国際結婚で気づいた日本と世界の違い

ウェルスナビ
(画像=THE21オンライン)

――柴山CEOは、財務省やマッキンゼーで働いた経歴をお持ちです。自分でベンチャー企業を興そうと思うに至った経緯をお教えください。

柴山 財務省に9年間勤めたあと、フランスのINSEADに1年間留学し、マッキンゼーで5年間働きました。その後、2015年に起業しました。

財務省では、毎年、前年よりもやりがいを感じながら仕事をしていました。2009年に退職しましたが、最後の1年間が最も充実していましたね。

充実していたのに退職したのは、あまりに長時間勤務で家に帰れず、妻にその説明がつかなかったからです。

私は、2006~08年の2年間、英国の財務省に出向していました。その時に、米国人の妻と結婚しました。

英国の財務省では、社会保障関連の予算を組んだりする仕事をしていたのですが、予算を組むためには、関係各所へのヒアリングが必要です。そのためのミーティングは、10時以前と16時以降は禁止されていました。財務省は権限が強いので、ヒアリングに呼ばれた相手は、基本的に出席することになります。ですから、子供の保育所への送り迎えがある相手に配慮して、そうした規定があるのです。

財務省の職員も、18時を過ぎて仕事をしていると注意されました。私も早く帰宅して、週に3日は夕食を作っていました。

ところが、日本の財務省に戻ると、国会会期中は、議員の質問通告が22時くらいにあって、それから翌朝3時や4時まで徹夜で答弁を作り、急いで大臣にレクチャーする、という日々が続きます。やっている仕事は、英国財務省のときと同じ社会保障でしたから、「同じアウトプットを出す仕事なのに、なぜ家に帰ってこないのか」と妻に問われて、それに答えられなかったんです。

それで財務省を退職することにしたのですが、ビジネスの経験がなかったので、ビジネススクールに留学してMBAを取りました。

ところが、2010年6月に卒業したものの、就職先が見つからない。一緒に卒業した人たちが、早々に内定をもらい、夏休み明けの9月頃には就職していく中、世界中の30以上のポジションに応募したものの、すべてダメでした。

コンサルティング業界は、長時間勤務というイメージを持っていたので、希望していなかったのですが、10月になってようやく内定をもらえたのが、マッキンゼーでした。いざ入社してみると、勤務時間は財務省よりもずっと短かったですね(笑)。

マッキンゼーでは、東京、ソウルを経て、ニューヨークのオフィスで仕事をしました。ニューヨークやボストン、シカゴ、ダラスなどの金融機関をサポートする仕事です。

最後の1年半は、ウォール街の10兆円規模の資産を運用する金融機関に対して、リスク管理やガバナンスの整備をする仕事をしていました。金融工学の専門家とともに、10カ月ほどかけて、資産運用のアルゴリズムも作りました。その仕事をして、「この富裕層向けの運用アルゴリズムは、富裕層でなくても使えるな」と思いました。

――その経験が、ウェルスナビの創業につながった?

柴山 もう一つきっかけがあって、それは妻の母です。毎年、クリスマスにはシカゴにある妻の実家に行っていたのですが、そのときに、義母がプライベートバンクで数億円の資産を運用していることを知ったのです。

彼女は、学生ローンを組んで大学で学んだあと、石油会社で働きながら、会社の福利厚生の一つとして資産運用をしていました。

日本人は、私の親くらいの世代だと、国や会社が老後の面倒まで見てくれるという考え方で、資産は預金しているだけというのが一般的です。ところが米国では、国や会社を頼るという発想がないので、運用して資産を増やそうとするのが一般的。その違いが、私の親と妻の親との間に桁違いの金融格差を生んでいたのです。

最近になって、日本の働く世代も、国や会社に頼ることなく、自分で資産運用をしようという意識になってきたということは、日米で1世代分の時差があるということですね。