交渉の成否は事前準備で7割決まる
「上司のムチャ振りを断りたい」「値下げせずに定価を維持したい」など、仕事では日常的に様々な「交渉」が行なわれている。しかし、交渉が苦手で「いつも自分ばかり我慢して損をする」と感じている人も多いのでは。そこで、都市計画を専門とし、用地交渉など実践的な交渉の経験を積んだ合意形成のプロである松浦正浩氏に、気弱な人でもできる交渉術についてうかがった。
「交渉しないリスク」は想像以上に大きい
交渉という言葉を聞いて、皆さんはどのようなイメージを抱かれますか。緊張に満ちたやり取り、利害が複雑に絡み合った駆け引き、時には強引な取引を連想する方もいるでしょう。確かに、交渉にはそうした一面もあります。ただ、それは一部にすぎません。
交渉の定義はもっと幅広く、複数の意見をすり合わせ、合意に至る営み全般を指します。私たちはすでに、日頃から無数の交渉をしているのです。仕事先にアポイントを取って日時を決めるのも、夫婦間で「保育園のお迎えにはどちらが行くか」と話し合うのも交渉です。子供が友達と「何して遊ぶ?」と決めるのも、立派な交渉でしょう。
とはいえ、身近なやりとりですら、唯々諾々と相手の要求をのんでしまう人もいます。言い出しにくい要求を通すなんて、ストレスフルなだけ──とかく、日本人にはそんな人が多いかもしれません。
でも、交渉にかかる取引費用以上に、交渉をしなかったときの機会費用のほうが大きいことがあるのをご存じでしょうか。
飲食店アルバイトの学生が、店長に休暇を申請するシーンを例に説明しましょう。
取引費用とは、交渉にかかるコスト。休暇中の交代要員を確保するといった手間や時間のほか、「上司に嫌な顔をされるかも」といった精神的プレッシャーもコストにあたります。
対して機会費用とは、交渉をしなかったときに発生する損失のこと。ギリギリで休暇を申し出れば、店長の印象が悪くなるだけでなく、交代を頼んだ同僚にも「早く言ってよ!」と言われるでしょう。同僚が予定を既に入れていたら、リスケジュールの手間もとらせることになり、周囲のコストも増大します。
利益を主張することは「ワガママ」ではない
交渉を先延ばしにしても損するだけ。ならば、なるべく早めに交渉したほうが賢いはず。それでも、「自分のワガママで人間関係が悪化するくらいだったら、我慢したほうがマシだ」と考える人がいます。
心理的なハードルから交渉を避ける気持ちはわかります。ですが、休むことで得られる利益が、心理的ストレスよりも大きいのならば交渉すべきです。
交渉は「実利」「心理」「プロセス」の面から考えるべきと言われていますが、実利がもっとも大切だ、というのが私の持論です。ビジネスである以上、自分と相手に何らかの利益があって初めて人間関係が成り立つからです。
ドライに聞こえるかもしれませんが、ビジネスでは友情・愛情はなくとも、効率的に作業をこなせる人間関係が重要です。これを、交渉学では「ワーキング・リレーションシップ」と言います。
ですから、交渉時に自分の利益を主張することは、ワガママではありません。この点を、多くの方が誤解しているのではないでしょうか。
そもそも、自分ばかり我慢していては、人間関係は長続きしません。良好な関係を保つために、お互いに納得のいく答えを見つける交渉、つまり「話し合いの技術」が必要なのです。
感情的になったときは交渉決裂のアラート!
