(本記事は、野木 志郎氏の著書『日本の小さなパンツ屋が世界の一流に愛される理由』=あさ出版、2019年1月20日刊=の中から一部を抜粋・編集しています)
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トラブルは、死ぬかもと思うくらいがちょうどいい
写真製版会社の怖いオッチャンたち
私は1984年に大学を卒業してから3年ほど、大阪の写真製版会社に勤めました。写真製版会社とは、印刷するのに必要な版はん(フィルム)を製作する会社です。版とは、ごく簡単に説明するなら、木版画で言うところの木の板に当たるもの。この版 を、印刷所などの依頼で作るわけですが、私はこの仕事を取ってくる営業でした。
入社して2年目には最大手の担当をさせてもらいました。社内では売上トップ3に入るほど頑張りましたが、あまりの激務に体を壊して退職、その後、千趣会に転職することになります。
その写真製版会社はとにかく忙しくて、考える暇もない体力勝負の仕事。毎日のように午前2時とか3時に帰宅していました。
当時の私の1日はこんな感じです。
朝5時に大阪から車で京都まで行き、京都の市内中をルートセールスや飛び込み営業で回ります。趣味や余暇の時間がまったく取れない生活だったので、これによって車を運転しながらマンガを読む特技を身につけました(笑)。
昼ごろに京都を発ち、大阪には午後2時頃に帰社。そして社員食堂で給食のおばちゃんが用意してくれた昼食を食べるのですが、これは1分か2分で一気にかきこみます。なぜそんな早く食べなければならないのかというと、取ってきた仕事を1分でも早く自社の工場に回し、印刷所に納品するフィルムを作ってもらわなければいけないからです。
文字通り口の周りにご飯粒をつけたまま、食堂からダッシュで「工務」と呼ばれる進行管理担当のオッチャンのところへ行く。そして、そのオッチャンに、希望納期を書き込んだ伝票を提出するのです。
伝票の提出も一筋縄ではいきません。新人のうちは伝票の書き間違いが多いので、「もういっぺん書き直してこーい!」「そんな短納期は無理や!」など、どやしつけられることは日常茶飯事。新人だとなかなか自分の案件を優先的に処理してもらえないのです。本当に怖い人ばかりで、何度伝票を投げつけられたことか……。その伝票提出の締め切りが午後3時。そりゃ早飯にもなりますわ。
とにかく工務のオッチャンに受け付けてもらうと、4枚のフィルムが出来上がってきます。なぜ4枚かというと、4色分解という印刷の仕組みがあり……を説明すると長くなるので割愛。とにかく私は、その出来上がったフィルムに間違いがないかどうか、クライアントの求める色味が正確に出ているかどうかを、ルーペで見ながら細かくチェック(検版)します。
検版して問題がなければ、それを「校正刷り」、つまり紙に刷ってもらって終わりです。が、ここにも怖いオッチャンがいます。皆順番待ちで気が立っていることもあって、いつも怒号が飛び交っていました。毎日が喧嘩とハードネゴシエーションの日々だったのです。
ただ、新人の私が一番きつい仕事をしてることは、工場の連中に伝わっていきました。何せ夜中の2時、3時まで仕事して、朝イチ5時に出勤です。「お前いつ寝てんねん」「いや、寝てへんよ~」なんてヘラヘラ言ってたわけですから。
そんな激務が伝わったのか、そのうち一番怖いと言われていた工務のオッチャンが、だんだん伝票の袋を投げつけなくなってくる(笑)。締め切りの午後3時を過ぎてしまっても「いいから持ってこい」と言ってくれるようになったのです。
それでも口は相変わらず悪くて、「お前早く帰ってこいや。ボケほんまぁ! 車飛ばせぇ!」「お前、昼飯食ったやろ! 食う暇があったら先に伝票持ってこい!」などと言われ続けてはいましたが(笑)。
深夜の大失態
ある日のこと、深夜の1時か2時に検版していたところ、写真の色味を直さなければならない箇所が見つかりました。しかし、それを修正する担当の方々は皆帰ってしまって誰もいない。納期は朝の5時……。
えーい、俺がやったろ、と思い立ったのが間違いでした。
ちょっと専門的な話になるので詳細は省きますが、私はとある薬品をフィルムに少しずつつけることで調整を施そうとしたのです。ところが、営業の私にそんなデリケートな技術はなく、あんのじょう大失敗。フィルムをダメにしてしまいました。
