はじめに

地域創生,トレセン・フィールドワーク
(写真=PIXTA)

2011年の東日本大震災以降、日本の地域内および地域間の繋がりの重要性が改めて注目されてきた。地産地消や郷土料理、その地域ならではの体験など、地域の魅力発見も現在は様々なエリアで注目されている。そして、2016年には訪日外国人も2,000万人を超え、2020年開催の東京オリンピックパラリンピックに向けて各地域でも観光や食を軸とした取り組みに光を見出そうとしている。

キリン地域創生トレーニングセンタープロジェクトについて

◆一次産業のリーダーを育成~「東北復興・農業トレーニングセンタープロジェクト」~

2011年の東日本大震災以降、日本の地域内および地域間の繋がりの重要性が改めて注目されてきた。地産地消や郷土料理、その地域ならではの体験など、地域の魅力発見も現在は様々なエリアで注目されている。そして、2016年には訪日外国人も2,000万人を超え、2020年開催の東京オリンピックパラリンピックに向けて各地域でも観光や食を軸とした取り組みに光を見出そうとしている。加えて政府も「地方創生」というキーワードを打ち出しているなか、マクロの視点での地域の可能性は高まってきているが、どんなに予算がついても、マスコミが取り上げても、最終的に一番大切な要素になるのは、やはり“人”であろう。

そのような中、キリングループでは東日本大震災復興応援支援プロジェクトである「復興応援 キリン絆プロジェクト」の一環として、2013年度から第一次産業のリーダーを育成する取り組みとして「東北復興・農業トレーニングセンタープロジェクト」(以下「東北農業トレセン」と略記)を実施している。私はこのプロジェクトにスタート時から参加しており、先ずはその概要について紹介する。

この東北農業トレセンの特徴は、農業生産者が自らの経営課題を東京のビジネスパーソンとともに考え、プロジェクトアウトの形で解決していくというプラットフォームの形成にある。東北復興の担い手である農業生産者たちがマネジメント力向上のための講義を受け、地域・業界を超えて多彩な人脈を築く場と機会が提供される一方、東京「丸の内朝大学」では「農業復興プロデューサークラス」が開講され、ビジネスパーソンたちが我が国の農業の現状・課題、プロデューサーとしての基本知識の講義を受けつつ、併行して生産者とのフィールドワークなどを通じて彼らの圃場(ほじょう)を何度も訪れ、地域の農業リーダーと本気でタッグを組み、自らの専門性やネットワークを活かしながら新しいプロジェクトを起こしていくという、我が国初のユニークな取り組みである。東北側も東京側も1年間のカリキュラムであり、私自身は、丸の内朝大学のカリキュラムに1期生として参加し、2年目以降も複数のプロジェクトチームのメンバーとして、現在も活動を継続している。

ここで、そのひとつである「遠野パドロンプロジェクト」を簡単にご紹介する。岩手県遠野市は民話の里として有名だが、ビールの香りと苦味の素となるホップの里でもある。市内で遠野アサヒ農園を経営する吉田氏(東北農業トレセン1期生)は、スペインでビールのおつまみとしてポピュラーな「パドロン」を日本で初めて本格的に栽培している。ビールの魂であるホップの一大生産地で、ビールのおつまみ「パドロン」を栽培する。

このストーリーに共感した私を含めたビジネスパーソンたちが、日本では殆ど知られていない「パドロン」の認知と遠野の風土を前面に出してのブランディング、販売ルートの開拓・拡充と生産協力農家の確保に、生産者である吉田氏と共に地道に取り組んだ。その甲斐あって、取り組み開始から2年目にはキリンシティ全店で夏の季節メニューに「遠野パドロンの素揚げ」が採用され、現在も好評継続中である。秋の遠野祭りでは、一夜限りのパドロンレストランを出店し地元にファンを獲得し、パドロン苗の定植イベントなどを通じて様々な人々や企業、団体とのネットワークを構築。さらに、吉田氏がホップ栽培を開始した一昨年からは、8月末にキリン・遠野市の協力を得て「遠野ホップ収穫祭」を開催するようになり、当プロジェクトは「遠野ビールの里構想」へと発展している。

