お金持ちになるための手段は大きく2つ、「仕事」と「資産運用」です。
仕事で多くの報酬を得続けるためには、小さなことの積み重ねが必要で、お金持ちの人とはそれを知っている人なのです。そんなお金持ちの考え方とはどんなものなのでしょうか。
(本記事は、中桐啓貴氏の著書『日本でお金持ちになる人の思考法』=クロスメディア・パブリッシング/インプレス、2012年10月11日刊=の中から一部を抜粋・編集しています)
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資産を社会に還元する
「お金をできるだけ稼いでから死にたい」とか、「稼いだお金でもって評価されたい」と、お金に固執している人の元にお金は決して集まりはしません。
一方お金持ちの人は、自分の手元にお金が多く残っていることを偶然だと言います。運に恵まれただけ。優秀なビジネスパートナーにたまたま巡り会えただけ。このように考えているからこそ、「社会が私にお金を貸してくれているんだ」と感じ、ボランティアや寄付によって、また社会に還元していこうとします。借りたものは返さなくてはなりません。
日本だけではなく、世界を見ても子どもや家族のために資産を残さない人が金持ちになる傾向が強いようです。マイクロソフト創業者のビル・ゲイツも、何兆円という資産があるのにも関わらず、子孫には最低限しか資産を残さないと宣言しています。
また、ある資産家の方は数千万円かけて地図を集めています。地図と言っても、数百年前の世界中の歴史的資料として価値があるような地図です。地図を集めるのは趣味でもあるそうですが、それらをユニセフを介して小中学校の図書室に置いてもらっています。子ども達に歴史的価値のあるものに興味をもってほしい、そんな気持ちから行っているそうです。
お金持ちの人はこのように資産を社会へ返そうとします。
誰もがはじめからお金は社会からの借り物だと考えることはできません。ビジネスを始めるまで、それなりに稼ぐことができるようになるまでは、お金を稼ぐことばかりに執着してしまうものでしょう。
ビジネスを通して成長していく上で、「自分のために稼ぐ」から「社会にお金を還元していく」意識にシフトするきっかけに必ず巡り会います。そのきっかけに巡り会ったときにお金を社会に還元していこうと思えるかどうか、それがお金持ちになれるかどうかの境界線す。
大欲を追いかける
良い車に乗りたい。良い家に住みたい。お金持ちになりたい。 これらはすべて「小欲」です。読んで字のごとく、小さい欲。器が小さいから、欲もちっぽけになってしまいます。自分にしか欲の焦点が合っていません。
お金持ちの望みは小欲の枠には収まりません。世の中を変えたい。人を助けたい。社会貢献したい。世の中に影響を及ぼしたい。そんな「大欲」を胸に秘めています。
私のお客様のある弁理士の方は、500人もの弁護士、及び弁理士を抱える事務所を経営しています。彼がそこまでビジネスを展開させるに至った仕事のモチベーションは何なのかと聞きました。するとその方は、「あまりよく知られていない弁理士という仕事を、もっと世間に認知してほしいんだ」と答えてくれました。その方に今度は、お金持ちになりたいと思ったことはありますか、と質問すると、今度は少しムッとしてこう答えました。
「そんなこと1度も思ったことはありません。いかに良い仕事をして“思い”を果たすことができるかどうか、それだけです」
その方も大欲を抱えていて、それだけをひたすら追い求めているのです。
社会に語りかけたいという大欲の具体的な形は人それぞれですが、お金持ちの人に共通して言えるのは、自分の大欲が何であるのか、自分でしっかりと把握できていることです。大欲がはっきりしていれば、過去、未来を含めた自分の人生を大きな視点から見ることができます。そのため、本当に今やらなくてはいけないことがわかるからです。
「気がついた時に残っているのが本当の資産だ」。渋沢栄一の言葉です。
