あなたは、そもそも「戦略」とは何か、と聞かれたとき、それを明確に説明することができるでしょうか?著者が、これまで自衛隊という組織において23万人という隊員を率い、リアルな「戦い」のリスクを感じながらそのオペレーションを担ってきた経験から、「戦略の本質」を考え抜いた答えがここにあります。

(本記事は、折木 良一氏の著書『自衛隊元最高幹部が教える 経営学では学べない戦略の本質』KADOKAWA=2017年12月1日刊=の中から一部を抜粋・編集しています)

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自衛隊元幹部が教える戦略
(画像=Webサイトより、※クリックするとAmazonに飛びます)

映画「シン・ゴジラ」で矢口蘭堂はこう言った

「礼はいりません。仕事ですから」

この台詞をご存じの方も多いことでしょう。

映画『シン・ゴジラ』で國村隼氏演じる財前正夫統合幕僚長が、東京を破壊し尽くしたゴジラを凍結させる「ヤシオリ作戦」を前に、主人公である矢口蘭堂(長谷川博己氏)に向けて語った言葉です。

東日本大震災と福島第一原発事故をモチーフにしたともされる『シン・ゴジラ』は、セットのつくり込みから、震災にまつわるさまざまな考証までが話題になりましたが、実際に私が東日本大震災のときに語った言葉はたしか、「国民の命を守るのがわれわれの仕事ですから、命令があれば全力を尽くします」であったように記憶しています。

大震災当時、統合幕僚長として未曾有の災害と原発事故への対応に奔走した身としても、あらためて『シン・ゴジラ』という作品は苦闘の日々と、国民の皆様からの励ましの声を思い出させてくれました。

映画を観た方にも、そのなかでの自衛隊の存在が印象に残ったのでしょう。その後、「自衛隊は東日本大震災のとき、どんな戦略をつくって実行したのか?」「そのときに、折木さんは何を考えていたのか?」というご質問をいただくことが増えました。

もちろん、そのご質問に対してはお答えできること、できないことがありますが、当時、次々に襲い来る国難に時々刻々と対処しながら、次の段階における自衛隊運用に関する防衛大臣への補佐、官邸での報告、被災地や現場部隊の状況把握と指示、米軍との活動調整、そして災害派遣活動を行ないながらの防衛・警備考慮など、複眼的な視点から複雑な戦略を実行していた、ということはいえるかと思います。

震災のような有事だけではなく、平時においてもいまだに多くの国民の方々に、自衛隊はいったいどんな活動をしているのか、ということをお伝えしきれていないのは、私たちの努力不足であり、反省すべきことです。

かつて「昭和の自衛隊」は吉田茂首相が語ったとおり、存在することに重要な意義を見出しつつ、国家のために忍び耐えながら、日本国民の安全を守るべく、黙々と実力を蓄えてきました。

それが「平成の自衛隊」になるにつれて、PKO(国連平和維持活動)や国際緊急援助活動など、国民の目に見えるかたちで、その活動範囲は飛躍的に広がり、他国の軍隊と連携する機会も格段に増えました。

もちろんそのなかで、いまなお、自衛隊が国内外の民間人に向けて一発の弾も発砲していないのは幸いなことであり、私たちの誇りそのものです。

自衛隊の役割が変化していった背景には、もちろん、日本という国が世界で果たすべき役割の変化があります。

さらにその背景には、その世界自体が、かつての常識では考えられないような変貌を遂げている、という現実があることを見逃すわけにはいきません。

わずか数年前まで、イギリスがEU(欧州連合)を離脱し、アメリカでドナルド・トランプ大統領という存在が誕生するなど、誰が予想できたでしょうか。

世界経済のグローバル化やコネクティビティ(相互接続性)が進んだ結果、考えなくてはならない要素が飛躍的に増大し、そのなかで競争に勝ち抜くためには、以前よりもより「戦略性」が求められる時代になったのではないか、と思います。

