新時代の働き方へ
昨年度の国会において政府が最重要法案と位置づけた「働き方改革関連法」が2019年4月1日に施行された。同法は、2017年3月28日に公表された「働き方改革実行計画」の実現に必要な計8本(1)の関係法令を一括して改正したものであり、特に長時間労働の是正や過労死の防止を目的とした“労働時間管理の厳格化”に力点が置かれている(図表1)。
同法施行により、これまで事実上青天井となってきた残業時間(2)には罰則付きの上限規制が導入され、労働者の申請に任されてきた有給休暇の取得には使用者の義務が課されるようになった。また、労働時間の客観的な把握に関しては、労働基準法ではなく労働安全衛生法の改正によって定められ、労働者の健康面がより重視されるようになっている。他にも、勤務間インターバルの確保が企業の努力義務となるなど、労働者の労働時間は全体として減少していくことがほぼ確実と見られる。
一方、労働時間の減少は、労働投入の減少につながるため生産活動を抑制する。現行の業務形態を維持したままでは企業が業績を保つことは難しく、新たな仕組みの構築が求められる。本稿では、産業別の労働生産性の変化から、働き方改革をどのように捉えていくべきか確認する。
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(1)雇用対策法、労働基準法、労働時間等の設定の改善に関する特別措置法、労働安全衛生法、じん肺法、短時間労働者の雇用管理の改善等に関する法律、労働契約法、労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の保護等に関する法律。
(2)法定外労働時間と呼ばれる残業時間は、労使間協議のうえで特別条項付きの協定を結べば事実上無制限に認められてきた。
働き方改革の本質とは
●労働生産性の変化
近年話題に上ることの多い生産性は、労働や資本といった生産要素の投入に対する産出物(または付加価値)の割合として捉えられる。一般的には「生産性=産出(アウトプット)/投入(インプット)」の式で求められる指標だ。生産性の意味するところは、算出式の分母に生産要素のどれを採用するかで変わる。分母を労働投入としたものは労働生産性、資本量としたものは資本生産性、中間投入を含む全ての生産要素を採用したものは全要素生産性と呼ばれている。中でも、実務担当者がよく用いるのが労働生産性だ。
労働生産性は分母をマンパワー、すなわち「労働者数×労働時間数」として、労働時間単位あたりの生産量を測定した指標である。働き方改革は、労働投入に直接的な変化を及ぼす政策であるため、労働生産性から見ることには一定の意味がある。ここでは、経済産業省の経済解析室が用いた手法を参考として、各種指標から産業別の労働生産性を簡易的に算出してその変化を計測する。
図表2は、非製造業の労働生産性の変化を示したものである。安倍内閣が組閣された2012年を100とする指数で表されており、リーマンショック以降の労働生産性の変化を見ることができる。個別に見ると、「建設業」の労働生産性は2012年に大きく上昇し、その後も高い水準を維持している。第3次産業では、全体の労働生産性はほぼ横ばいで推移しているものの、労働派遣業・自動車整備業・廃棄物処理業などを含む「その他サービス業(公務等を除く)」は、建設業と同じく2012年に大きく上昇した後も高い水準を維持している。また、「運輸業,郵便業」は緩やかながら持続的な改善が見られ、「金融業,保険業」や「電気・ガス・熱供給・水道業」も波はあるものの改善傾向にあることが確認される。一方、労働生産性の持続的な低下が見られるのが「複合サービス事業」「学術研究,専門・技術サービス業」だ。特に、信用事業や保険事業(または共済事業)と併せて、複数の大分類にわたる各種サービスを提供する郵便局や協同組合などを含む「複合サービス事業」では、2012年以降の下落が大きく、その後も低水準での推移が続いている。
図表3は、鉱業を含む製造業の労働生産性の変化を示したものである。鉱工業全体では、リーマンショックに伴う落ち込みが大きかったものの、2010年にはそれ以前の水準をほぼ回復している。労働生産性が顕著に、かつ、持続的に上昇しているのは「はん用・生産用・業務用機械工業」「電子部品・デバイス工業」「電気機械工業」だ。逆に、携帯電話やデジタルカメラなどを製造する「情報通信機械工業」は労働生産性の低下が顕著である。
なお、「鉱業」「石油・石炭製品工業」では一部で極端な変化が見られる。これは、雇用者規模の小ささに対して統計単位(万人)が大きいことで生じた統計上の変動である。また、今回基礎データとして用いた「労働力調査」も標本抽出による推計値であり、労働生産性の変化を見る際は、ある程度均して見ることが必要である。
●伸び率の要因分析
図表4および図表5は、2012年から2018年にかけての労働生産性の伸び率を要因別に分解したものである。「生産要因」「活動要因」(以下、生産活動要因)はそれぞれ鉱工業生産指数と第3次産業活動指数の動きを反映したものであり、生産活動の水準の変動が労働制生産性に与えた影響を見ることができる。また、「人数要因」「時間要因」は雇用者数と平均就業時間の変化を反映したものであり、2つを合わせて見ることで労働投入量の変化(以下、労働投入要因)が労働生産性に及ぼした影響を確認することができる。
例えば、非製造業の「その他サービス業(公務等を除く)」を見ると、すべての要因が労働生産性の押し上げに寄与している。これは、雇用者数と平均就業時間が減少する一方で活動水準が上昇してきたことを意味しており、同様の傾向は「建設業」「電気機械工業」「電子部品・デバイス工業」「非鉄金属工業」でも観察される。一方、生産活動要因と労働投入要因が全く逆に寄与してきた産業も確認される。「輸送機械工業」では、雇用者数と平均就業時間の増加が労働生産性の押し下げに寄与する一方、生産水準の上昇は労働生産性の押し上げに寄与している。逆に、「電気・ガス・熱供給・水道業」「繊維工業」「鉱業」「情報通信機械工業」では、雇用者数と平均就業時間の減少が労働生産性の押し上げに寄与する一方、生産(活動)水準の上昇は労働生産性の押し上げに寄与している。
