(本記事は、柳沢大高氏の著書『できるようになる!~心に優しい「能力UP法」~』ぱる出版、2018年8月29日刊の中から一部を抜粋・編集しています)
「ツラくて続かない」からの解放
継続の目的は、長く続けることです。続けるために、思考プロセス、行動プロセスに戻って改善を繰り返します。
習得までの流れは「思考→行動→継続」ですが、これら3つのプロセスは完全に独立しているわけでなく、お互い依存している関係なのです。
つまり、思考法か行動法が十分に理解・実践できていないと、継続法は十分に機能しないのです。
●「ツラくて続かない」を解決する(行動の量)
・負荷がツラい
続かない理由の1つは、ステージ違いの行動と計画により、MPを過剰に消費し、精神的にツラくなってやめてしまうことです。
*MP=Mental Power。Abilt(本書の基になっているAbilt理論。Ability Learning Theory)では「心の疲れ」をMPという数字的(%やポイント)な考え方で表現しています。
ツラくなってしまう原因の1つはアクションの「短期的な負荷が大きい」ことです。負荷の大きさは「行動する方法」で適切な量を設定したはずです。
しかし、新しいことを始めるときはまだ「適切な量を判別するモノサシ」を持っていません。「適切な量を知る」こと自体も初めてなため、行動段階で適切な量を知ることは難しいのです。
行動プロセスにおいて、自分にできる範囲の量を設定したはずでも、むしろ、実際はその量が適切でないことのほうが多いのです。
行動プロセスで設定した量のままで継続プロセスに入り、修正しないままにしておくと、ツラいことに気づかず諦めてしまう可能性が高くなります。
・ツラくなければ成長しないという誤解
負荷がツラくて続かない方に共通するのは、「負荷をかけなければ成長しない」という誤解を持っていることです。
優秀な方は必ずといっていいほど、成長のためにツラい努力や我慢が必要だと考えています。
もちろん、長く仕事をしたり、短期的に集中して仕事をすることで結果を残せますし、スポーツにおいては、「ツラくなってからが本番の練習」などと、限界を超えることが成長につながると広く知られています。
もっと過激な言葉では、「限界を超えないと意味がない」とも言われます。しかし、自分をツラい状況や限界まで追い込んで結果を出せるのはハードステージに立っている方だけです。
すでに「仕事ができる」方は、「今の自分にできる以上の負荷」をかけると急成長できることが過去の経験からわかっています。
頑張って毎日終電まで仕事をして、プロジェクトが終わったら、自分が成長したと実感することでしょうし、もう疲れて走れないと思ってから頑張って走ることで体力が急激に向上します。
しかし、何か新しいことを始めるとき、ほとんど全ての方は初心者であり「ソフトステージ」に立つべきなのです。
新しい分野の勉強であれば1日1時間が自分のステージに合った勉強時間なのに、受験時代の過去を思い出して、自分なら連続で5時間勉強しても問題ないと誤解してしまい、結局は続かずにやめてしまうのです。
ではどうすればいいのでしょうか?
自分に合ったソフトステージの負荷を設定すればいいのです。
勉強時間なら10分でもいいかもしれません。ジョギングなら1㎞でいいかもしれません。コミュニケーション力向上のために人と話したいならばネット上で顔が見えない状態でいいかもしれません。
必ず自分のステージにあった、快適で「適切な量や状況」が存在します。
・ツラくない適切量を設定する
どうすれば「適切な量」が見つかるのでしょうか?
思考と行動を繰り返すことです。
つまりは、自分にあった行動量を設定する(思考パート)、行動してみる(行動パート)、ツラいかどうか判定する(思考パート)、ツラい場合は量を減らす(思考パート)、新しい量で行動する。
「考えて、行動する」を繰り返します。
自分で思う適切な量を設定し修正することを繰り返すことでようやく「適切な量」に到達します。つまり、「行動プロセス」において自分で「適切な量」だと思って設定した量が正しいことはほとんどありません。
「適正なレベルを見つける能力」は「自己分析能力」の一つです。
無理にハードステージに立って、無謀な努力を繰り返すことは、逆に「自己分析能力が低い」とされても仕方ないでしょう。
もし、体重40kgのボクサーが、「筆者は世界最高のボクサーを目指しているからヘビー級(体重が90kg以上)の選手としか試合をしない」と言っていたらどう思うでしょうか?
