(本記事は、ダーシーニ・デイヴィッド氏の著書『THE ALMIGHTY DOLLAR 1ドル札の動きでわかる経済のしくみ』かんき出版、2018年11月12日刊の中から一部を抜粋・編集しています)
アメリカから中国へ──低価格で何でも揃う大聖堂を崇めるアメリカ人
おむつ、パン、ミルク、ジュース、リンゴ、鶏肉……。
スーパーマーケットのベルトコンベアー式レジに、ローレン・ミラーが毎週買う必需品が並ぶ。アメリカの郊外に暮らす家族がよく買う品々ばかりだ。
今回は、最後に新品のラジオが流れてきた。
レジを通った商品が係の手で紙袋に詰められると、ローレンは袋に手を伸ばし、地球上でもっとも認知されている通貨を取り出す。万能のドル紙幣だ。
スーパーでの買い物は、ローレンにとって毎週必ず行う儀式のようなもので、財布の紐がいちばん緩む場でもある。昔のような昇給は望めなくなったが、たまの贅沢くらいはいまでも何とかなる。この日の贅沢が、キッチンに置くためのラジオというわけだ。
その価格は信じられないほど安い。ウォルマートの店内は広大だ。
通路にそって商品がぎっしりと並び、どこに目を向けてもお買い得な商品が目にとまる。会計をすませたローレンは、小競り合いをする家族や商品を吟味する人たちをよけながら駐車場までカートを押していき、買い物客の喧騒や買いたい衝動を後にする。
安売りで実現したアメリカンドリーム
アメリカでは1億近くの人が、ウォルマートのような「消費の大聖堂」への巡礼を毎週行っている。
彼らのカートにいちばん入っていそうな商品は何か?
ごくふつうのバナナだ。ほかに選択肢がないという理由はありえない。
アメリカにはウォルマートの大型店が3504あり、車を15分走らせればそのどこかにたどり着く。最寄りの大型店に足を踏み入れれば、14万2000の商品(食品以外も含む)が棚に並ぶ。
すべて見て回るにはかなり時間がかかるだろう。
なかでもニューヨーク州のオールバニーにある店舗は最大の規模を誇る。その広さは2万4000平方メートルで、アメリカンフットボールのフィールド4面分の大きさだ。
同社のトレードマークである挨拶係に入り口で声をかけられて店内に入ると、明るい通路に食べ物やおもちゃ、電化製品、工具、衣類、車用品などが山と積まれている。
そこは何でも揃う究極の特売場だ。
「エブリデー・ロープライス(毎日が低価格)」の文字が通路に掲げられ、どこを見ても誘惑される。値札を見ると、買わずにはいられない。数枚のドル紙幣を渡すだけで、大きな満足感が得られ、自分の望む生活に一歩近づけるのだ。
ウォルマートとそこに来る客にとっては、価格がすべてだ。
ウォルマートを利用する典型的な家庭の収入は、アメリカ人の平均より若干低い。利用客の5人に1人は、フードスタンプで支払いをしているかもしれない。フードスタンプは政府が低所得者に給付する金券で、食料品にだけ使うことができる。
いずれにせよ、ウォルマートが提示する価格なら、ローレンのように財布の紐が緩む客は少なくない(ちなみに利用客の男女比は1対3である)。
ウォルマートは、安売りでアメリカンドリームを実現した。
低価格の値札は同社に大金をもたらす。アメリカ国内のウォルマートのレジには、毎日10億ドル前後が流れ込む。さらに、2億5000万ドル前後を国外の支店が稼ぐ。
ウォルマート全店舗の2016年の総売上高は4810億ドルだった。
24時間オープンしていると仮定すると、毎日1分あたり90万ドル以上を売上げたということだ。値札の価格は小さいかもしれないが、思いつく限りのものを世界中で大量に売れば利益は生まれる。なにしろ、食べ物を必要としない人はこの世にいない。
ウォルマートは現時点で世界最大のスーパーマーケットチェーンだが、食料品に使われるドルを奪おうとする業種はほかにもある。