そうした戦略性が求められるのは、もちろん自衛隊だけではありません。企業も同じはずです。

以前に比べて日本企業は、国外のマーケットを強く意識するようになっています。

グローバル展開に生き残りをかける企業の戦略にこそ、世界の変化の潮流を踏まえた戦略性が求められるのは、いうまでもないでしょう。

ビジネススクールで教えられているような経営学は、そうした戦略を日夜研究しているはずです。

私自身、防衛大学校を卒業してから統合幕僚長の任に至るまで、社会人のキャリアは自衛官一筋ですから、企業における戦略がどのようなものであるのか、ということについては門外漢です。

しかし最近では幸いなことに、企業人の方とお話をしたり、議論をさせていただく機会を多く頂戴し、そうしたなかで、企業人の方がいま世界をどのように捉えているのか、どんな考え方をもっているのか、ということをぼんやりとながらも理解できるようになりました。

そのなかで、ほとんどの日本人が経験したことのない、自分のような特殊なキャリアをもつ人間が、もしかすると企業人の方にも何か参考にしていただけることをお伝えできるかもしれない、と感じたことが、こうしたかたちで出版をさせていただくきっかけとなったのです。

おそらく、私が自衛隊において経験し、考えてきた戦略と、いわゆる経営学が考える戦略とは、非常に似ているところがあり、大きく違うところもあります。

なぜ経営戦略と軍事戦略が似ているのかといえば、これはあとで詳しくお話ししますが、じつは経営戦略の考え方自体が、そもそもは軍事戦略の考え方を応用して発展してきたものだからです。

もしかするとビジネスパーソンにとっては、その事実自体が驚きかもしれません。

その一方で、まさに戦略の本家ともいえる軍事戦略の視点を踏まえたとき、いま世の中でいわれるような「戦略」があまり深く考慮に入れられていないような部分があるのではないか、ということも感じます。

そして、経済だけを考えていても、政治だけを見ていても読み解けない、まさに複眼的思考が必要とされるこれからの社会において、その考慮されていない部分がこれからますます重要になっていくのではないか、と思うのです。

たとえばそれは、戦争のような極限ともいえる状況に置かれたなかで、きれいごとではなくリアルに人や組織を動かすための方法論や、目の前の生々しい安全保障と経済がどのような関係にあるのかという、「地政学」ならぬ「地経学」的な発想のことなどです。

あるいは、自衛隊がきわめて重視しているのは、徹底的に相手と戦うために「休む(専門的な言い方では「戦力回復」といいます)」「身体を鍛える」ことですが、こうした視点を組み込んでいる戦略実行のための基礎的要素をあまり見かけたこともありません。

世の中で「戦略」はどう定義されているのか

いまや「戦略」という言葉を私たちが耳にしない日はありません。

書店では「○○戦略」と銘打った本が山積みになっています。

主に、ビジネスの世界で使われることが多い言葉ですが、たとえばスポーツ界のチーム強化策なども、いつの間にか「強化戦略」というフレーズが使われるようになりました。

行政でも、農林水産業の輸出力強化戦略、観光立国戦略など、戦略という言葉が散見されます。

しかし、そもそも「戦略」とは何か、と聞かれたとき、それを明確に説明することができるでしょうか?

本書の目的は、私がこれまで自衛隊という組織において23万人という隊員を率い、リアルな「戦い」のリスクを感じながらそのオペレーションを担ってきた経験から、「戦略の本質」を考え抜くことで、それを知見として一般の方たちに少しでも還元していきたい、というところにあります。

そもそも軍事という分野は、そのときの人類が有している知見の最先端の部分が凝縮されています。

アメリカの軍事技術であるアーパネットが現在のインターネットの基礎となったのは有名な話ですし、日本の戦後復興を担った製造業にも、その技術の根幹には旧日本軍の軍事技術があったといわれます。

