脳科学者が解き明かす「妬み」の正体~「シャーデンフロイデ」という感情~

妬み,中野信子
(画像=The 21 online)

人の感情の中でも厄介なのが「妬み」だ。とくに昨今、有名人や成功者の失敗をネット上で糾弾して「メシウマ」と喜ぶ風潮がある。ところが、この現代社会の闇を象徴するような感情には「シャーデンフロイデ」という学術名があり、誰でも持っている感情なのだという。脳科学者の中野信子氏にお話をうかがった。(取材・構成=鈴木初日、写真撮影=まるやゆういち)

この世で一番怖いのは「普通の人」

誰かが失敗したとき、誰かを引きずり下ろしたときに思わず湧き起こってしまう喜び。「メシウマ」とも呼ばれるこの感情は、誰にも覚えがあるはず。人の持つ感情の中でも最も複雑で厄介なものの一つと言えるだろう。この感情「シャーデンフロイデ」の持つ意味を、脳科学の立場からわかりやすく解き明かしたのが中野氏の近著だ。

「以前、『サイコパス』(文春新書)という本を出したときには、『自分がそうなんじゃないか』『うちの会社のあの人は、もしかして』といった感想が多く寄せられました。しかし、サイコパスは意外に多いとはいえ100人に1人程度です。それよりも、残り99人の普通の人の中にあるもののほうが、もっと恐ろしいのでは……ということを書いてみたいと思ったのが、執筆のきっかけでした。

サイコパスは平気で嘘をついたり、罪悪感を感じなかったりといった反社会的な人格の持ち主ですが、他人が不倫をしていたからといって無駄に攻撃したりはしません。これに対して、『普通の人』はそれを放っておけない。それまでほとんど興味のなかった目立つ人の不倫に怒って『謝罪を』と思う。あるいは、『行動を改めさせなくてはいけない』と考える。ワイドショーやネット上で常軌を逸したバッシングが起きるのはその表われです。

このとき、叩く側は自分は正しいことをしていると思っている。それどころか、『これは世の中を正すために必要なことだ』と考えてさえいます。自分が正義の側に立って、世のため人のために活躍できるのですから、そこには大きな快感が立ち現われてきます。これは、脳機能画像を撮像すると、人が失敗したときに喜びを感じることからも明らかです。自分自身が正義の権化になれる、その喜びを感じたくて、大衆はひそかに『この人は叩いてもいい』という次の標的を潜在的に探しています。こうしたシャーデンフロイデのメカニズムを、多くの人に知ってほしいと思ったわけです」

「残業してるふり」は心理学的に正しかった!?

今や、たとえ著名人でなくても、SNSに不用意な書き込みをすれば「炎上」することは珍しくない。まして、会社などの自分が属するコミュニティの中で「引きずり下ろし」の標的になる可能性は誰にでもある。では、普通の人が他者からのシャーデンフロイデの餌食にならないためには、どうすればいいのだろうか。

「それについては、古くから言い聞かされてきたことが対応の参考にはなるでしょう。沈黙は金。空気を読む……といったことです。目立ったり、自分だけ得をしているように見えると標的になりやすい。目立たないように大人しくしておけば安全ということです。

改めて言うまでもなく、この戦略は私たちにしみついています。むしろ、それを破ることは難しいでしょう。

たとえば、最近は『働き方改革』が提唱され、長時間労働を是正しようという声が大きくなっています。しかし、現実にはとくに仕事がなくても残業しているふりをする、というのが相変わらず合理的な戦略になっていると聞きます。自分だけラクをしているわけではない、ということを周囲にアピールでき、そのことによって攻撃を避けられるからです。

寝ていない自慢や病気自慢の類も同じで、『自分も大変なんだよ』『みんなよりラクや得をしてるわけじゃないよ』というアピールとして有効なわけです。

このことを無視して、『ダラダラ残業するのはやめよう』『寝ていない自慢は無能の証拠だ』などと主張しても、周囲へのアピールという有効な機能がそれらの行為にはあるわけで、その機能の代替案を示さない限り、解決は難しいでしょう。こういう『正論』を唱えられる人は、自分だけ定時に帰ったり、言いたいことを言ったりしても攻撃を受けないだけの力を持っている人です。

バッシングにはリベンジのリスクが低いから起きるという性質があるので、リベンジのリスクがあるよ、私を叩けば痛い目に遭うよと仮にでも見せることができれば、バッシングは起こりにくくなります。