「やってもうたあーーーーー!」
私はすぐさま現場のフィルム製版の課長(このオッチャンもまたえらい怖い)の家に電話しました(深夜です。念のため)。
野木「すんません、明日納期のやつ、フィルム飛ばしてしまいました……」 課長「何やっとんじゃボケーーーーー!」
電話口の課長は激怒でしたが、夜中にもかかわらず会社に駆けつけ、原版から新たにフィルムを作り直してくれました。
課長「お前、これからどうするんや?」 野木「このまま寝ないで京都へ納品に行きます」
それで家に帰らず、服も着替えず、課長が直してくれたフィルムを京都の印刷会社まで納品に行ったのでした。
フィルム製版の怖いオッチャン(課長)がちょっと優しくなったと感じはじめたのは、その大トラブルの後だったと思います。一件が工場の人たちにも伝わったらしく「お前、あれうまいこといったんか?」「間に合いました! ありがとうございました!」。そんな会話を交わせるようになったのです。
若かったからできた60㎏の用紙運び
こんなこともありました。
京都の田舎にある小さな印刷所の仕事を受けた時のことです。その印刷所から校正刷り用の特殊紙を大阪まで当日中に運ばないと納期が間に合わない。しかし、その日に限って車は出払っていて電車。しかも紙は三束で合計60㎏、米俵1俵分あります。
配送業者に手配しようにも、それでは翌日着でどうにもなりません。どうしても当日中に持って帰る必要があったので、私がかついで運ぶしか、もう方法はありませんでした。
印刷所からバス停まで、いつもなら10分足らずの道のりを、ちょっと歩いては下ろし、ちょっと歩いては下ろしで30分。そこからバスに乗り、駅について階段を上り、降り、電車に乗って大阪まで。真夏のクソ暑い日でした。一生忘れません……。
ようやく会社に着くと、工場の人が「お前これどっから持ってきた?」「京都から運んできました」と答えたら、それはそれは驚かれました。
この件の後、校正刷りのオッチャンが「こいつは根性ある」と認めてくれるようになったので、仕事がしやすくなりました。
私は、これら2つの大事件で、自社工場の首領(ドン)と信頼関係を持つことができました。私の中で、これは「攻略」と呼んでいます。
仕事相手として難しい相手を攻略するには、その人の視界で死ぬかもと思うほどのトラブルを乗り越えるのが一番。そうすれば根性を認められたり、一目置かれたりして、可愛がられる。そうやって難しい人をひとり攻略すると、私は自分がひとつ成長できた気がするのです。
交渉事はこっちのギリと向こうのベストで即決
時間をかけても募るのは不信感だけ
いきなりの結論ですが、私はビジネスで駆け引きをしません。ここで言う駆け引きとは、見積もりを依頼した相手が出してきた価格を見ながら、何度も持ち帰ってもらって探り探りジリジリと価格交渉するようなこと、です。
もちろん、このような方法が商売の常じょう套とう手段であることは知っています。が、はっきり言って時間のムダですし、何より互いの不信感を煽ってしまいます。何せ「こいつ、嘘ついてるんちゃうかな? 実はもっと値段下げてもいけるんちゃうかな?」という疑いをベースにした交渉ですからね。
私は最初から正直な希望を言うようにしています。
「うちは利益率△%を絶対に確保したい。だから価格は◯◯円以下でお願いしたいと思っています。2回目の見積もりは取らないので、出していただいた見積価格が合わなかったら、ごめんなさい、諦めてください」。こちらのギリを出し、向こうのベストをもらう。それで即決したいのです。
実は、私が駆け引きをやめることになるきっかけになった事件があります。千趣会の若手時代に担当した日本紅茶株式会社(現在は株式会社エム・シー・フーズ)大阪支店の課長だった入江大三郎さんとの一件です。
当時、私は26歳か27歳で、課長の入江さんは50歳前くらい。千趣会で「紅茶倶楽部」という商品が企画され、三菱商事を通じて紹介してもらったのが日本紅茶さんでした。ブルックボンドのティーバッグを取り扱っている会社、と言ったらおわかりの 方もいらっしゃるかもしれません。紅茶倶楽部は月に何万個も売ろうとしている商品だったので、先方としても大いに期待してくれていました。