全体的な特徴としては、時間要因が労働生産性の押し上げに寄与する一方、人数要因は労働生産性の押し下げに寄与している。これは、平均就業時間が減少する中で雇用者数が増加してきたことを意味しており、企業が労働時間の減少を人員の増加で補ってきたことを示唆している。このことは、この間に進んだ労働市場改革の方向性にも符号する面がある。政府は少子高齢化の深刻化を見据えて女性や高齢者の活躍推進に取り組んできたが、これには時短労働や在宅ワークといった柔軟な働き方を可能とする環境の整備が必要となり、景気回復による人手不足はその取組みを後押ししてきたと見られる。また、その効果は女性や高齢者の主要な受け皿となる非正規職員だけでなく、フルタイムで働く一般労働者にも及び、長時間労働の是正や待遇改善につながってきたことも考えられる。実際、役員を除く雇用者に占める非正規の職員・従業員の割合は、2012年時点で35.2%あったものが2018年には37.8%と+2.6%上昇し(3)、総労働時間はパートタイム労働者で▲7.2%、一般労働者で▲1.0%と減少している(4)。なお、この特徴は製造業よりも非製造業、労働生産性の高い産業よりも低い産業で顕著である。これは、雇用吸収力の高い非製造業を中心に新たな労働力が流入したことや、労働生産性の低い産業ほど労働時間の減少を人員の増加で補ってきたことなどが影響していると考えられる。
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(3)労働力調査(基本集計)
(4)毎月勤労統計(再集計値)
●働き方改革の意味
冒頭でも触れているように働き方改革は、労働時間を減少させる政策である。仮に、労働時間の減少が人員の増加で補われるだけであれば、それぞれの効果が相殺されるだけであり、労働生産性の向上にはつながらない。足元では、有効求人倍率が1.6倍を越えて45年ぶりの高水準となり、日銀短観の雇用人員判断DIは▲35%ptとなるなど企業の人手不足感は高まっている。また、将来に目を向ければ、少子高齢化で生産年齢人口の減少が見込まれており、労働時間の減少を人員の増加で補うことには限界も感じられる。働き方改革がこのまま生産面の改善につながらなければ、日本経済は縮小均衡に陥るか、生産活動を維持するために改革に逆行して労働時間を増やすしかなくなる。そしてこの限界は、相対的に雇用確保の難しい中小企業で早く顕在化する可能性が高いうえ、労働時間の減少は大企業から中小企業への残業時間の付け替えといった問題につながることも考えられる。中小企業庁のアンケート調査(7)によれば、「取引先の大企業の時短対応のため、丸投げが増えた」「取引先の大企業が残業を減らすために、下請の納期が厳しくなっている」といった声も既に出始めているようだ。
働き方改革による労働者のワークライフバランスの改善には大きな意味がある。しかし、将来を見据えれば、働き方改革を生産面での改善につなげられるか、といった視点が今後重要性を増すことになるだろう。
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(7)中小企業庁「長時間労働に繋がる商慣行に関するWEB調査」(2019年3月)
生産性を改善する取組み
ここまで簡易的な計算に基づく労働生産性の変化を見てきたが、生産性の向上を考える際には資本や技術革新など、他の要素にも目を向ける必要がある。労働生産性は、あくまで労働投入という一側面を切り取って見たものに過ぎない。詳細な検討には、資本生産性や全要素生産性などの分析が必要である。しかし、少なくとも従来の働き方を踏襲したままでは、労働生産性の向上が望めないことは間違いないだろう。労働時間の減少を人員の増加で補う以外の代替手段を見つける必要がある。
具体的な手段を企業レベルで考えた場合には、組織改革、人材育成、IT技術の導入などが候補となり得る。組織改革は、意思決定権限の下位層への委譲、合理的でない社内ルールの見直し、無駄な稟議や会議の削減など、組織効率を改善するための取組みである。組織の内部構造や運営方法を社外の変化に合わせて変えることは、企業の持続的な成長に欠かせない取組みである。人材育成については、日本が不得手とする領域でもある。図表6は、人材育成投資の水準を国際比較したものであるが、日本の水準は欧米緒国と比べて明らかに見劣りする。これには、日本の強みであるOJTが含まれていないとの反論もあるかもしれないが、OJTは既存の業務を効率化するための技能を身につけることには適していても、新たな技術を学び、業務を更新していくことには向いていない。また、業務外の教育訓練であるOFF-JTは、生産性への貢献が製造業よりも非製造業で大きいとの研究結果もある(8)。相対的に労働力の資本による代替が難しいとされる非製造業では、特に重要な視点となるだろう。IT技術の導入については、必要性が認識されてはいるものの、まだ十分ではない。ICTは単なる情報技術に留まらない情報や知識の伝達・共有を含む広義の概念であるが、その導入や環境整備における日本の現状は国際的に見ても低位である(図表7)。働き方改革で注目されるテレワークや人材・設備の稼働率を上げる需要変動予測の導入など、新たな働き方を実践するためにも、ICT、AI、ロボティクスといったハード面の整備は欠かせない。いずれもコスト先行であるため、企業規模の小さなところほど整備が進まない状況ではあるが、将来に対する先行投資として積極的に検討されることを期待したい。
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(8)経済産業研究所「企業の教育訓練投資と生産性」
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鈴木智也(すずき ともや)
ニッセイ基礎研究所 総合政策研究部 研究員・経済研究部兼任
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