大学を卒業したばかりの新入社員が、「私は優秀な人間だから、10億円が投じられているプロジェクトの責任者にして欲しい」と言ったらどう思うでしょうか?
両者とも根本の人間力が低いわけではありません。むしろ向上心が高く、将来有望でしょう。
しかし、自己分析能力、現状分析能力は低いと言わざるを得ません。何か新しいことを始めるときに、ステージ違いの高負荷な設定をすることは、これらの例と変わりません。
また、適切な量を見積もる過程において「量を低くする」ことに対して、「筆者は優秀なんだ!レベルは低くない!」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、ステージを変えることはそもそもレベルを低くすることではありません。
ステージを変えることとレベルを変えることは違います。ステージの差は価値観、状況、環境など多岐にわたり、決して根本的な人間の能力の差ではありません。
また、「レベルを低く」すると考えるのも間違っています。
そもそも最初の設定レベルが違うのですから、低くしたわけではありません。適切な負荷レベルを設定したにすぎません。高校生が大学院の教科書を間違って買ってしまい、理解できずに挫折しても恥ずかしくありません。
もちろん、改めて自分に適切な高校生向けの教科書を買い直したところで、レベルを下げたことにはなりません。
ただし、適切な量は状況を設定するために、想定しているより低い量を設定するからといって、「身の程を知れ」と言っているわけではありません。
「身の程を知れ」という言葉は、将来の可能性をもふさいでしまうことがあるからです。
「適切な現状を分析すること」と、「高みを目指すこと」は矛盾しません。あくまでも自分に合ったステージに移動するだけです。むしろ適切な現状を分析することは高みを目指すための近道です。
ハードステージの考え方からソフトステージの考え方に移ったからといって、一流やトップを目指す可能性が閉ざされたわけでもありませんし、才能を否定したわけでもありません。
負荷がツラいのは「自分でツラい設定をしている」からなのです。
行動前にステージ違いを意識し、行動するときにはMPを意識し、適切な設定を見つけるプロセス(設定と修正)を繰り返し、MPを消費しすぎない「ツラくない量」を自分で設定しましょう。
具体的には、時間や期間を短くする、量を減らす、連続行動時間を減らす、楽な状況や環境に変えるなどになります。
●毎日続けるのがツラいを解決する(連続行動期間)
ツラくなって続かない原因の2つ目は、「期間が長い」ことです。
「短期的な量」は人によっては、ツラくてもなんとか我慢ができるかもしれません。しかし、数日、数週間は忍耐力によって乗り越えられた方でも、数ヶ月、数年となると心がもたないかもしれません。
期間の長さがツラくて続かないのもやはり、ステージ違いが原因です。
必死に努力している、苦しみに耐えているなど、続けるのが精神的に辛いときは、ステージが違います。ステージ違いの行動はMPを削り続けます。
無理に気合いを入れたり、頑張ったところで長く続きません。
「人生は一生勉強」「一生健康でいたい」などと言われるように、自分にとって「良いこと」は一生続けたいものです。
しかし、新しく始めることにおいて「一生続ける」というのは心理的圧迫にほかなりません。
ソフトステージに立つべき方は、何か新しいことを始めるとき、どうしてもハードステージの情報を参考にしたりして憧れを抱きます。
特定の分野におけるプロフェッショナルは「常に仕事のことだけを考えている」「常に周りに気を使っている」などと、「常に◯◯」という表現を使います。
実際偉業を成し遂げたり、一流の結果を残す方々は常に仕事のことを考えて、常に成長する方法を模索しているはずです。しかし、新しいことを始めようとしている方々にとって、プロフェッショナルの言葉は逆効果です。
新しいことを始める場合、何をするにもMPを過剰に消費しますし、上手にできない現状からMPを削がれます。心がとても疲れるのです。
そんな状態を常に続けなければならないのか?一生続けなければならないのか?と考えただけで、継続意欲が失われてしまいます。
プロフェッショナルが放つ「常に◯◯」「一生◯◯」という言葉は、とても印象に残ります。印象に残ってしまうので、無意識に影響を与えるのです。
そして無意識にMPを減らし、心を圧迫し、精神的ストレスから逃げるように続けるのをやめてしまうのです。
・毎日やる必要はない!
