は1年の半分以上を途上国で過ごしている。彼女の顔を見た従業員は笑顔になり、声をかけてくる。「山口さんをとても愛しています。いつでも明るくて、なんでも相談に乗ってくれるんです」「あんなに一生懸命に働く人は今まで見たことがありませんよ」と言う。
マザーハウスの工場で目につくのが、その高い技術力だ。ミシン掛けをしている職人を見てみると、縫いにくい柔らかな革なのに、難なく立体的に仕上げていく。しかもミシンを巧みに動かし、速さは一級品。それでいて縫い代は一定している。流れるようなフォルムのバッグは、バングラデシュの高度な職人技によって生まれているのだ。
この工場では「テーブル制」というシステムを導入している。
「他の工場だと、例えば糊付けだけとか、分業制になる。完成品まで自分たちで作れるようにしたいと思い、テーブルごとの仕組にしました」(山口)
テーブルごとに6人でチームを組み、一つのバッグを裁断、部品作り、組み立てなど、最後まで作り上げていく。決められた仕事だけの分業制と違い、ここで職人はあらゆる工程の技術を身につけられ、モチベーションアップにも繋がるのだ。
工場の一角にあるサンプルルームでは、山口が東京で作ってきた紙の模型を革のサンプルにしようとしていた。東京に来ていた職人のモルシェドとの共同作業だが、モルシェドに言われた通り、助手のような仕事もこなす。現地人の工場長マムンに対しても、作業の了解を得るのは社長の山口の方だ。「自分の社長というポジションは関係ない。何だっていいんです、ゴールが達成できれば」と言う山口。作らせているのではなく、ともに作っているのだ。
そしてこの日は従業員たちが待ちに待っていた給料日。その額はバングラデシュの製造業の平均月給が1万1000円なのに対して1万6500円。また、この国では珍しい医療保険や無利子の社員ローン制度も導入した。
「前の会社は給料をちゃんと払ってくれませんでした。よく遅れたしね。ここは毎月決まった日に払ってくれるからありがたいです」と、ある男性社員が言う。
マザーハウスで働くと従業員の生活は変わるという。その一人、ジャハンギの家を見せてもらった。
アパートで家族4人暮らし。以前はハウスキーパーの仕事をしていたが待遇の良さからマザーハウスに移った。家にあった冷蔵庫は社員ローン制度を使って買ったもの。ハウスキーパー時代の月収は5000円。今は3倍になった。
「ビジネスとして成り立たせつつ、みんなが一緒にハッピーになる。それができたら社会が変わるんじゃないかなって」(山口)
いじめ、非行、柔道~波乱万丈!格闘の半生
1981年、埼玉県に生まれた山口。小学生時代はいじめに遭い、登校を拒否したこともあった。その反動から非行に走った中学時代。授業をサボるのが日課になった。そんな彼女が立ち直ったきっかけは柔道との出会い。金髪を黒く染め、日夜練習に打ち込んだ。
「小学校のときにいじめられていたので強くなりたかったのと、道場の前を通ったとき、男の子が女の子に投げ飛ばされているのを見て、すごいなと思って」(山口)
その道を極めようと、高校は埼玉では強豪の大宮工業高校を選んだ。男子部員しかいない柔道部の門を叩き、創立以来、初めての女子部員となった。当時の柔道部顧問、勝部武さんは、「毎日泣いていました。練習の途中に『もう嫌だ』と言って道場を出て行って、さすがにちょっと心配になって3年生に『見てこい』と言うと、水飲み場で泣きじゃくっていた。その3年生に抱えられて、ダダをこねるように肩の上で『ヤダヤダヤダ』と」と、振り返る。辛い練習は実を結び、3年生の時には全国で7位となった。
その後、柔道部を引退すると猛勉強。大宮工業高校は大半の生徒が就職組だったが、山口は大学受験にまっしぐら。開校以来、初めて受験で慶應大学に合格した。その慶應での授業が、山口の転機となる。
「もともといじめられていたので教育に興味があったのですが、経済学の授業で、そもそも教育を受けられない子供が何億人もいて、そういう途上国には国際協力が必要だということを聞いたんです」(山口)
国際貢献に興味を持った山口は、大学4年の時に、途上国を支援するアメリカの国際機関でインターンとして働く。そして途上国の現状を自分の目で見てみたくなり、ネットで「アジア最貧国」を検索。バングラデシュに飛び立ったのだ。
現地正社員200人~バングラデシュに自社工場を設立するまで
バングラデシュで目の当たりにしたのは、援助が貧しい者に届いていない現実だった。すると2週間の滞在の最後に、山口は極端な行動に出る。バングラデシュの大学院を突然訪ねると、なんとその日のうちに編入試験を受けさせてもらい、合格。慶應大学を卒業した後、2年間、バングラデシュに住むことを決めたのだ。
現地で暮らす中、物作りに取り組むきっかけが、ジュートと呼ばれる素材でできた麻袋との出会い。調べてみると、世界のジュートの9割がバングラデシュ産だった。