このキリンの取り組みは、「食」を通じて繋がっていながら出会うことが殆どない生産者と消費者(ビジネスパーソン)、その両者に「東北農業トレセン」というプラットフォームで農業の課題に共に向き合う機会を作り、都市のビジネスパーソンが農業の抱える課題に「自分ごと」として取り組むきっかけを創出したところに、大きな意義を感じている。都市のビジネスパーソンが、農業経営の課題を通じて地域と関係性を持つことからスタートし、さらにその地域と農業以外の分野でも、また他の地域とも関係性を構築できる可能性がある。実際に私は、東北農業トレセンでのプロジェクトを通じて長野県などとの関係ができ、また後述の「全国地域創生トレーニングセンタープロジェクト」にオブザーバーとして参加し、様々な地域のプレイヤーとの繋がりも広がっている。

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◆東北から全国へ~「全国地域創生トレーニングセンタープロジェクト」~

東北農業トレセンの3年間の経験を活かし、2016年4月より全国展開したのが「全国地域創生トレーニングセンタープロジェクト」(以下「地域創生トレセン」と略記)。

全国の地域で食文化を中核に据えたプロジェクトや新しい地域産業を創出する“地域プロデューサー”たちを全国規模で繋ぎ、日本の地域活性化を促進するプロジェクトである。各メンバーが各地域でのコンテンツ開発や課題解決を目的とした「地域トレセン会議」および「地域フィールドワーク」を企画プロデュースし、地域・業界を超えての意見交換や人脈構築の場と機会を創り出す。地域に新しい価値を生み出すプロデューサーが連携することで、より魅力的な日本各地の食文化を掘り起こし、今後の地域創生の一役を担っていくことを目的としている。

2016年4月~2017年3月に実施された第1期には、山形市、長岡市、鹿沼市、豊岡市、長門市、那覇市など14エリアから個性溢れる経営者、プロデューサーたち14名が参加し、10回以上のフィールドワークや自主的なワークショップが精力的に行われ、様々な横連携のプロジェクトが実現している。そして、2017年4月から始まった第2期。全国から10名が参加し、第1回目の「尾道・三豊(みとよ)(仁尾(にお))フィールドワーク」が6月22日~24日の3日間に亘って開催された。私も東北農業トレセンOBとして参加させてもらった。地域創生の現場の担い手たちの生の状況を以下にレポートする。

「尾道フィールドワーク」レポート

◆プレイヤーはコンテンツに徹底的にこだわる~「尾道フィールドワーク」~

尾道では、地域トレセンメンバーの山根浩揮氏(地元で15店舗の飲食店を展開する有限会社いっとく・代表取締役)に加えて、尾道で活躍中の石井宏治氏(ディスカバーリンクせとうち・バイスプレジデント)、豊田雅子氏(NPO法人空き家再生プロジェクト・代表理事)、ヴィヴィアン佐藤氏(映画評論家、尾道観光大使)、山本淳氏(尾道市都市部まちづくり推進課)らが我々を迎えてくれた。

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最初に訪れたのは、サイクリストにフォーカスした施設構成で注目を浴びている『ONOMICHI U2』。「まちに事業と雇用を創出し、せとうちの未来を育てていく」を企業ミッションに掲げる「ディスカバーリンクせとうち」が経営する複合施設だ。元は広島県の海運倉庫(尾道市が受託管理)として使われていた「県営上屋(うわや)2号」を、サイクリストに人気のしまなみ海道の拠点として、ホテル、サイクルショップ、カフェやライフスタイルショップで構成し、サイクリングに伴う衣・食・住すべてにおいて瀬戸内の魅力を発信する施設にリノベーションしたもの。2014年3月にオープン、昨年のレジカウント客数は23万人、50万人の集客(推定)の実績を挙げているそうだ。徹底的にサイクリストのライフスタイルに拘ったサービスデザインに惹き寄せられるリピーターが多いのも頷ける。