もし、土曜日、日曜日が休みではなくて毎日仕事(学校)だったら、と想像してみてください。
たとえ仕事や学校が好きだとしても、「毎日」と考えただけで多くの方々がツラいと思うのではないでしょうか?
「毎日たった5分のエクササイズで人生が変わる」「毎日たった30分英語の勉強を続ければ喋れるようになる」など、毎日たった1回すれば、たった◯◯分すれば……このような表現はあふれています。
しかし、実際に行動を始めてみると、たった1回、たった5分であっても、毎日やるのはツラい!とすぐに気がつきます。
さらには「毎日を何ヶ月も、何年も続けなければ意味がない」のではないか?と不安になります。当然ながらそのような不安を抱えたままではMPが削られてしまい、次第に続ける気力が失せていってしまいます。
でも、実際毎日やらないとダメなんですよね?との疑問にははっきり答えます。
いいえ。どんな技術だろうと方法論だろうと、毎日やる必要はありません。
考えてみてください。
みなさんが今まで習得してきた技術や知識などの能力全般において毎日やってきたことはありますか?
受験勉強を乗り越えた方でも休むことはありますし、プロのアスリートだって練習しない日はあります。
なのになぜか、新しく何かを始めるソフトステージの方ですら、毎日ハードにやらないといけないと勘違いしてしまうのです。毎日何かをやる必要はまったくないのです。
「毎日やる」というのは結果論であって、毎日やることを予定するのは長期的な継続を考える上では極めて危険です。
毎日やる必要はないことを認識する。そして、毎日やらなくても習得した経験を思い出すことで罠から解放されるのです。
新しいことや苦手なことにチャレンジするとき、長く継続したいのならば、ソフトステージから始めましょう。
受験の例なら、1日1時間から始めていたとしても、続けていくうちに少しずつ心に負担のかからない勉強時間は増えていきます。
ソフトステージで継続するための基盤を作ったら、ミドルステージに移行し、さらに継続していけば、気がついたらハードステージに耐えられる体力や精神力がついていることでしょう。
●長期間続けるのがツラい(長期行動期間)
「毎日やる必要がない」ことは理解しても、何ヶ月何年と続けないと結果が出ないような能力についてはどうすればいいのでしょうか?と疑問に思われたでしょう。
毎日やらずに、たとえば1週間に数日の行動で何かを習得しようとしたらその分余計に時間がかからないか?と心配されるかもしれません。
確かに、1ヵ月を30日として、毎日1年間行動を続けるのと、1ヵ月に15日だけ行動を続けるのでは、単純に倍の時間がかかってしまいます。
しかし、そこには「やめるリスク」が考慮されていません。毎日やらなければならないと考えるだけで、「やめるリスク」が高まります。もしすぐにやめてしまうと、習得可能性は0になってしまいます。
一方、1ヵ月に15日で続くのならば2年後には習得している可能性が高くなります。毎日やれば1年後にできるようになるという考え方は、ステージからの転落を無視して、継続のためのMP消費を無視している考え方です。
行動経済学においては、「エコノ」と「ヒューマン」として表現されます。エコノというのは、人の心を完全に無視して論理的、理想的に行動する人間像です。
たとえば、日本で難関と呼ばれる大学に合格するには3000~4000時間が必要だと聞いたことがあるかもしれません。
間をとってさらに計算しやすく、3650時間とすると、毎日10時間勉強したら、単純に3650時間/(10h×365日)と、計算上は1年間で合格できる実力がつくことになります。
このように、人の心や一般的な状況などをまったく考慮に入れず理想的に動くのが「エコノ」という人間像です。
しかし、重要なのは本当に毎日10時間勉強できるのか?ということです。
実際の人間は論理的に理想通りに行動することはありません。そのように感情や思い込みなど論理的ではないことに左右されるのが、一般的な「ヒューマン」です。
人はなぜか、新しいことを始めようとすると、「エコノ」として計画を立てて、成功(習得)を夢見ます。
しかし残念ながら人は「ヒューマン」ですから、理想通りにはいきません。エコノを意識したヒューマンは基本的にすぐにやめてしまいますし、運良く行動段階に進めたとしても、継続段階で挫折してしまいます。
・「プチ継続」で1週間だけなら続く!
