はじめに
「すべての偉大な世界史的な事実と世界史的人物はいわば二度現れる(・・・中略・・・)。一度目は偉大な悲劇として、二度目はみじめな笑劇として」と語ったのは、カール・マルクスであった。世界史を考えるには、過去のリフレイン(繰り返し)という見方があるということである。世界史は「過去に起きたこと」という意味で用いられるのが一般的である。しかし、いま紡がれつつある歴史、これから築かれる歴史、という意味にまで敷衍することを許せば、“今”、そして“未来”を考える糸口として歴史を振り返る意義があると考えることが可能だ。
日本株マーケットは年明け以来、概ね上昇トレンドで動いてきている。これが長続きする可能性は充分にある。たとえ一旦下落することがあっても、再度上昇トレンドに入る可能性もまた充分にある。なぜならば、4月には2回統一地方選挙を迎え、また来る7月28日の任期満了に伴う参議院選挙があるからだ。すなわち“選挙相場”が“演出”されることがあるということだ。
但し、これが順調にいくのかどうかは、海外マーケットの動向次第とも言える。というのも、よく知られた事実ではあるが、我が国の東証一部・二部の総売買代金のうち、約6割は外国人投資家によるものだからだ。当然、日本投資専門のファンドや個人投資家もいるものの、大抵の主体はグローバル投資戦略の一端として我が国への投資を行っている。すなわち、我が国の株式マーケットが上昇にスムースに至るのか否かは、海外マーケットが軒並み“凋落”するなど、「動かない状況に至る」ということが肝要になってくる。
その典型例が平成バブルの時代であったことを想起すべきである。たとえば現在、パキスタンとの戦争リスクが高まりつつあるインドを考えよう。同国は1980年まで永年低成長時代を迎えていた。それが、同80年代に永年の係争相手であったパキスタンや中国との融和を進め、後半には法人税の減税や規制緩和を行なった。しかし、その結果、経常収支を悪化させた上に、主要貿易国であったソ連の崩壊、更には湾岸戦争勃発に伴う原油高を受け、1990年代初頭には一部債務について“デフォルト(国家債務不履行)”を起こしているのである。
同じように考えたときに注目したいのが、ブラジルである。同国は平成バブルの裏側で“デフォルト(国家債務不履行)”の真っ只中に在った。いわゆるBRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、そして南アフリカ)の一角を占める同国は現在、困難を迎えつつある。本稿では、ブラジルに忍び寄るリスクを考える。
ブラジル内政を巡る騒動
ブラジルを含む中南米はそもそも、1970年代にいわゆる新自由主義的な改革を行うと同時に、主に米民間銀行から積極的な融資を受けた。1988年の経済企画庁による報告書を基にこの当時の動向をまとめるとこうなる:
●中南米諸国は、1970年代における一次産品価格の高騰による交易条件の改善、積極的な国内開発・高度成長等を背景に海外から多額の資金借り入れを行った。これは主にアメリカの民間銀行の貸出を通じて行われたため、米国民間銀行に対する債務残高は急増した。その後、80年代以降の世界的なディスインフレ下での一次産品価格の低下等を背景に、82年には債務危機が発生することとなった
●中南米諸国は、その後、IMF等の国際金融機関による融資、公的・民間債権者によるリスケジュールや新規融資といった方法で外貨繰り(流動性)を確保する一方、IMFなどの支援の下で、国際収支や財政収支の改善、インフレの抑制等の緊縮政策を中心とした経済再建政策に基づき、経済調整に取り組んできた
●しかし、こうした緊縮政策は輸入中間財・資本財の減少や投資の抑制を伴い、中長期的には累積債務国の経済成長や国内産業の国際競争力強化に結びつかなかったとの見方が広がり、このため、IMFなど国際金融機関などにおいても、これまでの経済調整策のあり方を見直し、債務国の成長や構造調整も重視した中長期的な債務問題解決の方針が新たに示されるようになった。(・・・中略・・・)しかし、中南米における最大の債務国ブラジルは1987年2月、一部対外債務の利払い停止を宣言し、債務危機の再発が懸念されることとなった
このように、ブラジルは過去、何度か“デフォルト(国家債務不履行)”を経験してきた。それにより米銀はとてつもない被害を被ってきた。それにも拘らず、2001年になると、米ゴールドマン・サックスが投資家向けに報告書「Building Better Global Economic BRICs」を公表し、いわゆる「BRICs」(註:今では南アフリカを加えて「BRICS」と呼称するのが普通)の一角としてブラジルへの注目が再度、集まることとなった。 この1970年代および2000年代の「ブラジル・ブーム」において注目すべきなのが、米金融セクターであった。端的に言ってしまえば、米国で“カネ余り”だったために中南米にマネーが流れたのである。それが世界経済の悪化や中南米でのリスク発現により「キャピタル・フライト(資産逃避)」に至る、というのが1つの流れであった。