私としても、この紅茶倶楽部は千趣会ではじめて開発から作り上げることになった思い入れある商品でした。
それまでは、別の方が担当していた商品を引き継いでデリバリーだけ担当したり、という仕事が主。紅茶倶楽部は一から関わることができるので、特に気合いが入っていたのです。
土下座して泣いた日
商品仕様がある程度決まり、上代(定価)を決める段となりました。ただ、私は入江さんからいただいた見積もりを「この値段では無理です」と突き返して、ある価格を指値(希望価格を指定すること)したのです。
その根拠は、言ってみれば私の成績。会社では希望小売価格の46%以下で仕入れなければならないというルールがあり、それを達成するにはこれくらいでなければならないという、数量と見積もりの予測からはじき出されたものでした。
入江さんは苦しい顔を見せながらも、持ち帰らせてくださいとおっしゃり、数日後に新しい見積もりを出してくれました。
「野木さん、担当工場ともやり取りして、指値には届かなかったけど、ここまで頑張りました。これでもう一度、検討してくれませんか」
しかし、ここで私の心に欲が生まれました。
「まだ……叩けるんじゃないかな?」
そこで私は軽く言ってしまったのです。
「もうちょっとだけ行けるんじゃないですか? なんだかんだ言って利益は出ますよね。駆け引きしてるんちゃいますか?」
この「駆け引き」がマズかった。入江さんの癇に障さわってしまったのです。
それまでは温厚を絵に描いたような人だった入江さんの目の色がみるみる変わり、一喝。「おんどれー!」と私にブチギレたのです。
「俺がどんな思いして工場に持ち帰って……どんだけのことをやって値段下げてきたか、わかっとんのかあっ?」
私は驚き、うろたえました。
「いやいやいやいやいや、そういうつもりで言うたんちゃいます!」
しかし入江さんの怒りは収まりません。
「俺はお前のことを真剣に仕事やる奴やと思うて、その意気に感じて一肌脱いだんや。それをわかってんのか! もう、やらん! この話はなしや!」
私はすぐにその場で土下座しました。
「すんませーーーーーーん!」
心から反省しました。入江さんが苦労して奔走し、限界の価格をひねり出してくれたのは明らかなはずなのに、そこまで真剣にやってくれていることをまったく想像できていなかった。信用していなかった。だから「実は利益出ますよね?」などと失礼なことを言ってしまったのです。
入江さんにとって、私は息子ほども年の離れた若造。そんな若造を信頼してくれていたのに、私はそれにまったく応ていませんでした。恥ずかしくて、申し訳なくて、情けなくて、土下座しながら私は泣いてしまいました。
土下座した私を見かねた入江さんは、許してくれました。
そして、「いやいや、そんなんせんでええよ。わかってくれたらええねん。わかった。ほんなら今から飲みに行こか」と、昼間から飲みに連れて行ってくれたのです。
それ以降、駆け引きはすっぱりやめました。
駆け引きは相手を探り、疑い、互いの信頼を下げる行為。ビジネスに儲けは絶対に必要です。だからこそ、ギリとベストをガチンコで出し合って決める。
探り探りは、嫌いです。
野木志郎
1960 年、大阪府高槻市生まれ。立命館大学法学部法学科卒業。1987年株式会社千趣会入社。紅茶、出版物、音楽CD、磁器、プラスチック製品等々の仕入れや、モデル「SHIHO」単独のファッションカタログをプロデュースするなど、新商品、新規事業を中心に担当する。2002 年に千趣会を辞め、父親の会社「ユニオン野木」に入社。その後「包帯パンツ」を開発し、2006年にログイン株式会社を設立して独立する。人と同じことをするのが大の苦手で、2008 年にプリントのかわいいパンツが流行する中、戦国武将をイメージしてデザインした包帯パンツ「甲冑パンツ」を原宿の東郷神社にて発表。このことがきっかけで全国の新聞、雑誌、テレビ、ラジオなどあらゆるメディアに合計500 回を超える取材を受けるほど注目を集める。包帯パンツは2019年1月現在、世界で130 万枚を売上げ、世界的なシェフ・松久信幸(NOBU)氏やロバート・デ・ニーロ氏など、国内外の著名人にも多くのファンを持つ。
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