次にフィールドワーク(以下「FW」と略記)の企画者であり地域トレセン2期メンバーの山根氏が経営する「こめどこ食堂」で、オリエンテーション。今回のFWテーマは「多様性のあるDeepな尾道教えちゃる」。何を意図しているのかはこの後、徐々に分かってくる。この場で、FW参加者の自己紹介、尾道プレイヤーの一人である豊田雅子氏の紹介があり、豊田氏の先導で今夜の宿となる「みはらし亭」に向かう。「みはらし亭」は尾道の坂の上にある築100年の茶園(さえん)と呼ばれる別荘建築を豊田氏が代表理事を務める「NPO法人・空き家再生プロジェクト」(以下「空き家PJ」と略記)が現所有者と賃貸借契約を締結し、2015年1月大改修工事着工、2016年春よりゲストハウスとして運営しているもの。尾道では古くからお茶を楽しんだり、客人をもてなしたりする別荘のことを「茶園」と呼ぶ。港町として栄華を極めた江戸時代から昭和初期にかけて、時代時代の豪商や名士が眺めの良い坂の上にこぞって意匠を凝らした別荘建築を建て、山と海が織りなす空間の中で茶園文化が花開いたとのこと。2007年、豊田氏が尾道に空き家PJを設立。昭和初期の建築物「ガウディハウス」をはじめ、ゲストハウス「あなごのねどこ」など尾道になくてはならない建物を再生、創造し続けている。豊田氏や空き家PJが関係した事例だけで、百数十軒の空き家が再生し、若い夫婦や家族の移住でコミュニティ活動も活発になっているそうだ。

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豊田氏によると「Uターンの四十歳前後の人たちが、空き家を再生して住み・起業するIターンの若者たちと地元の人々とのクッション役になっている。このことが、尾道での空き家再生の特徴のひとつ。」なのだそう。移住者にとって、その地のメンター役の存在意義はとても大きいと思われる。

次に、尾道の商店街エリアを散策、空き家PJのゲストハウス「あなごのねどこ」や蔵造りの「今川玉香園茶舗」、そしてディスカバーリンクせとうちの石井氏の案内で「尾道デニム」を訪ねる。尾道デニムプロジェクトは、尾道で働く様々な職業の方々がワークパンツとして1年間穿き続けてユーズドデニムを育てるというもの。1人当たり2本のデニムをフィッティングし、1週間穿いた1本を回収、専門業者による洗濯後のものを翌週に届けるというサイクルを1年に亘って続ける。穿き手により刻まれたストーリーを想像しながら1本のデニムを選ぶ。モノに思いを乗せ、尾道の人の魅力を伝えるユニークなプロジェクトだ。

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そして、1日目のトレセン会議は、尾道の繁華街である新開地区内の現在は閉鎖中のクラブに、尾道観光大使のヴィヴィアン佐藤氏を加えて開催。最初に、石井氏、豊田氏、佐藤氏から各自の活動報告があり、その後、いっとく山根氏のコーディネートによりFW参加者とのディスカッションへと続く。ここで見えてきたのは、尾道プレイヤーの山根氏、石井氏、豊田氏は、各自のコンテンツに徹底的にこだわりを持ち続け、お互いに切磋琢磨している姿であった。安易なもたれ合いは徹底的に排除し、それぞれが各々のフィールドで頂点を目指し、そのプロセスで相互に協力する場面も必然的に出てくる。そんなゆるい関係性が心地良い緊張感を形成しているように思えた。佐藤氏の「地元の人が自分の言葉で、まちのこと、魅力を語れることが大事だ。」との言葉どおりの尾道プレイヤーたちだった。最後に、山根氏から「このクラブにコミュニティキッチンを計画している。イメージは、サンセバスチャンの『美食倶楽部』的なもの。尾道に住んでいる人たちが食を楽しみ、食文化のレベルを向上させる場にし、新しいことを実験する場にもしていきたい。」との話で締め括られた。飲食ビジネスを彼なりのこだわりで追究する中で、いつの間にかまちづくりにも深く関わるプロデューサーの側面も兼ね備えている。その姿は、他の尾道プレイヤーにも共通していた。