大雑把ではあるが、こうしたブラジルを巡る経済史があったことを踏まえて、ブラジル情勢を考えたい。
真っ先に挙げておくべきなのが、ボルソナロ新政権を巡る内政リスクである。今年1月1日(ブラジリア時間)、「ブラジルのトランプ」ないし「ブラジルのドゥテルテ(註:フィリピン大統領)」とも呼ばれるボルソナロ元大尉は、大統領に就任した。
同人の激情的な一面は過去から密やかに“流布”されていた。ボルソナロ大統領は軍人時代に一度逮捕されている。それに関連してブラジル陸軍が作成した機密文書は同人を「金融や経済に対する過大な野心を有する」と評しているのである。
このボルソナロ大統領は非常に親米的であることで知られている。ブラジル系米国人商工会議所が主催する3月14日開催予定のガラ・ディナーは一人当たり30、000ドル掛かるという高価なパーティであるものの、即時完売したという。ボルソナロ政権に対し米国から熱い視線が注がれていることが分かる。また、政策面でも、就任直後にはブラジル国内に米軍基地のための用地を提供する可能性に言及しているのだ。
そのボルソナロ政権は現在、重い政策的課題を抱えている。それは年金問題である。ブラジルでは50代から年金を受給することが可能であり、我が国のように、社会保障費は重い財政負担となっている。
(図表1 ブラジルの予測公的債務残高(対GDP比))
マイア下院議長は年金改革について「6月までに下院を通過するだろう」という見通しを述べている。同時に、「年金改革が遅れれば誰もブラジルに投資しなくなる」とも述べている。ブラジルの“デフォルト(国家債務不履行)”リスクが再燃していることを念頭に置く必要が在るということだ。
BRICSから「米大陸のブラジル」へ変貌
ブラジルは上述したように米国との関係が深い。同じアメリカ大陸に存在する国家である以上、当然ではある。それがトランプ大統領の登場以来、更に接近している。たとえばベネズエラ動向を巡る諸国家の動向である。
米国を除く、ベネズエラのマデュロ大統領に対する批判者の急先鋒が、カナダとブラジルなのである。今週には反対側リーダーであるグライド国家議長がブラジルを訪問する予定である。但し、決して最後の一線を超えようとはしていない。「最後の一線」とは何か?それは“戦争”である。
そうした中で、トランプ政権はブラジルに対して、ベネズエラに対して軍事力を行使すべきと圧力を掛けているのだという。ブラジル国防省はこれに対し、米軍がブラジル国内に駐屯する可能性が生じるとして抵抗している。
既に述べたように、ボルソナロ大統領は、米軍駐留を認める可能性に就任直後、言及しているのである。ブラジルに戦火が生じるリスクが僅かに生じているのだということを考慮しなければならない。
そうした戦争リスクに関連し筆者が個人的に気になっているのが、ボルソナロ政権がイスラエルと接近していることだ。昨年のトランプ政権による政策の中でも世界を最も驚かせたものの1つが、駐イスラエル米国大使館のテル・アビブからエルサレムへの移設であった。そうした中、ボルソナロ大統領も昨年11月に駐イスラエル・ブラジル大使館をエルサレムへ移設することを表明しているのだ。
ブラジルは世界で9番目(中南米ではアルゼンチンに次ぐ第2位)にユダヤ人人口の多い国である。旧宗主国であるポルトガルからセファラディが移住してきたことに始まり、19世紀末の農業労働力確保のための移民などの結果であった。
そうしてユダヤ人の影響力が少なくないブラジルは、クーデターにより軍事政権に移行した1964年から、ブラジルの軍事政権へ接近し軍事協力を行っており、原子力の平和利用という名目の下で核物理学者を派遣してすらいるのだ。つまり、イスラエルとブラジルの接近が、軍事政権への接近を暗示しているというのが筆者の見解であるということだ。
他方で、これ以上に注目すべきなのが、ブラジルと欧州との関係が分断されつつあるということだ。意外に思うかもしれないが、ブラジルはイタリアとの関係が深い。19世紀後半にブラジルで奴隷制が廃止された後、労働力確保のために多数の移民が行われたからである。現在、同国の人口の15パーセントはイタリア系であると言われている。
そうした中で、衝撃的なリーク報道があった。それは、フィアット・ブラジルが国内諜報ネットワークの基幹であり、当時のブラジル軍事政権と密接に協力しあっていた、というものである。フィアット・ブラジルのイタリア人幹部がブラジル軍部による左翼的な労働者を監視する作戦に協力していたというのだ。
このリークで注目したいのが、リーク主が米系オンライン・メディアであるということだ。米国はかつて1823年、いわゆるモンロー宣言と呼ばれる外交方針を公表した。その内容の根本は、「欧州による中南米へのこれ以上の関与を排除する」というものであった。トランプ政権の動向もそれに倣ったものと言え、今次リークもその一端だと解釈することができるのである。
ブラジルは如実に変化しつつあるのだ。
ブラジルはどうなる?我が国への影響は?