あるいは、本章のなかでも説明しますが、「はじめに」でも書いたように、そもそも「戦略」という言葉は軍事からきているのです。

それでは、世の中において「戦略」とはどう定義されているのでしょうか。MBA(経営学修士)の考え方を参照してみましょう。

戦略とは「企業あるいは事業の目的を達成するために、持続的な競争優位を確立すべく構造化されたアクション・プラン」とされます。

そして戦略をもつ意義として、「明確な経営戦略を打ち出すことは、勝ち組の企業になるための条件の1つ」「企業が保有する経営資源には限りがあり、選択と集中について考えなければならない」といわれます(『[新版]MBAマネジメント・ブック』グロービス・マネジメント・インスティテュート編著、ダイヤモンド社)。

言葉を変えて説明するなら、戦略とは、企業の「持続的な競争優位」を確立するための基本的な考え方のことであり、企業は戦略を策定することで、何を行なうか、逆に何を行なわないかという事業領域を明らかにできます。

さらには経営資源(ヒト・モノ・カネ)投入の選択と集中が可能になり、どのような自社の強みを磨けばよいのか、ということがわかるのです。

「持続的な競争優位」とは何に基づくのかといえば、それは、企業が商品やサービスとして提供する「特別な価値」である、といえるでしょう。

その価値とは「絶対的」ではなく、競合他社との比較などから導かれる「相対的」なものにすぎません。

要するに、「あの会社よりもこの会社の商品のほうがいい」とか「新しく始めたサービスは以前のものよりも便利だ」という程度の差であるということです。

だからこそ、現在の「競争優位」にあぐらをかいていると、相対的な優位性の差をあっという間に縮められ、逆転されてしまいます。

デジタル化が凄まじい勢いで進展し、新しいテクノロジーによってその差がなくなるスピードは、以前よりも速まっているといえるでしょう。

そうした激しい環境変化のなかで「特別な価値」を提供しつづけるためには、イノベーション(革新)を起こして相対的な優位性を維持する経営戦略を考え、それを自社の経営資源で実現可能な事業計画や、部・課・プロジェクトチームといった現場のアクション・プランに落とし込まなければなりません。そうした計画の最上位に位置するものが、「経営戦略」というわけです。

「定石」の通じない時代だからこそ戦略が不可欠に

もう少し、MBAの「経営戦略」について、話を続けましょう。「経営戦略」の策定は、どのようなプロセスを経て行なわれるのでしょうか。

まず重要になるのが、経営理念とビジョンです。経営理念とは、自社がどのような企業になりたいのかという理想や、社会における存在意義を抽象的に表したものであり、これはたとえ経営者が代わっても、通常は一貫したものです。

その一方でビジョンとは、ある時点までに「こうなっていたい」と考える到達点のことであり、そのときどきの経営トップが考える企業の近未来の姿や、その経営者固有の経営哲学などを表すと考えてよいかと思います。

その二つを踏まえたうえで、経営戦略をつくる際の一つの方法として、社会情勢や業界などの「外部環境分析」と、自社企業の「内部環境分析」があります。

内と外の動きを踏まえたうえで、戦略オプションをつくっていくのです。そこで選択した戦略を具体的な数値目標が記された中期経営計画や単年度の経営計画・事業計画に落とし込んだうえで、実行とレビューを行なって、戦略の精度を上げていく、ということを繰り返します。

経営戦略のなかに経営環境を効果的に組み合わせることによって、より大きな収益をあげることができる、といわれます。とはいえ、いまやグローバル化した経営環境において企業が考えなければならない変動要因は、市場ニーズや競合他社の出方だけではありません。 先に挙げたテクノロジーの発展は、その変動自体を加速させています。

さらには、もはや「想定外」として処理することができないレベルの変動要因が、近年立て続けに起こっていることを、多くの人は感じているのではないでしょうか。

イギリスのEU離脱やアメリカでのトランプ大統領就任によって、これまで「常識」と思われていたマーケットのルールに大きな変更が加えられる、あるいは北朝鮮による核・ミサイル開発や、IS(イスラム国)などのテロ組織による政治・外交・経済・国際安全保障情勢の変化、さらには東日本大震災などの天災や地球環境問題など、自社ではコントロール不可能な外部要因が企業収益に与える影響、とくに負の影響が、二十一世紀に入ってから増大しているのです。