最大の脅威はアマゾンだ。食料品販売に新たに参入したこのインターネット通販サイトが、高級スーパーマーケットチェーンのホールフーズを買収したことから、オンライン小売業と実店舗の専門店との境界はますます曖昧になった。
低価格で何でも揃う大聖堂は、オンラインと実店舗のどちらでも利用できる。いずれにせよ、ここを訪れると、いつもの食材を買いに来たはずが余計なものをついカートに放り込みたくなる。
浴槽に浮かべるかわいい2ドルのアヒルのおもちゃ、6ドルのヘッドホン、20ドルもしないラジオ……。
こうした食品以外の商品が売れると、ウォルマートの利益は跳ね上がる。しかし、売上として得たドルが、ウォルマートの金庫に収まることや株主の元に届くことはほとんどない。
ローレンが買ったラジオは新たな住処まで数キロしか移動しないが、払ったお金は1万キロ以上も旅をする。ラジオが大量生産される地球の反対側の工場へ向かうのだ。
ウォルマートは、1962年にアーカンソー州でサム・ウォルトンによって創業された。「いつでも低価格」をモットーに、商品を山のように積んで安く売る巨大企業の始まりだ。
レジに1ドル入るごとに生まれる利益は約3セント。当然、低コストの追求というプレッシャーがつねにつきまとう。これはサムが生涯守り続けた信念でもある。
巨万の富を得てからも、彼はピックアップトラックに乗り、出張先では同行の社員と安ホテルの部屋をシェアした。そのおかげで、彼はアメリカ人を買い物に駆り立てるものに気づく。
アメリカのどこに住んでいても、人は安いものを追い求める。それも、必要に迫られてというより、生まれつき安いものを追い求めたがる人が大半だ。
ウォルマートの誕生から半世紀がたったいまでも、彼の戦略は支持を集めていて、ローレンのように彼の店を巡礼する人が後を絶たない。
サム・ウォルトンは、「アメリカ製の商品の多くは、価格や品質、あるいはその両方で競合にならない」と述べている。
皮肉にもそのせいで、超資本主義者で信心深いウォルトン氏が築いたウォルマートは、中国との提携に強く依存するようになっていく。
ローレン・ミラーが買ったラジオも、中国のどこかの工場で製造されたと思って間違いない。2004年の発表によると、ウォルマートは180億ドル相当の商品を中国に発注したという。
この数字は、わずか2年で40パーセントも増加したことを意味する。2002年に下した、全世界への供給本部を中国の深センに移転するという決断は正しかったと証明されたのだ。
2004年以降、ウォルマートはこの種の発表を控えている。
だが、輸送コンテナの数をはじめとするさまざまなデータを見ると、ウォルマートが中国製品に対して1年あたりに支払う金額は、その後10年で3倍近くの500億ドルに達したようだ。
例の格安ラジオはほんの一例にすぎず、アメリカの海岸にたどり着いて店頭に並ぶ商品の数は膨大だ。
中国の東海岸沿いにたくさんの工場ができ、コンテナを1万5000個積んで5日で太平洋を横断できる船も建造された。すべては、ウォルマートの買い物客のとどまることのない物欲を満たすためだ。
合計すると、中国はこの一小売業者に対し、2万以上の供給業者を介して、ドイツまたはイギリス一国に対する量の品を売っている。
アメリカのウォルマートで、おもちゃや電子機器やTシャツなどに支払われるドルの大半は、中国の製造業者の金庫に収まると思っていい。
中国が抱えるアメリカの顧客はもちろんウォルマートだけではないが、アメリカが中国製品に払う10分の1以上をウォルマートが担う。
ローレン・ミラーは、苦労して稼いだお金の一部を手放すことで、世界規模の契約を交わす。地球上でもっとも強い通貨と引き換えに、安い電化製品を手にするのだ。
2017年、中国からアメリカへは5060億ドル相当の商品が輸出されたが、アメリカから中国への輸出は1300億ドルだった。
その差3760億ドルは、過去最大の貿易赤字だ。今世紀に入って赤字がこれほど膨らんだのは、ウォルマートの中国依存が一因にある。