トランプ大統領は、2,000 億ドルの対中輸入額への関税率を25%に引き上げると同時に、次に残りの対中輸入額約3,000 億ドルにも制裁関税をかける準備を指示した。遂に、中国が妥協できない領域に要求が及び、今後の交渉が難航することが予想される。

制裁
(画像=PIXTA)

間を置かずに第4弾

 5月10 日の米中貿易協議では、今後、物別れになった場合、制裁関税を残り約3,000 億ドルすべてにかけることになった。この第4弾の措置は、これまで米国の消費者へのインパクトが大きいということで意図的に対象から除外してきたiPhone や玩具などを対象としている。従って、米国の消費者への心理にも打撃を与える。中国以外からの供給が難しい品目は多く、値上げを余儀なくされる。消費者物価にも上昇圧力となる。そこで負担をするのは、米国の消費者という理屈になる。

 ワシントンでは、2,000 億ドルの中国輸入額への関税率を10%から25%へと引き上げる措置を回避すべく、ライトハイザーUSTR代表と劉鶴副首相によって閣僚級協議が行われていた。しかし、5月10 日にその関税率引き上げは実行されて、間を置かずに第4弾の制裁措置が発表されたかたちだ。協議における両者の溝はそう簡単には埋まらず、第4弾の発動も回避しにくいと考えられている。第4弾の準備に約3か月を要するとみると、2019 年夏にそれが実行されると予想される。

 米中の対立点の中で、深刻なのは中国が企業に補助金を与えて支援をしながら輸出振興を図っていることを米国が止めようとしていることである。この点は、中国からみると露骨な内政干渉にみえる。米国からは、「中国製造2025」で中国が補助金を使い産業政策を進めている手法そのものが不公正にみえる。輸出補助金を与えて、輸出産業が生産能力を拡大させると、規模の利益によって平均製造コストを引き下げることが可能になる。それによってシェアを広げる。この手法は、1990 年代に言われた戦略的貿易理論を教科書通りに実行するものだ。だから、管理貿易もやむなしと米国側は考える。

 一方、中国は製造強国になる構想を完全に捨てることは国家の威信にかけてできないから、米国とは折り合えない。もはや、米中対立は、どちらかが方針を転換しなくては回避できない領域へと突入しているのだ。

焦っている大統領

 なぜ、トランプ大統領がこれほど交渉を性急に進めようとするのか。理由ははっきりしている。次の米大統領選挙まであと1年半しかないからだ。米中協議は、当初の想定よりも遅れている。その分、遅れを取り戻すように、早く中国から大きな妥協がほしいとトランプ大統領は思っている。これは、いつもの手に過ぎないが、トランプ大統領が焦るほどに衆目を怖がらせるショックを巻き起こす。「これは脅しであり、本当に米国が望んでいることではない」と頭ではわかっていても、毎回トランプ大統領に怯えさせられる。そして、常に楽観はできないと強く意識させられる。

 トランプ大統領のように瀬戸際戦略を採る人に対して、最も有効なのは「しっぺ返し」作戦だとされる。脅しに対しては、必ず強力な仕返しを用意して、脅迫のメリットを失わせる。ゲーム論では、それが有効策とされる。核戦争を回避する最良策は、報復攻撃を準備して互いに手が出せない体制をつくることだとされる。

 しかし、トランプ大統領は、セオリーと違っていて、しっぺ返しを恐れない。中国が米国に輸入する金額は2018 年1,203 億ドルと、輸出額5,395 億ドルに比べて小さい。すでに、中国が米国の制裁関税に対して課している報復関税は第3弾のところで同額の報復ができなくなっている。米国が中国輸入額2,000 億ドルに25%をかけたのに対して、中国は600 億ドルの対抗しかできていない。残りの3,000 億ドルに関税をかけられると、中国はごく僅かの金額しか報復ができない。実体経済へのダメージも、米国よりも中国の方が打撃が大きい。トランプ大統領は、しっぺ返しの限界を見透かしているようでもある。

人民元切り下げの誘惑

 中国が関税率をすべての対米輸出にかけられると、どのような対応を採ってきそうなのか。すでに、自国の景気刺激のために金融・財政政策を使ってきている。そうなると、その次は人民元レートを切り下げるという通貨政策が浮上してくることになろう。関税率の上昇分だけ通貨を切り下げる。

 もっとも、中国が通貨切り下げを推進することは、中国経済には一定の有効性を持つだろうが、対米国以外の国々には輸出条件を不利にさせる。これまでの人民元レートの改革とも逆行する。人為的に人民元を割安に誘導することは、対円・対ユーロでの割高となる。これは、円高をつくり、デフレ圧力を日本経済にも与える。中国経済の減速に円高が加わると、米中以外の第3国を巻き込む点で好ましくない。まだ、現実味は高くないが、劇薬として通貨政策が控えている。

 G7やG20 でも、通貨誘導は問題視されるだろうから、中国にとってはそう簡単には切れないカードでもある。

岩盤に当たる

 これまでの米中交渉は、利害の不一致を抱えながらも妥協点を見い出せるという期待感が強かった。今回、協議が継続となりつつも、補助金や知財分野で中国が容認できない姿勢をみせたことは、今後の交渉が従来よりも難航することを予感させる。中国は、譲歩できない理由について、尊厳を脅かされることや内政干渉を挙げている。また、国内法を変えてまで米国の要求に応じることはできないとも述べている。こうした説明は、形式にこだわるように聞こえるが、中国がメンツを重視する国であると考えると、ここまではトランプ大統領の顔を立ててきたが、これ以上は譲歩できないと線引きしたことがわかる。

 トランプ大統領は、早期に成果を望むが、それは難しくなり、長期化する観測が強まることとなろう。時間がかかると、中国国内にも情報が伝わり、国民の感情的反発を醸成していく。かつての日本でも、貿易摩擦を背景にして、米国にNoと言える態度が勇ましいという言論が現われたことが思い出される。今、トランプ大統領は危険な賭けに打って出てきている。事態が膠着しないことを願わずにはいられない。 (提供:第一生命経済研究所

第一生命経済研究所 調査研究本部 経済調査部
首席エコノミスト 熊野 英生