大欲を夢中になって追い求めれば、口座にいくら貯金が残っているか、そんなことは気にもなりません。仕事に一生懸命になり、忘れた頃に確認すると大金が貯まっていた。お金持ちの人は、いつのまにかお金持ちになっているものなのです。
一方で、大欲はそう簡単に実現できはしません。しかし、彼らは楽しみます。楽しみながら大欲を追いかけるのです。
半分は相手、半分は自分のために働く
お金持ちの人は社会のため、お客様のために必死に働きます。すべては相手を思ってのことですが、自分を滅することはできません。半分は相手のため、半分は自分のため。このくらいのバランス感覚でお金持ちの人は何事にも取り組んでいます。
100%自分のためというのでは傲慢になってしまうので明らかに良くありませんが、100%相手のためと考えていても、自分が身を滅ぼすことになるだけです。「自分」がなくては何事もなすことはできません。
自分50%、相手50%の感覚とは具体的にどういった感覚なのでしょうか。
仕事によって得られるやりがいは自分のため、仕事によって生まれた成果はすべて 自分以外の人たちのため。そのような感覚が/に最も近いのではないかと、多くの富裕層の方を見て思います。
ただ「自分」と「相手」の順序を誤ってはいけません。江戸時代後期、農村復興政策を指導した農政家で思想家の二宮尊徳の逸話に「たらいの水」の話があります。たらいに張った水は、自分の方にすくい寄せようとすればするほど、奥の方に逃げていってしまいます。反対に向こうの方へ水を押してあげることで、結果的に水は自分の方へと集まってきます。
商売も同じで、儲けようと思ったらまずは相手に利益をもたらさなければならない、そうすれば結果的には自分に利益が還ってくるものだ、と説いているのです。まずは「相手」、次に「自分」の順番です。
またアダム・スミスは、一見社会に何の利益ももたらさないように見える個人の利益を各個人が追求すれば、「神の見えざる手」によって社会全体の利益となるような理想的な状況が生み出される、と説きました。「相手」、すなわち社会のことを優先して考えれば、それが自分の利益となり、自分の利益が「見えざる手」によって、再度社会のためとなる。よくできていると思いませんか。
無私の行動により徳を積む
会社勤めしている人は毎月仕事をした分だけ給料を払われるわけですが、縁や成長が所得の増分として額面に反映されるまでには時間差があります。
そのために、本当に縁や成長がお金につながるのかと疑心暗鬼になってしまうのですが、その時間差の捉え方次第で、努力を続けることができるか、やる気を失ってしまうか、その後の行動が変わってきます。
努力を続けている間は「徳を積む」期間であり、徳がある程度貯まると運が向いてくるものであると、彼らは考えています。
広辞苑によれば「徳」には、
1.善い行いをする性格。身についた品性。
2.人を感化する人格の力。
という意味があります。
また、論語で孔子は次のようにも述べています。
「徳は弧ならず、必ず隣あり」
徳のある人は決して孤立せず、必ず良き協力者に恵まれる、という意味です。
性格、品性、指導者としての魅力、協力者。組織をまとめる者として、お金を集める基盤として必要なものが徳にはぎっしりと詰まっているのです。
徳は無私の行動によってしか積むことはできません。ですからお金持ちの人は時間差が発生している間も、仕事をすることによってお金はすぐには得られないが、徳は得られる、そう考えることでモチベーションを保っています。
職場で自分の仕事と関係ないことを頼まれたり、目の前の困っている人を助けたり、ボランティア活動に参加したりと、まったくお金にならないことに対しても、お金持ちの人が快く請け負うのは、それによって徳を積むことができると考えているからです。
損得勘定を抜きにして善い行いができる、それがお金持ちの人です。
挫折から謙虚さを学ぶ