2日目のトレセン会議は、「ONOMICHI SHARE」(尾道市役所の書庫であったが、ディスカバーリンク瀬戸内がカフェ、ミーティングスペース、ワークスペースにリノベーションし運営)で開催。尾道市長の平谷氏の講演からスタート。尾道の現状と課題を自治体経営の視点から非常に分かりやすくお話し頂いた。「何処かのモノマネではなく、『風土』を見る、感じる、味わうことから発想し、言ったことに拘り、地道にやり続ける。小さな成功の積み重ねが大切だ。」との言葉に大いに共感を覚えた。その後、山根氏から「プレイヤーはそのコンテンツに徹底的に拘る。その結果としてまちづくりに影響を与え、行政が応援する。汗をかいている人を見極め応援するのが行政の役割ではないか。」との話からディスカッションがスタート。民間と行政の関係性について多くの意見が出された。「各々が主体性を持ってできることをやり、その過程で協力できることは協力する。最初から官民連携を目的とするのではなく、結果としての官民連携。そんなかたちが、この尾道にはある。」との感を強くした。この場をコーディネートした山根氏、そして昨日の夕刻からずっと同行してくれた尾道市役所の山本氏に感謝をしつつ会議を終えた。

地域創生トレセンFWは、他のトレセンメンバーに地域の現状・課題を知ってもらうのは勿論だが、他の地域のトレセンメンバーやその関係者が訪れることでその地域にさざ波を起こし、その地域のプレイヤーや行政の方々を巻き込んでいく契機にすることに意義があるようだ。

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◆尾道フィールドワークの狙い、そして三豊へ

後日、今回のFW企画者である山根氏に「なぜ石井氏、豊田氏、佐藤氏に登場願ったのか?その意味は?」と尋ねてみた。返ってきた答えは、「まちづくりに関わる地域プレイヤーには企業、NPO、個人や私のような商業者など多様な主体がいる。多様な主体がお互いを認め合い、各々の活動領域を尊重し合う中で、尾道の街並みや文化が形成されている。そのことを彼らを通じてトレセンメンバーに感じて貰うと同時に、佐藤氏から多様性の大切さを客観的に分析してもらうことで理解を深めて欲しかった。また、市長にも参加して頂きディスカッションを行う中で、尾道での官民連携のあり方を感じて欲しかった。」であった。彼の言う「Deepな尾道」を垣間見る思いがした。

尾道の地域プレイヤー、行政のまちづくりへの取り組みを彼らの生の声を通して感じたことは、「多様性の尊重と相互信頼」であった。そして、その結果としての「緩い関係性」にこそ、尾道の特徴があると思う。どこの地域にでも応用できることではないが、まちづくりのプラットフォームとして、学ぶべきひとつのかたちではないだろうか。そして、今後、このプラットフォームが瀬戸内の様々な地域と関わりを持つ場面で、どのように変化・発展していくのか、引き続き注目していきたい。

さて、尾道でのFWはここで終わり、次の目的地である三豊市(みとよし)仁尾町(におちょう)へとフェリーをチャーターしての移動となった。しまなみ海道か瀬戸大橋を渡ってとなるところだが、船で仁尾に入るという地域トレセンならではのコース。ここでも新たなチャレンジがあるのだが、これ以降はまたの機会にレポートする。

和良地 克茂
ニッセイ基礎研究所 客員研究員

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