これまでリスク要因について再三述べてきたが、ではブラジル・マーケットはどうなっていくのか。実際は、逆に上昇していく可能性の方がむしろ高いことを指摘しておきたい。今年1月1日(ブラジリア時間)のボルソナロ大統領就任以来、ブラジルの株式マーケットは、実は好調を迎えている。2月7日を除き、概ね上昇トレンドの中にある。ボルソナロ大統領が新自由主義者であるという触れ込みがある一方で、一昨年以来、ブラジルが規制緩和を通じた民営化を積極的に推進してきたからであった。
(図表2 ブラジル・ボベスパ指数の直近3か月間における推移)
その象徴的な出来事がルーラ元大統領、そしてテメル前大統領以来、売却を推進している海底油田鉱区の売却案件である。
(図表3 ブラジル沖合における海底油田鉱区)
戦争リスクや財政リスクに言及してきたが、前者について言えば、無論政治的に荒れる恐れがあるものの、逆に“戦争経済”突入ということで、むしろ金融マーケットや産業にとってはプラスになり得る。また財政リスクについても、我が国が「回っている」という事実を想起すれば、意図的に“デフォルト(国家債務不履行)”宣言をしなければ、短期的にそういった事態になるとは言い難い。
但し、「リスク」ではある以上、米朝首脳会談宜しく、急遽ブラジルが戦火に巻き込まれる、または急激な財政問題に至るリスクもあり得ることは念頭に置く必要が在る。そうなったとき、我が国とブラジルという意味で言えば、一次産品の輸入が滞る可能性があるということを忘れてはならない。昨年の米中貿易摩擦において、米国産大豆を補ったのが、ブラジル産・アルゼンチン産大豆であったことを忘れてはならない。また、ブラジル産の鶏肉も業務用のみならず、家庭用でも一般的になりつつある。それが阻害される可能性が在るということだ。
いずれにせよ、マーケットの動態だけでは見えない中で、世界秩序が変革を迎えているという事実に注目しなければならない。冷徹に世界情勢を見つめる必要が在る。このようなグローバル規模での動きが金融マーケットや我が国の今後に与えるインパクトについて、4月13日(土)に東京・日本橋でお話しします。誰でもご参加いただけます。詳しくはこちら(青字部分をクリック)を御覧下さい。
株式会社原田武夫国際戦略情報研究所(IISIA)
元キャリア外交官である原田武夫が2007年に設立登記(本社:東京・丸の内)。グローバル・マクロ(国際的な資金循環)と地政学リスクの分析をベースとした予測分析シナリオを定量分析と定性分析による独自の手法で作成・公表している。それに基づく調査分析レポートはトムソン・ロイターで配信され、国内外の有力機関投資家等から定評を得ている。「パックス・ジャポニカ」の実現を掲げた独立系シンクタンクとしての活動の他、国内外有力企業に対する経営コンサルティングや社会貢献活動にも積極的に取り組んでいる。
大和田克 (おおわだ・すぐる)
株式会社原田武夫国際戦略情報研究所グローバル・インテリジェンス・ユニット リサーチャー。2014年早稲田大学基幹理工学研究科数学応用数理専攻修士課程修了。同年4月に2017年3月まで株式会社みずほフィナンシャルグループにて勤務。同期間中、みずほ第一フィナンシャルテクノロジーに出向。2017年より現職。