未来投資会議で70 歳雇用を努力義務にしていこうという方針が語られている。背景には、年金支給開始の年齢を65 歳から70 歳に遅らせようという将来の計画が隠れているのだろう。そこには、現状のシニア雇用者の有効活用がうまくいっていないことへの考慮が十分には行われていない。一方、政府には、70 歳雇用の準備として兼業・副業を推進している意図もある。

雇用
(画像=PIXTA)

将来への布石

 政府の未来投資会議は、希望する人に対して70 歳まで雇用継続することを、企業の努力義務とする案を提示してきた。おそらく、これは将来の年金改革で70 歳支給開始にするための布石であろう。現在は、そうした支給開始の変更は行わないとしている。これは、現在、厚生年金の報酬比例部分の支給開始を60 歳から65 歳へと引き上げるプロセスの途上であるからだ。男性は、2013 年4 月から61 歳支給、2016 年に62 歳、2019 年に63 歳、そして2025 年に65 歳支給へと移行する。まだ、屋上屋を架すような話をして、年金不安をあおるようなことをしたくないのだろう。ただ、将来は、年金制度の修正があることは十分に現実味があるとみた方がよい。70 歳雇用に関する言及は、すでに首相発言の中にも登場していた。「70 歳まで就労機会を確保できるよう、来夏(2019 年)までに計画を策定し、実行に移します」(2018 年10 月)と頭出しされた。

 これが即座に雇用延長の義務化とならないが、過去の経緯からすれば、年金見直しとともに義務化されていくだろう。すなわち、政府は年金の65 歳支給を行うに当たって、収入の空白期をつくらないように、高年齢者雇用安定法を改正してきた。当初は努力義務だったのを義務化した。義務化といっても、2004 年改正では、希望者に対して労使協定により基準を設けて企業が選別できるようにした。こうした条件付けは、2013 年にはなくなる。これは先の厚生年金報酬比例部分の61 歳支給を開始した2013 年のタイミングと一致する。当時、企業からは政府が社会保障の範囲を狭めて、その責任を民間に転嫁するものだという反発が根強くあったことを思い出す。

 企業にとっても60~65 歳の人々を能動的ではなく、受動的に雇用継続させられていると感じていることもあり、その人達を有効活用しているとは言い難いものだったと思える。そうした事情は半ば無視されるように、70 歳雇用の話が登場してきた印象は強い。

就業機会の整備

 政府は、年金支給開始を遅らせる必要性から、シニア雇用者の雇用確保を促そうとしている。これまでは65 歳支給を前提にしてきた。ただし、それがうまくできてきたかどうかには大いに異論がある。本当に雇用確保のルール化によって、希望通りの働き方ができているとは到底思えない。多くの場合、給与が下がり、職位も下がり、やりがいも感じにくい働き方がみられるように感じられる。働き手の視点に立ったインセンティブ設計は未だ不十分である。

 こうしたシニア雇用の課題をそのままにしておいて、65 歳から70歳へと雇用継続を延長するのでは、矛盾を再生産するに等しい。「働き方改革」ならぬ「働かせ方改革」がなくては、70 歳雇用は年金改革のためにシニア雇用者に忍従を求める政策となる。

 一方、政府の方針には、これまでの65 歳雇用の推進に比べて柔軟性をもって対応しようとしている相違点があることも確かである。その点はよく吟味しておく必要がある。

まず、70 歳雇用に向けた就業機会の確保では、

(1) 定年廃止
(2) 70 歳までの定年延長
(3) 継続雇用制度の導入

といった従来の65 歳雇用のための就業機会の整備に加えて、

(4) 他企業への再就職(子会社、関連会社以外)
(5) 個人とのフリーランス契約
(6) 個人の起業
(7) 個人の社会貢献活動への参加

がイメージされている。それに対して企業は、対象となる個人と相談して、その実行のための計画策定をすることが想定されている。個人とのフリーランス契約であれば、個人への資金提供を企業は求められる。起業の場合にも企業の支援を要請される。政府は、そうしたサポートを企業による担保として義務化する考えもあるようだ。

なぜ、兼業、副業なのか

 実は、最近の兼業や副業を政府が推進していることは、シニア雇用者を起業やフリーランス、そして転職へと導くための下準備という意図がある。その意図を考えるうえでは、従来のメカニズムを理解しておく必要がある。従来の日本的雇用では、その企業でしか通用しない企業特殊的人的資本を若い頃から蓄積して、そのスキルに対する報酬を後払いしてきたとされる。例えば、若い頃は1人当たり生産性が500 万円でも年収は300 万円と少なく、50 歳代になると生産性を上回って高報酬(生産性500 万円に対して800~1,000 万円)が企業から支払われてきた。長期雇用は、若い頃に低かった能力と給与の差額を、50 歳代になって暗黙に支払うことを約束することで成立してきたのだ。

 その代わり、60 歳になってその人が他社、他業種に移ると、企業特殊的人的資本は前の企業のように発揮できなくなり、生産性が下がるので、その人の年収はいきなり800 万円から300 万円へと激減する。これは、その人のスキルが「昔の企業でしか高い生産性を発揮できなかったのだから仕方がない」と理解された。

 この構造があるがゆえに、従来は中高年層の転職は困難で、同じ企業で雇用継続されることをシニア雇用者が望む背景をつくっていた。今までの高年齢者雇用安定法はそうした発想に基づいていたと 思う。それは、企業におけるスキル形成がガラパゴス化することの悲劇とも言える。

 政府は、シニア雇用者の転職が困難なことは百も承知で、その構造を変えるべく、兼業や副業を企業に求めることを始めようとしている。企業特殊的人的資本は、個々の企業が独自のOJTを中心に企業内教育を行っているから、汎用性の乏しいものになる。兼業は、井の中の蛙にならないように、雇用者が他社の文化を学んで自分のスキルがより汎用性を持つために有効である。筆者の個人的体験でも、NPOの活動に参画すると他社の役員、大学教授、弁護士の人達と接して、極めて大きな刺激を受ける。世の中には本当に優秀な人材が多いことを知り、ガラパゴス化してはいけないと痛切に思うようになるのだ。

 反面、兼業や副業を認めたところで、日本型のOJTや雇用システムがすぐに抜本的に変わるとは思えない。それでも政府は、従来のシステムのあり方に、そうした一石を投じなくては現状は変わらないと考えるのだろう。

 最近、兼業や副業がメディアで話題にされるとき、企業側にも従業員の兼業などが本業の成果向上に役立つ効果があると宣伝される。そうした解釈はやや一面的理解のように思える。むしろ、スキル形成のあり方を修正することで、雇用者が転職しやすくなり、同業他社で高い報酬を得ている人に自分の給与を併せて引き上げる潜在圧力になるメリットの方が大きいと考えられる。このことは、逆説的に言えば、個々の企業には兼業や副業を積極的に認めるインセンティブが乏しいということだろう。政府は、企業の経営層に兼業や副業を快く思わない人がいて、その報酬に何らかの制限をつけたりすることがあることも十分に考慮しなくてはいけない。

 いずれにしろ、日本の雇用システムを見直すという遠大な作業をしなくては、65 歳から70 歳へと雇用継続を延長するルールを義務化すれば済むという問題ではないのだ。

 筆者は、日本の雇用者の能力獲得を修正して、若い時期から転職しやすくなるというところは、政府が考えている問題の焦点として正しいと思う。それを実行するプロセスづくりはもっと用意周到に行う必要があるだろう。(提供:第一生命経済研究所

第一生命経済研究所 調査研究本部 経済調査部
首席エコノミスト 熊野 英生