まったく同じ成功を収めた二人がいたとします。一人は成功に至る過程で一切失敗も挫折もすることがありませんでした。もう一人は失敗の連続、挫折も経験し、辛酸を舐めてきたけれども、どうにかこうにか成功をつかみ取ることができました。どちらの人の方が良いと思いますか。
たいていの人は、同じ結果に終わったのなら、順風満帆に成功にたどり着いた前者の方が良いに決まっていると思うでしょう。辛い思いなんて、する必要がないのならしたくありません。
しかし、お金持ちの人は後者、苦労して成功をつかみ取った方が良いと考えます。成功よりも失敗からの方が学ぶべきことが多いからという理由もありますが、何よりも社会の荒波にもまれて生きてきた方が「角が取れる」と考えているからです。
挫折を味わったことのない人は、傲慢になってしまいがちです。「失敗したことなんてないんだから、俺の言う通りにやれば大丈夫」、そう思い込んでしまいます。
一方で、挫折はしたけれども成功した人は、立ち直った経験があるはずです。一人で立ち直ることはできるのでしょうか。
挫折からどうやって立ち直ったのですかと聞けば、友人、家族、恋人、同僚がいたから、支えてくれた人がいたからだと必ず答えてくれます。
これはお金持ちの人に限りません。挫折から立ち直ったときに、周りの人の存在を大きく感じることができます。この体験を経てこそ角がとれ、謙虚になることができるのです。
お金持ちの人は謙虚です。新入社員にもお礼が言える、部下の助言を素直に受け入れる、褒められても自惚れることがない、常にそんな態度です。
必要以上にプライドの高い人もいますが、そういう人にお金持ちはいませんし、たまたま事業がうまくいってお金を手にしたとしても長くは続きません。改めて挫折することでしか謙虚さを学ぶことはできません。
センスにこだわる
私の会社のオフィスには、ガラス張りになっている来客用のブースがいくつかあります。今のオフィスに移った時にデザイナーに依頼してつくってもらいました。お客様の眼に適うようなものにしようと、かなりこだわりをもってお願いしたのですが、結果、そのこだわりに気づいて「いいですね」と言っていただけるのは、お金持ちの人ばかりです。
絵画を見て、音楽を聞いて、料理を食べて、心から「いいですね」と思うとき、そう言えるのはセンスがあるからです。人と会話するときには、言わずともわかること、一定の共通の理解が必要です。そのレベルをお金持ちの人に合わせなければ、彼らと対等に渡り合うことはできません。
人付き合いだけでなく、さまざまな場面でセンスが必要です。目が利けば、実際には安価でも高価に見えるものを選ぶことができますし、良い商品、良いサービスを企画するためには努力に加えセンスがなければ、なかなか難しいと思います。
センスを磨くには経験値を増やすしかありません。良いものに触れ、その「良さ」が何に起因しているのか考え、体の隅々まで浸透するように無意識のレベルにまで落とし込む努力だけがその感覚を鍛えます。
センスを磨くために、本当に良いものしか見ないようにしているお金持ちの方が、私のお客様にいます。
絵画好きのその方と一緒に美術館に行ったときのことです。通常の展示とは別に、特別展としてリトグラフ展が開催されていました。リトグラフとは版画の制作方法の一種ですが、その特別展ではリトグラフで制作されたレオナルド・ダ・ウ゛ィンチやピカソなど、有名画家の作品が展示されていました。おもしろそうだと思い、その方を特別展に誘うと断られてしまいました。版画でつくられたものは結局偽物。偽物を見れば目が衰えてしまう、というのが断られた理由でした。偽物に慣れてしまえば、偽物が本物に見えてしまうこともあるかのかもしれません。
あらゆるものの中から良いものを選ぶことができるのがお金持ちの人です。
コンプレックスをモチベーションにする
持って生まれたものに対して自分が嫌に思っているものが、若い人の思うコンプレックスです。コンプレックスを原動力に仕事に取り組む人が、お金持ちの人には多くいます。ただそのコンプレックスは、持って生まれたものに対してではなく、仕事に対して思うことです。