「この人たち、麻袋をいっぱい作っているけど、本当にこれしかできないのかな、と。かわいいバッグを作るイメージが湧いたとき、しかもそれを持っているお客さんのかわいい女性の姿が浮かんで、『これじゃん!』って」(山口)
山口は一人でジュートのバッグをデザイン。それを160個、バングラデシュの工場に作ってもらい、日本に持ち帰って売り切ったのだ。
2006年、マザーハウスを設立。まず始めたのは資金作りのアルバイトだった。焼肉店や量販店で働いた。そのお金を握りしめてバングラデシュに戻り、作ってくれる工場を探した。
しかし、最初に頼んだ工場は、約束の納品日に工場へ行ってみると、商品どころか機械もなく、もぬけの殻になっていた。別の工場に頼んだ時は、送られてきた商品が全て不良品だったこともあった。
自分で工場を作るしか手はない。そう思った山口は、2008年、従業員3人で自社工場を設立。創業当時からスタッフとして働くムンナは「彼女は当時からよく言っていました。いつか大勢の人を雇える工場にしたい。バングラデシュのために何かしたいと」と言う。
今、マザーハウスの自社工場では200人が正社員として働いている。
ネパール、そして他の国にも~途上国と日本を結ぶ
ヒマラヤの国ネパール。一人当たりのGDPはアジア最下位。この国でも山口は2009年からものづくりを始めた。
「バッグに使える素材を探したんですけど、国によって素材が違うのは当たり前。それに気づくのにも時間がかかりました」
何を作るべきか、悩みながら街を歩いていて見つけたのが、ネパール産のシルクのストールだった。数少ないネパールの伝統工芸品だ。
山口が訪ねたのは原材料の産地、標高1400メートルのサンクー村。最後は車も通れない山道を徒歩で30分、たどり着いたのは40年続く一軒の養蚕農家だった。年間4キロの繭を生産している。
今回、山口が訪れた理由は2015年のネパール大地震。都市部に大きな爪痕を残したが、山間の村の被害も大きかった。その復興状況を確かめにきたのだ。実は地震の前からネパールの養蚕農家は減り続けており、この10年で10分の1になってしまった。
村で残るのはこの一軒だけ。質の高い繭に敬意を払い、マザーハウスは相場の2倍で買い付けている。農家の女性は「国が繭を買い取っていた時は生活が苦しかった。今はマザーハウスが高く買ってくれるのでありがたいわ」と言う。
養蚕農家で作られた繭は、首都カトマンズにある提携工房に集められる。ネパール各地から集結する繭は年間4トン。それをストールにするのは地元の主婦たちだ。
まず繭を古くからある糸より機で一本の糸に紡いでいく。できた糸を、今度は機織り機を使って生地に。昔ながらのやり方で手間をかけて作るこの生地に山口は惚れ込んだ。
「よく見ると不均一なんです、縦糸も横糸も。薄い部分もあるし厚い部分もある。それが味というか温もりになっている」
地元の主婦たちも「手間と時間がかかるので、日本のお客さんが認めてくれたら、嬉しいわ」と、ここで働けることを喜んでいた。
丹精込めて作り上げたネパール産のシルクのストールは、バングラデシュ産のバッグとともにマザーハウスの店舗に並び、存在感を放っている。
ネパールだけではない。昨年末にオープンした東京都千代田区のジュエリー専門店、「ジュエリーマザーハウス」。ここにはインドネシアの銀細工のアクセサリーやスリランカ産のサファイアをあしらったリングなど、いずれも山口のオリジナルデザインの製品が並んでいる。
マザーハウスは創業以来、毎年、お客と職人を引き合わせるイベントを開いている。東京・秋葉原で開催された「サンクスイベント2017『奏』」。ステージに立ったのは、あのモルシェドだった。「私はバングラデシュでバッグの開発をしています。今日は皆さんに会えて光栄です」と挨拶する。
イベント終了後には、直接触れ合う時間も。文化も言葉も違う者同士で理解し合う。それがいい物作りにつながっていくと、山口は言う。
~村上龍の編集後記~
山口さんはいじめ、非行、柔道、そして途上国における起業と非常にユニークな人物に見える。だが実は「アンフェアに立ち向かう」というオーソドックスな価値観に貫かれている。マザーテレサやチェ・ゲバラと同じだ。
根性という言葉が苦手らしい。根性でサバイバル出来るような安易な時代状況ではない。
現場に行き、目標を発見し、その実現に必要なことは全部やる。その過程でさらに多くの重要なことに気づき信頼に支えられたネットワークが作られていく
ユニークでも何でもない。経営者の王道を歩んでいる。
<出演者略歴> 山口絵理子(やまぐち・えりこ)1981年、埼玉県生まれ。2004年、慶應義塾大学総合政策学部卒業。2006年、バングラデシュBRAC大学院開発学部修士課程修了。同年、マザーハウス創業。
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