実際に東日本大震災によるグローバル・サプライチェーンの寸断、洪水が原因で生じたタイの工業団地の生産停止、欧州債務危機による過去最高水準の円高や世界経済の減速懸念は、いずれも二〇一一年という、わずか一年のあいだに生じたものです。その結果、多数の日本企業が影響を受け、事業計画の大幅な変更や業績見通しの下方修正を迫られました。

こうした時代のなかで、「定石」とされていた戦略が通じない、あるいは勝ちパターンと思っていた戦略が一瞬で過去のものになってしまう、という経験を多くの人が味わったことがあるのではないでしょうか。

とはいえ、だから現代においては戦略を立てることに意味がない、といいたいわけではありません。

むしろ逆説的ですが、こうした不透明で先の見えない時代にこそ戦略の本質を捉え直したうえで、「戦略をつくるために考え出された戦略」ではなく、「相手に勝つ」という戦略の本義を完遂するためには何が重要なのか、を考える必要があると思うのです。

私は、防衛大学校を卒業してから自衛隊の最高幹部である統合幕僚長の任に至るまで、訓練や教育、あるいは実務を通じて、戦術・作戦・戦略について考えつづけてきました。

そして、それらは失敗すれば文字どおり、部隊が敗れ、隊員に「死」が訪れることを意識したものでした。つまり、自衛隊で考える戦術・作戦・戦略は、絶対に相手に勝つ、負ければ死ぬ、というとてつもない緊張感のなかで構築されているのです。

そのなかで軍事戦略は、戦争の抑止あるいはそれに対処する場合、その目的を達成するために軍事力やその他の諸力を準備し、その運用を包括的に規定するものです。

戦いの方向性を示す根本が戦略であると理解してよいでしょう。そうした観点から、私が経験してきたことは、多くの方々に参考にしてもらえるかもしれません。

そして、その戦略の実現のためには、自衛隊は、23万人という巨大な組織を一糸乱れぬよう統合し、行動させる必要があります。

また、凄まじい速度で目的を達成するためには、巨大な組織に堅固な理念を浸透させ、組織を即座に動かさなければなりません。

企業においても、あまりに組織が巨大になってしまったため、どのようにして機動的な戦略を実行したらよいのかに、悩んでいる人は少なくないでしょう。

「戦略の本質」を考えるうえで、いまの戦略論が見落としがちであるにもかかわらず、どうしても考えなければならない問題を、まずは以下にまとめたいと思います。

見落とし 「軍事戦略」を知らずに「戦略」は語れない

先にもお話ししましたが、戦略という言葉の起源は軍事学にあります。

そして、経営(競争)戦略の多くは、軍事戦略を経営に活用・応用したものです。 これまでは軍事戦略が経営戦略のエッセンスになる、という順番で理論化がなされていて、その逆はありません。

であるならば、経営戦略の本質、ひいては戦略の本質を深く理解するには、軍事戦略とは何なのか、ということを知らなければならないはずです。

アメリカの経営コンサルタントであるカレン・フェランは『申し訳ない、御社をつぶしたのは私です。』(大和書房)でずばり、「戦略開発の発祥は『戦争状態』の軍事戦略であり、『戦略』という言葉もそこからきている。(中略)戦争の理論がビジネス戦略にどう役立つのかはぜひ理解しておきたい」と指摘しています。

以下、少し長くなりますが、軍事戦略がどのように経営戦略に取り入れられていったのかについて、要点をまとめてみましょう。

世界で最初に戦略の概念を見てとれる書物は、紀元前5世紀に孫武によって原型がつくられたとされる『孫子』です。

戦略や戦術という言葉こそ使われていませんが、『孫子』は戦争哲学をはじめとして、戦いに勝利するための国家戦略から戦術にわたる方法論を、13編からなる一連の理論体系にまとめました。

