退職と人的資本
先ほどの大学教授と証券マンの例のように、人は、自分の人的資本の大きさとリスクの性質を考慮して資産運用を行う必要があるのだが、「退職」が文字通りこれから一切稼がなくなることを意味するなら、前掲書での人的資本の定義によると、人的資本の価値はゼロだ。
すると、退職以降は、保有資産と自分の人的資本との間の相関関係を考える必要がなくなる。退職前に大学教授をしていようと、証券マンであろうと、同じ資産額や同じ生活振りで、運用リスクに対する拒否度が同じであれば、退職後に持っている資産運用に関して、全く同じでいいことになる(証券マンとしては少しホッとする)。
この点は、高齢期の資産運用を考える上で十分認識しておくといい。金融機関のマーケティング戦略によるが、世間では、「個人個人のタイプによって適した運用も、運用商品やサービスも異なる(はずだ)」というイメージが強調されすぎている。
一方、詳しくは別の機会に譲るが、退職後の資産運用にあっては、おおむね資産をじっと持っているといい資産形成期の運用と異なり、資産を取り崩すので、相対的に退職後すぐの時期に、リスク資産のリターンがいいか悪いかで最終的な資産の保ち具合(資産が尽きる時点を「資産寿命」などと称して不安感をあおる金融商品のマーケティングに注意されたい。たいていは、ダメな商品だ!)が異なる「リターンの順序リスク」と呼ばれる問題がある。また、想定外の長寿リスク、さらにはインフレリスクにどう対応したらいいかという問題もある。
前掲書では、例えば変額保険の運用と特約を組み合わせることで各種のリスクに対処する方法が紹介されているが、米国と日本では保険商品が異なるし、米国にいたっては、どのような状況が起こっても問題のない素晴らしい方法や商品がある訳ではない。
また、特に日本の場合にそうだと思うが、保険商品や金融機関のサービスを使うと手数料コストが高くつく。例えば、終身で支給される公的年金を「長生きのリスク」への対応に使いつつ、運用自体は適切なリスクの大きさや低コストで行い、資産の取り崩しを自分で計画的に行う方法が、シンプルに実行ができ効率的だ。こうした方法については、広く説明して、高齢者が金融機関やファイナンシャル・アドバイザーに過剰な手数料を取られないように、今後もサポートしていきたい。
理屈上は退職時点でゼロになる人的資本だが、この本にも例えば運用が想定ほど上手くいかなかった場合に何年か余計に働いて、人的資本をより長く活用する可能性を残すことで金融資産の運用リスクを吸収する話が出てくる。働くスキルと機会、そして健康と働く意欲の確保は、高齢期にあって大変重要だ。
金融機関の運用商品やサービス、生命保険などに資産管理を頼ると、コストが高くつく場合が少なくない。普通の人にとっては、自分の人的資本を大切に、適切に育て、かつメンテナンスして活用することが、おそらく狭義の資産運用よりも重要だ。
山崎 元(やまざき はじめ)
楽天証券経済研究所 客員研究員
1958年、北海道生まれ。東京大学経済学部卒業。三菱商事→野村投信→住友生命→同信託→シュローダー投信→バーラ→メリルリンチ証券→パリバ証券→山一證券→DKA→明治生命→UFJ総研と12回の転職を経て2005年より現職。
(提供=トウシル)
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