こうした力を持たない戦略の人は、『沈黙は金』を守り、空気を見出さないように大人しくやっていくのがベターです」

「コミュニケーション能力」の本当の意味

「余計なことを言わないように大人しくしている」という沈黙戦略は、シャーデンフロイデによる攻撃を避けるには有効だ。とはいえ、問題がないわけではない。

「みんながその戦略をとってしまうのは、組織や社会全体としては必ずしもいいことではないでしょう。制度疲労を招き、共同体そのものが滅びる要因になるおそれもあります。

最近、企業や団体の不祥事が内部告発によって明らかになる事例が増えていますが、残念ながら、声を上げた人から叩かれる、潰されるという事案が見られます。逆に、問題を隠しておく人、黙り通した人は功労者として重用される風潮があります。

組織の問題点を『ここが良くない』『この点は改善すべきだ』と指摘した人がバッシングされたり、引きずり下ろされたり、冷遇されたりすることが続くと、どうなるでしょうか。力にすり寄るイエスマンばかりが残り、新しいことをやろうとする人はどこかへ消えていなくなるでしょう。

近年、日本の大学、企業などがアジア1位の座を奪われています。メーカーの優れた技術者が、どんどん中国企業に流出しているという話も聞きます。これは、沈黙戦略の弊害が出ているということかもしれません」

もちろん、ただ黙って大人しくして、自分の身さえ守れればいい、という人ばかりではないだろう。だからこそ、攻撃を避けながら言うべきことを言うために、それなりの備えが必要だ。

「声を上げたり、新しいことを始めようとしてもなかなかうまくいかない。その際に足りないのは、実力や勇気などではありません。準備です。より具体的に言うと、組織の中で何か新しいことを言うときには、大きな反発にあっても大丈夫なだけの力――たとえば後ろ盾など――が必要です。抵抗にあっても問題ないように戦略を練り、準備しておく必要があるのです。

もちろん力のある人に話をつけておくのもいいでしょうし、『自分を外すとあの得意先との取引が回らなくなるよ』といったことをさり気なくアピールしていくのもいいでしょう。

ビジネスマンのスキルとして重視されるコミュニケーション能力の根幹は、実はここにあると私は考えます。つまり、周囲からの攻撃を回避するためのスキルです。飲み会を盛り上げたり、商談で話を弾ませたりすることは、間接的には役に立つかもしれませんが、攻撃を回避するためのスキルとして必ずしも機能するものではないでしょう」

「幸せホルモン」が嫉妬の原因だった!?

終身雇用の社会ではなくなったとはいえ、日本では人材の流動性はまだまだ低い。実力よりも空気を乱さない人であることが重視されるのも仕方がない、と中野氏は言う。 こうしてみると、シャーデンフロイデとはいたって日本的な感情のように思えるが、実際は国や文化を問わない普遍的な感情でもある。

「シャーデンフロイデの根幹には、オキシトシンという脳内物質が関わっています。一般には、オキシトシンはリラックスをもたらす『幸せホルモン』、あるいは人と人との愛着を形成する『愛情ホルモン』として知られています。脳科学でオキシトシンに言及している論文でも、その多くはオキシトシンのリラックス効果などに注目しています。

しかし、オキシトシンにはネガティブエフェクトもあります。妬みを強くしたり、不公平を許せない、制裁を加えたいという感情を強化したり、さらには排外的な行動を誘発することもわかっています。

では、オキシトシンのネガティブエフェクトはよくないものなのかというと、そうではありません。たしかに、妬みという感情は私たちにとってイヤなものではありますが、生存のための行動を誘発するのに必要だから存在するのです。オキシトシンが妬みを強くする効果も、共同体を守るためには必要なものです。だからこそ、オキシトシンなどホルモンの量は増えすぎないようにできているのです。ポジティブな効果しかなければ、どんどん分泌させればいいのですから。

ビジネス心理学の本によく登場する『やる気ホルモン』のドーパミンは、その働きを活性化する薬物が統合失調症に似た幻覚や妄想を引き起こすことがあります。ストレスを和らげるセロトニンも、多すぎれば頭痛の原因になる。心理学や脳科学の知見に触れるときには、何事も両面の効果がある、ということを忘れないようにしたほうがいいでしょう」

「ビジネス心理学」の罠

中野氏も言うように、最近では心理学や脳科学などの知識をわかりやすく解説し、仕事術やビジネスノウハウに応用する本も多く出ている。「マインドフルネス」の流行などは、典型例だろう。専門家から見て、こうした「ビジネス心理学」「ポピュラー心理学」の流行は好ましいことなのだろうか。

