日本型雇用システムは限界を迎えている!

日本人の働き方
(画像=The 21 online)

日本の雇用システムは、実は日本独特のものである。それを決定づけたのが高度経済成長期。以来、日本人の働き方はどのように変わってきたのだろうか。それを理解することで、今問題となっている働き方の原因と、今後の目指すべき方針が見えてくる。そこで、各年代のキーワードとともに、日本人の働き方について、人事コンサルタントの城繁幸氏に解説いただいた。

高度経済成長期~安定期(1960~70年代)

KEY WORD
「新卒一括採用」「年功序列」「終身雇用」「解雇規制」

1965年からの10年間で、日本の経済規模は2倍の成長を遂げました。この「高度経済成長期」は、日本型雇用形態――即ち新卒一括採用、年功序列、終身雇用システムの幕開け期でもありました。

実はこの時期以前の日本は、能力次第で出世もできれば解雇もされる実力主義社会でした。しかし経済成長で需要が急伸するに伴い、企業は労働力の安定的確保を目指すようになります。

折しも同時期、団塊世代が社会に出て、労働力も潤沢に。そこで企業は新卒を一括で採用、年次とともに昇級させ、定年まで雇用する方式を採り始めます。その環境は当然、働き手にとっても安心感大。両者のニーズが合致したかたちで、終身雇用は徐々に定着しました。法制度も、その流れに応じて解雇規制を強めます。以降、日本は世界一「解雇しづらい国」となって現在に至ります。

ちなみに終身雇用は、「長時間労働」「転勤」という独特の労働のかたちも生み出しました。諸外国では、人手が足りない時期やエリアがあれば、それに応じて人を増やす・減らす方法をとりますが、日本は「解雇できない」ゆえに簡単に人員補充ができず、人員が足りなくなっても、今いる人でカバーしなくてはなりません。残業・転勤という日本独自の労働形態は、実は終身雇用を守るための策なのです。

バブル経済期(1980年代)

KEY WORD
「売り手市場」「モーレツ社員」

80年代には、終身雇用が完全に定着。自治体にも民間にもこのシステムが浸透し、80年代後半には、大卒が空前の売り手市場に。

従業員の長期雇用によって技能が蓄積され、ハイレベルな技術力──とりわけ製造業における競争力が飛躍的に向上。その多大な成果は世界の注目を集め、国外でも日本型雇用を研究する経営学者が少なくありませんでした。

言わば日本型雇用の「黄金期」とも言えますが、その中で一つ見落とされていた点があります。それは、人件費がどこまでも膨らむこの雇用形態を維持するには、「経済がどこまでも成長し続けなくてはならない」ということです。常識的に考えて不可能ですが、それができる、となぜか皆が思っていた時代でした。

まさにモーレツ社員の全盛期でもあり、働き手の労働意欲も非常に高く、残業はもちろん、徹夜も当たり前。実は過労死の数は、現在より上でした。

それらが社会問題化しなかったのは、働き手自身が納得していたからです。働けば対価が得られる、ポジションも上がる、いずれは役員になれる……。

今の感覚からすればかなり無理のある予測を、皆が信じられた時代──成長はいつまでも続く、と当然のように思えた時代でした。

バブル崩壊~失われた20年(1990年代)

KEY WORD
「就職氷河期」「失われた20年」「ワークライフバランス」

「バブル崩壊の年」とされるのは1990年。それが雇用に影響が出るまでにはタイムラグがあり、91年の企業の新卒採用人数は史上最大、新卒求人倍率は2倍超と売り手市場全盛でした。翌92年には企業がようやく停滞感を抱きますが売り手市場は継続。空気が一変するのは、93年からです。

成長が止まって人件費の負担が深刻化するも、社員の解雇は法的に困難。そこで取った策が、新卒採用の抑制でした。そこから長い就職氷河期が始まります。次いで行なわれたのが、昇給・昇格の抑制です。年次が上がっても昇給ナシ、後輩が入って来ず業務量は増加、ポジションも据え置きに。

働いても報われない時代になったことで、これまで問題視されてこなかった長時間労働などの労働環境に対する疑問が、初めて働き手の中に芽生え始めます。

90年代と2000年代は失われた20年という名のとおり、20年間ほぼ同じトーンで停滞が続きますが、唯一の変化は、そうした疑問や不満が、後になるほど大きくなったということでしょう。その変化は、やがて「働き方」そのものの見直しという意識に至ります。ワークライフバランスが注目され始めた2000年代、「社員は会社のために身を削って当たり前」という価値観は終わりを迎えました。

グローバル化の時代(200年代以降)

KEY WORD
「グローバル化」「少子高齢化」「外資系企業

2000年代に起こった大きな潮流グローバル化。新興国の台頭による国際的な企業間競争の激化に加え、少子高齢化による国内市場の縮小、働き手の不足が顕在化してきました。

国内での外資系企業の存在感は増大し、有力大学の学生たちの多くが外資系を志望するように。90年代に花形だったメガバンクは、外資系金融やコンサルティング企業に入れなかった学生がしぶしぶ行くところ、という位置づけになりました。国内メーカーの凋落はさらに激しく、学生の人気企業ランキングから姿を消す一方、日本ロレアルやユニリーバ・ジャパンなどの外資系メーカーが人気に。これらの企業は革新的な人事制度が特徴で、裏を返せば日本の人事システムが不人気であることを意味します。

一方、日本企業の外国人人材への訴求力もいま一つ。原因は、やはり人事です。残業や転勤や年功序列に基づく給与体系が不評で、優秀な外国人は中国や米国に流れてしまいます。

年功序列とは、人の能力(≒経験年数)に即した「職能給」のシステム。それに対し、人ではなく仕事の価値に即して払われるのが「職務給」。世界標準は言うまでもなく後者です。日本にしか通じない(しかも成長期以外は役立たない)制度は、完全に限界に達したと言えるでしょう。

これから目指すべき働き方とは?

日本の人事制度は、向こう10年以内に必ず変わると私は見ています。終身雇用に守られた人材の集まりでは、国際競争で太刀打ちできないからです。

近年はエリートの海外流出も顕著です。こうした動きが危機感を喚起すれば、いずれは法規制にも風穴が開くでしょう。

そのときに備えて、ビジネスマンの方々は「勝負できる人材」にならなくてはいけません。配属を会社が決めるシステム下、日本人は「キャリアは会社が決めるもの」だと思っています。しかし、今後は自分の勝負できるスキルを見定め、その職能を磨く時代です。

「自分にはそんな能力はない」と決めつけるのは禁物。まずは(転職のつもりはなくとも)人材紹介会社にエントリーを。コンサルタントの分析により、自分の市場価値や、伸ばすべきポイントをつかめます。40代ならば、20年間の蓄積がきっとなんらかの価値へと結実しているでしょう。

40代の可能性はこれからさらに広がります。70年代は55歳だった定年の年齢は今65歳。いずれは70歳になるでしょう。時間はあと30年もあるのです。新たなチャレンジへ、ぜひ踏み出しましょう。

城 繁幸(じょう・しげゆき)人事コンサルタント
1973年山口県生まれ。東京大学法学部卒業後、富士通に入社。2004年に独立。人事コンサルティング「Joe's Labo」代表取締役を務める。雇用問題のスペシャリストとして、「若者の視点」を取り入れた独自の主張を展開。著書に『若者はなぜ3年で辞めるのか?』(光文社新書)、『7割は課長にさえなれません』(PHP新書)など。≪取材・構成 林加愛≫(『The 21 online』2018年3月号より)

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