ある生命保険会社に勤めている営業マンの方は「保険屋さん」と呼ばれたくない、他の営業マンと同じ呼び方で括られたくない、ましてや他社の営業マンなんかと、そんな思いから一生懸命仕事に取り組み、トップセールスマンに上りつめたそうです。証券会社の営業マンにも「株屋さん」と呼ばれたくないと言って仕事に励んでいる方もいます。
突っぱねられやすい飛び込み訪問をする営業マンは、ことのほかコンプレックスを強くもっているのかもしれません。広告業界が未成熟で歩合の世界だった頃、契約をとるために無茶する人も多く、訪問先の玄関前には「広告会社の方お断り」の立て看板があったりしたそうです。広告会社で働いてきた私の70代のお客様は、その看板を見る度に「なにくそ」と思い、それをモチベーションに変えていたそうです。
私自身も仕事をする動機は、コンプレックスによるものが大部分を占めています。私はファイナンシャルプランナー(FP)として仕事をしているわけですが、日本ではFPと言えば、一家の家計を見て削られる部分を見つけ指導することで貯蓄を増やす、いわば節約コンサルタントのようなイメージが強くあります。
一方私が目指すのは、そのようなお金を使わないことで資産を増やすFPではなく、投資などお金をうまく使うことで資産を増やすFPです。一般的に知られているFPのイメージも一新させ、もっとFPの地位を向上させたい、そんな思いで仕事に取り組んでいます。
コンプレックスは心の底の底にあるものが起源となっています。大きな資産を築くためには長い時間がかかります。時間がたっても色褪せない動機とぶれない軸に、心に強く根を下ろすコンプレックスをあててみてはいかがでしょうか。
自己満足をしない
人間の欲望は底なしです。ある欲望を満たしたとしても、また次の欲が生じてきます。お金持ちの人の欲するもの、その1つが「成長」です。成長しようと思う気持ちを何よりもまず優先し、それを満たすために行動します。
お金持ちでない人を見ると、成長欲を肯定していないように思うことが多々あります。うまくいかないからあきらめる、がんばっても無駄、そう彼らが言うのをしばしば耳にします。できない理由にしているだけです。
成長に対する貪欲さ、これがお金持ちの人に共通するものですし、お金持ちになろうと思ったら必要不可欠です。年収が増える、役職が上がる、部下が増えるなど、成長の結晶の形はさまざまですが、成長なくしてお金が集まることはありません。
私のお金持ちのお客様からも、成長に対する貪欲さを感じ取ることができます。医師やコンサルタントなど専門職に就いている方は、新しい知識や技術をどんどん吸収しようとしていますし、経営者の方は時代に取り残されることのないよう、売上や利益、事業規模の拡大と、結果を求める姿にただならぬものを感じます。貪欲さがなければ時代に取り残され、いつか没落してしまいます。
自己満足。仕事をする上で最も戒めなければならないものの1つです。自分の満足の基準が、お客様やビジネスパートナーなど、接する相手の満足の基準より低いこともありますし、そもそも求めているものがまったく異なっている場合もあるでしょう。そこで自己満足だけを追い求めていれば、人は離れていってしまいます。
お金持ちの人は決して自己満足に陥ることがありません。周りの人に認められない限り満たされることはないからです。成長についても同様、人に「成長したな」と言われてはじめて成長欲は満たされます。
成長に飽き足りない人は、他人に認められるまで決して努力を怠ることがありません。その努力と成長が周囲に確実に認められるので、信頼を集めることに、ひいてはお金につながります。
住む場所にこだわる
皆さんは住む場所にこだわっていますか。
お金持ちの人は閑静な高級住宅街を住む場所に選ぶイメージを皆が持っていると思います。私のお客様でお金持ちの方も皆、「東の田園調布、西の芦屋」に代表される住宅街や京都の情緒溢れる街を住む場所に選んでいます。