『孫子』の登場によって、戦いの勝敗は神に祈り、天運に身を委ねるものから、人間の知識と行動によって左右されるものへ進化したといえるでしょう。

欧州ではどうでしょうか。戦略的な概念を最初に確認できるのは、紀元前4~5世紀の古代ギリシャです。

古代ギリシャの将軍であり、歴史家でもあったクセノフォンは、STRATEGOS(ストラテゴス=司令官、軍団を指揮する将軍)、STRATEGIA(ストラテジア=将軍の行なう謀計、軍隊指揮)の言葉を用い、それが今日の戦略(ストラテジー)という言葉の語源となりました。

近代西欧軍事思想の開祖は、『君主論』で知られるニッコロ・マキャヴェリ(1469~1527年)とされます。

マキャヴェリはその著書『戦術論』で、国家の防衛とは、特権的な集団の任務ではなく、その社会のすべての人々に関係する重要な事項である。

そして戦争の目的は、自己の意思を敵に強要することで、戦争は「敵の完全な敗北」という明確な成果の達成をもって、できるだけ早く終了させなければならず、迅速な決着は戦闘によってのみ達せられる、と説きました。

このマキャヴェリの軍事思想を体現したのが、18世紀末のフランス革命後の混乱を収拾し、フランス皇帝に即位したナポレオン・ボナパルトです。

ナポレオンには、マキャヴェリの軍事思想を体現しなければ、誕生したばかりの近代国民国家フランスを守ることができない切実な事情がありました。

その当時、「自由・平等・博愛」を掲げるフランスに対して、王侯貴族たちの身分制度を守りたい周辺諸国は、いっせいに宣戦布告を行ないました。

そこでフランス軍は一国ではなく、多数の国の敵軍と同時に戦争を行なう必要に迫られたのです。

そこで生まれたのが、独自の補給部隊などをもち、個別に独立した作戦を展開することのできる軍事組織である「師団」。

師団とは、個別の作戦立案と、それを遂行するための最適な組織形態だったのです。

さらにナポレオンは、これら複数の師団による作戦を指揮・統制する「軍団制度」を生み出して、欧州の敵国を圧倒しました。

じつは、ナポレオンの軍団制度は、企業の「事業部制」とほぼ同じ制度ともいえます。 二十世紀の企業史の分析からナポレオンと同じ結論を導き出したのが、1962年に出版された“Strategy and Structure”(邦訳『組織は戦略に従う』ダイヤモンド社)でとみに有名な、歴史学者のアルフレッド・チャンドラー。

チャンドラーは「戦略」という軍事用語を経営学の文脈で初めて使った人物としても知られています。

同書のなかでチャンドラーは、20世紀の企業が膨張して事業を多角化する過程において、単一の指揮系統ではコントロールができなくなり、目標達成のために最適な組織形態を求めて「職能部門別制」から「事業部制」への転換が行なわれた、ということを解明し、世界に衝撃を与えました。

ちなみに、そのナポレオンの革新的な軍事戦略の前に敗れたプロイセン王国の軍人だったのが、かの有名な『戦争論』の著者、カール・フォン・クラウゼヴィッツ(1780~1831年)です。

クラウゼヴィッツは戦争の本質の解明を主として追求し、近代的な意味で最初の戦略を定義するとともに、戦略と戦術との明確な概念区分を行なって、近代軍事学の基礎を確立しました。

折木 良一(おりき・りょういち)
1950年熊本県生まれ。自衛隊第3代統合幕僚長。72年防衛大学校(第16期)卒業後、陸上自衛隊に入隊。97年陸将補、2003年陸将・第九師団長、04年陸上幕僚副長、07年第30代陸上幕僚長、09年第3代統合幕僚長。12年に退官後、防衛省顧問、防衛大臣補佐官(野田政権、第2次安倍政権)などを歴任し、現在、防衛大臣政策参与。12年アメリカ政府から4度目のリージョン・オブ・メリット(士官級勲功章)を受章。