神田は、戦前の街並みも残る風格のある街だ。丸の内のオフィス街や霞が関の官庁街にも近い。にもかかわらず、地価は低い水準にとどまってきた。そんな神田に今、若い人が集まり地価も上昇している。神田が復権した秘密は何なのだろうか。

神田,地価
(画像=PIXTA)

江戸っ子といえば神田の産まれが自慢

「呑みねえ、呑みねえ。江戸っ子だってねえ」「オゥ、神田の生まれよ」

浪曲師として名を馳せた二代目広沢虎造の代表的演目、「石松三十石船」の有名な一節だ。

「いきな深川、いなせな神田、人の悪いのが麹町」なる戯言も残る。「浮世女房洒落日記(木内昇著)」には、いなせな江戸っ子が暮らす神田の風情が描かれている。商売は放りっぱなしで酒と喧嘩と祭りに明け暮れる亭主、その亭主の尻を叩く働き者の女房、みんな人情に厚い人たちだ。

かつて「神田区」と呼ばれた一帯が今の神田だ。戦後に麹町区と合併して今の千代田区となったが、神田小川町・神田錦町など多くの街が「神田」の名を残している。そんな神田の街には今でも往年の風格が漂う。とくに「奇跡のトライアングル」と呼ばれる須田町・淡路町周辺は戦災による焼失を逃れた戦前の街並みが今でも残る。

甘味処の「竹むら」、あんこう料理の「いせ源本店」、鳥鍋料理店の「ぼたん」といった東大震災後に建築された木造家屋がこの街には現存する。銅板建築の住宅街も非常に珍しい。付近を散策するだけで、すっかり江戸っ子気分に浸れること請け合いだ。

最近見直されてきた神田の価値

こうした古い町並みが残る一方で、区画や道が狭いこともあって周辺の再開発は遅れた。周辺の丸の内・六本木・湾岸エリアに人気が集まる一方で、神田は取り残された格好だった。

神田の公示地価は半世紀前には丸の内の約半分だった。その差は年月を経るごとに大きくなり、リーマンショック前後には1/16まで拡がった。埃のかぶった古臭いイメージが嫌われたのだ。

そんな神田が最近見直されている。霞が関の官庁街や丸の内のオフィス街まで電車で一駅という利便性の高さにもかかわらず、地価が割安な水準にとどまっている点が再評価され、オフィス拠点としても注目されている。

神田といえば古いビルが多いとのイメージが強いが、2015年4月には博報堂・三井住友海上・住友商事などが5社共同で手掛けた「テラススクエア(錦町)」が竣工した。ここ1年でも、ユニゾ内神田一丁目ビル、oak神田鍛冶町、ミレーネ神田PREX 、英ビルなどの完成が相次ぎ、ビジネス拠点として神田の魅力を高めている。

神田のオフィス人気は数字にも表れている。不動産リサーチCBREのオフィスマーケットビューによると、神田・飯田橋周辺の2017年末オフィス空室率は1.0%(前年より0.8ポイント低下)は、人気エリア(渋谷・港・中央・千代田・新宿)の平均より0.4ポイント低い。家賃も2%ほど上昇している。

街の雰囲気に変化も

古本屋の街というイメージも変わった。街には若いビジネスマンが目立つようになり、飲み屋も立ち退きが出るとすぐに埋まるという以前では考えられない状況だ。最近では、デザイナー出身が神田猿楽町にリンゴ店をオープンして地元の話題になるなど、若手経営者の進出も目立ってきた。神田の街が気に入り、店を構えるのだ。

神田上水として作られた神田川も一時はかなり汚れてしまったが、地域住民、地元企業、行政による継続的な取り組みで美しさが戻りつつある。昌平橋周辺にはテラス式のスペイン料理・中華料理の店も立ち並び、神田川の風景を楽しめる新しい空間に変貌した。

古き良き点を残しながら新しい文化も受け入れる下町・神田、日々新しい魅力を増しつつある。(ZUU online 編集部)