また、家の造りにも相当なこだわりが見られます。フィットネスルームやワインセラー、防音室など、趣味嗜好に合わせて、住む人が生活を十分に満喫できるように工夫が凝らされています。
お金持ちの人が家に求めるもの、住む地域に求めるもの、それは安息です。
自宅は生活の基盤。日々の仕事の疲れを癒す場所。人生のうちの大きな割合を、家で過ごす時間が占めているはずです。ですから、住む場所は住む人の人間性に大きく影響してきます。
最近は引っ越ししてもご近所に挨拶回りすることも少ないそうですが、定年近くになると必ず近所付き合いが増えてきます。高級住宅街に住めば周りに住んでいる人も同じようなレベルの資産をもち、ビジネスマンとしても優秀な人が多くいます。定年退職後もそういう人たちと付き合いたいとお金持ちの人は思っていますし、近所付き合いがビジネスへと発展する可能性もなきにしもあらずです。
会社に近ければどこでもいい、家賃が安ければ安いほどいいなどと、いいかげんに住む街を選び、結果街が汚い、夜通し騒ぎ声が聞こえる、車通りが激しい等、環境が悪質であった場合、悪態ばかりつくようになって心が廃れてしまいます。そこにいるだけで疲れるような場所をお金持ちの人は選びません。
住む場所を選ぶのに、手元にあるお金や人間関係を優先して考えてしまってはいませんか。引っ越しが面倒だからと妥協してしまってはいませんか。お金持ちのように、安息をもう少し優先してみてはいかがでしょう。
一度お金持ちの住む街に行って雰囲気を味わってみると、仕事に対するモチベーションも上がるのではないかと思います。
師匠を持つ
皆さんには師匠と言える人がいるでしょうか。生き方、考え方を吸収したいと思えるような師匠を挙げられる人は非常に少ないでしょう。
その上、自分には師匠がいると言う人にそれは誰なのか聞くと、テレビで見て、著書を読んで、講演を聴いてでしか知らない有名人である場合がほとんどです。自分と距離が遠い人になってしまっています。
お金持ちの人には必ず師匠とする人物がいますし、その人物は同じ業界で働く親しい人である場合がほとんどです。先輩や友人など、その人の性格、長所から欠点に至る隅々までを把握しているような人を目標に定めるとよいでしょう。
ある50代のお金持ちのお医者様は、同じく医師である70代の先輩を師匠としています。その先輩が主催する会合には必ず足を運びますし、仕事の相談、プライベートな悩み相談もその方にしているそうです。つけ回さんばかりの勢いでその方と行動を共にし、少しでも近づこうという姿勢です。
別の業界で働く人よりも、同じ業界で働く人から技術や考え方を学んだ方が実践に応用しやすいでしょう。
また、親しい人を目標とすることで、その人が具体的にどう行動しているのか把握できますし、その人の行動を真似るだけである程度近づくことができるはずです。
メディアを通してしか知らない人を目標としても、どんな過程を経て現在の生き方、考え方に至ったのか詳しく知ることはできませんし、メディアを介せばある程度誇張されて伝えられるので、本当にその人が自分の思う理想像であるかどうか判断できません。
同じような業態であっても、確固とした目標や志のある企業とない企業で、その後の業績に大きな差が出てしまうのと同様、目標となる師匠がいる人といない人では、その後の成長に必ず大きな差が生まれます。
付き合いのある人たちの中から、自分の師匠を探してみませんか。思い当たらないのならもっと出逢いを求めなければなりません。
中桐啓貴(なかぎり・ひろき)
ガイア株式会社代表取締役。山一證券株式会社を経て、メリルリンチ日本証券大手町支店にて個人富裕層へのコンサルタントとなる。退社まで常に1500人中トップ10の成績を残し、最年少でシニア・ファイナンシャル・コンサルタントに昇進。留学のため退社し、アメリカ、ブランダイズ大学院にてMBA取得。帰国後、独立系FP会社、ガイア株式会社を設立。