何かを始める前から「毎日やらなければならない」と思うだけで心を削るのと同様に、「長期間続けなければならない」と思うのは誰にとってもツラいものです。
特に新しいことを始めるときは先が見えず、永遠に続くのじゃないか?と不安になります。ですが「毎日やる」のは結果論と説明したのと同様に、「長く続ける」のもまた結果論なのです。
「毎日やらなければならない」「長期間続けなければいけない」というのは、初心者が超一流のプロになるまで一直線で習得に向かうような考え方です。
この考えはエコノ的であり、心を無視しています。「毎日やらなければならない」「ツラくないと成長しない」というのが誤解であったように、「長期間続けなければならない」というのもエコノ的な誤解です。
Abiltでは、習得に至るまでの期間を最短で1週間に設定します。
「1週間で習得なんてできるわけない!」と突っ込まれた方は多いでしょう。しかし、それこそが設定ミスなのです。
たとえば英語力向上のために勉強するとします。「1週間勉強を続けたところで英語が喋れるようになるわけないですよね?1週間はあまりにも短すぎます」とご指摘されるでしょう。
しかし、実際は1週間で英語が喋れるようになります。
ただし、想像している範囲が違います。「長期間続けなければならない」思考にとらわれている方は、英語が喋れる=ネイティブスピーカー並に流暢に何でも話せると思っていないでしょうか?その設定ですと1週間で喋れるようになることは不可能です。
では、英語での挨拶を3つ覚えて、実践する能力としたらどうでしょうか?1週間でできると思いませんか?英語力というととても範囲が広くなってしまいます。
そもそも、英語でなんでも話せる必要があるのでしょうか?おそらく英語が話せるようになりたいと感じている方は、ビジネス目的かプライベートでの会話だと思います。
ビジネス目的であれば、ビジネスに必要なフレーズだけを習得すればいいですし、プライベート目的であれば、自分がするであろう会話についてだけ習得すればよいのです。
政治、宗教、経済について英語で語り合いたいのでしょうか?日本語ですらしない会話を英語でする必要があるのでしょうか?
おそらく英語を勉強したいと気軽に思われた方は、無意識にハードステージの目標を設定しています。そのため「長期間続けなければならない」と勘違いし、心を疲れさせて、結局三日坊主で終わってしまうのです。
Abiltにおいて、長期間の行動は積み重ねた「結果」でしかありません。
たとえば、筆者は「英語で道案内能力」を2週間で習得しました。
最初の1週間で、3つのフレーズ(助けが必要ですか?どこに行きたいのですか?そこまで連れて行きます。の英語版3フレーズ)だけ覚えて、道に迷っているように見える観光客に英語で声をかける能力を習得しました。
次の1週間で、目的地に着くまでの雑談能力を習得しました。こちらも話せる話題は、出身国、天気、その国の有名人と3つに絞っています。
筆者は英語が話せるの?と聞かれたら答えはNOです。
政治、経済、宗教、恋愛などについて英語で語れと言われてもまったくできません。「英語で道案内能力」は近所で道に迷っている外国人観光客を目的地に連れていくための英語しか必要ないのですから、目的外の英語表現は必要ありません。
しかし、このような1週間習得が続けば、もっと大きな英語力に成長することはすでにお気づきのはずです。
思考プロセスで説明したように、英語力を分解して細かくしたうちの1つが「英語で道案内能力」なのです。
つまり、1週間毎に新しいことを次々と習得していけば、それが大きな英語力となり、できることが増えていくのです。
「長期間続けなければならない」というのは思い込みであって、習得は1週間でできることを認識しましょう。
Abiltでは1週間での習得を続けることをプチ継続と呼び、1週間でできることはプチ習得と呼んでいます。塵も積もれば山となるです。
プチ継続でプチ習得を繰り返せば、いつかきっと大きな習得に到達するでしょう。
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