「研究者の多くは、苦々しく思っているのではないでしょうか。近年は、医学的な知識を一般にわかりやすく紹介する本やネット上の記事が増えました。しかしその結果、医学的な根拠のない代替医療の流行や、ワクチンは製薬会社の陰謀、などというような言説の流布を招いてしまった、という例があるからです。同様に、心理学や脳科学の知識も、安易に一般に広げるのはどうなのか、という慎重な見方もあるわけです。

とはいえ、私は現場に生かされてこその学問だと思っています。誰もが英語の論文をやすやすと読みこなせるわけではありませんし、その時間もビジネスパーソンにはないかもしれません。ですから、学問的な基礎をきちんと踏まえたうえで、それをわかりやすく一般読者に伝えるスポークスマン的な活動をする人を育てていくべきだと思います。 にもかかわらず、一般書を書いたりメディアに登場したりする研究者が叩かれてしまうのは、それ自体シャーデンフロイデなのかもしれません(笑)。メディアにもよく出演されているある精神科医の女性は、医学部では教授より先に本を書くことが許されなかった、と告発されていました」

科学の裏づけがある知見なのか、それとも「心理学風ハウツー」に過ぎないのか。それを見分けるリテラシーも大切だ。

「科学かどうかの分かれ目は、反証可能性。検証ができるかどうか、ということです。 心理学の中にも、質のいい実験データがなかったりして、反証可能性がない理論は少なくありません。心理学の知見を学ぶときには、『どこまでがデータに基づく科学で、どこからがこの著者の個人的な意見なのか』に気をつけるといいでしょう。そうすることで、より深く読むことができますし、ビジネスに応用する際の精度も上がると思います」

「妬み」をエネルギーに変えるには

心理学を学ぶことは、しばしば自分の心の中の暗い部分に目を向けることでもある。実際に、妬みの感情が自分にあると認めたくない人も多いだろう。

「大事なのは、妬みの種類の峻別です。相手を叩きたい、引きずり下ろしたいという『悪性妬み』は自分も後々苦しくなります。

何かを得たいなら、『良性妬み』をうまく使いましょう。自分がその人を超えることで、いやな妬みを解消するという方向にもっていくのです。妬ましい対象を何とか超えようと何らかのアクションを起こす。すると、その人を超えるだけでなく、そうして得た能力や経験などは自分のものになります。

前述のように、たとえネガティブなものであっても、必要のない感情というのはありません。

心理学に興味を持つ人が多いのは、自分の心の中にモヤモヤ、ドロドロした感情を抱えて、どうしようもないと思っている人が多いからでしょう。自分を輝かせるための燃料に変えていける知恵として、心理学を使っていければいいですね」

【コラム】攻撃対象になりやすいSNSとのつきあい方

現代社会では、ネットを通じて妬みが増幅したり、ネット上で妬みが爆発して炎上や叩きが起きたりする。その舞台となるのがTwitterやフェイスブック、インスタグラムなどのSNSだ。

「SNSは人脈を広げたり、仕事のチャンスを得たりするのに役に立つ、という人もいますが、意外とうまく使えている人は少ないでしょう。というのも、ついハマって、時間をかけてしまうから。かなりコストパフォーマンスが悪いと思います。私自身は、ツイッターはやらないことにしています。匿名性が高く情報の確度が低いこと、人に対して何かのアクションを起こした場合、ダイレクトにその反応を見られるので、快楽を伴う攻撃が行なわれやすいことが理由です。インスタグラムは画像が中心で、文章が少ないので攻撃が起こりにくい、つまり炎上しにくいという特徴があります。シェアされにくいのもいいですね。私が使用しているのは、告知用にフェイスブックを使うくらいでしょうか。フェイスブックは実名なので、ときどきよくわからないコメントもありますが、やはりそうひどい攻撃はありません」(中野氏)

SNSとの上手なつきあい方としては、「炎上しにくい仕様になっているかどうか」に注目すること。その上で、つい時間を使ってしまう「魔力」を感じさせるツールには手を出さないのが賢明なようだ。

中野信子(なかの・のぶこ)脳科学者
1975年、東京都生まれ。脳科学者、医学博士、認知科学者。東京大学工学部卒業。東京大学大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了。フランス国立研究所にて、博士研究員として勤務後、帰国。脳や心理学をテーマに、研究や執筆を精力的に行なう。東日本国際大学教授。(『The 21 online』2018年4月号より)

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