さて、ここからは交渉の実践的なテクニックを解説していきたいと思いますが、その前に大切な交渉時の心構えを伝えておきたいと思います。それは、「決して感情的にならない」こと。簡単なように見えて、難しいことです。それを証明するために、私が交渉学の授業の冒頭で、学生たちにさせているあるゲームをご紹介しましょう。名づけて、「とにかく勝つゲーム」です。
四人1組になって、各自がXとYと書いたカードを1枚ずつ持ち、合図と同時にカードを出す。通算10回出し、最終的に最も点数の高い人が勝ちというゲームです。
四人ともYを出せば全員が1点獲得。ですが、もし一人だけXを出せばその人は3点獲得、残り三人はマイナス1点となります。逆に、残りの三人がXを出し、自分だけYならXはプラス1点で、自分がマイナス3点。XとYの二人ずつに分かれたらYの二人がマイナス2点、Xの二人がプラス2点。全員がXなら、全員がマイナス1点です。
このゲームでは、Xを出し続けてマイナスで終わる生徒が続出します。全員が協力してYを出せば確実に点数を稼げるのに、裏切ってXを出したほうが、高得点を稼げる仕組みだからです。最初は、協力してYを出していた生徒たちも、徐々にXを出し始める。「うわ、性格悪!」「信じてたのに……」という声が聞こえてきます。
でも、よく考えてみてください。この駆け引きや裏切りは、パーソナリティとは関係ありません。そもそも、ゲームの目的は勝つことですし、ゲームの構造的にXを出しまくるという、状況に応じた最適な行動を取った結果、「裏切り」になったのです。ここで、感情的にXを出した人を責めるのはお門違いです。
実際の交渉も同じ。感情的になることは交渉決裂のアラートです。交渉の目的を見失わず、相手と自分が置かれた状況を分析し、状況に応じた最適な行動を取る。そのためには、自分の感情をコントロールできるようにならなければならないのです。
自分と相手の「落としどころ」を探る
交渉には、欠かせない鉄則があります。それは、「BATNA:バトナ(Best Alternative to aNegotiated Agreement)」を用意すること。これは交渉が決裂したときのベストな代替案、という意味で、平たく言えば「相手以外にも頼める選択肢」です。BATNAがなければ、相手の言いなりになるしかありません。
例えば、会社の情報システムを発注するにあたって、業者と価格交渉をする場合、他に選択肢がなければ、値引き交渉は難しいでしょう。でも、最悪の場合、決裂しても別の会社に頼めるBATNAがあるなら、強気に交渉できるはずです。
同時に、相手のBATNAを探りましょう。相手が正直にBATNAを言うことはありませんが、得られる情報から、年商や利益率といった数字はもちろん、他にどんな顧客がいるのかは大体わかるはず。そこから、相手のBATNAを察することができます。これがわかれば、この価格以下なら発注する、この価格以上なら発注しないという判断基準ができるはずです。
また、自分と相手のBATNAを図解すれば、自分と相手の交渉の余地、つまり「落としどころ」を見つけることもできます。この交渉の余地を、交渉学ではZOPA:ゾーパ(Zone of possible agreement)=「合意可能領域」と呼んでいます。
ただし、こちらのBATNAは決して知らせてはいけません。
もし、「○社さんにも相見積もりをとったのですが、400万円でやってくれるそうです」と言ってしまうと、相手は「では、当社は390万円で」など、ほんの少しだけ良い条件を出してくるでしょう。もっと値引きできる余裕があっても、最小限の譲歩しかしなくなるからです。「安くしてほしい」という意思は見せて構いませんが、足元は見られてはいけません。
BATNAを駆使し、相手との力関係を測る話し合いは、交渉の基本戦略なのです。
行き詰まったら複数の論点に言及せよ
ここまでの話から、交渉には事前準備が欠かせないことがおわかりいただけたと思います。こちらのBATNAを確保・整理すること、相手のBATNAを調べること、この準備が7割、本番は3割、と言っても過言ではないでしょう。
準備で相手の状況を熟知しておけば、本番で相手が喜ぶオファーができますし、逆に困ることを言って交渉を有利に進めることもできます。自分のBATNAが強く、相手のBATNAが弱いことを「ほのめかす」ことでプレッシャーをかけられるのです。
例えば、「この技術、実は弊社の特許でして……」は、翻訳すると「御社はこの技術なしに商品を作れないでしょう? そのニーズを満たせるのは当社だけですよ。あなたにはBATNAがないですよね」と暗に伝えられるわけです。
さらに、準備の精度が高ければ、相手が気づいていないニーズを指摘することもできます。
業務効率化に成功したように見える取引先で、実は個々の社員の疲労が増している様子を知っていれば、システムの売り込みをかけるときに「このままではオペレーションに支障をきたすのでは? これを使えば作業量3割減です!」といったオファーができるでしょう。「言われてみればその通り」と相手が思えば成功です。
ただし、交渉本番では行き詰まることもしばしば。「値下げしてほしい」「いやそれは困る」というやりとりが平行線をたどるのはお馴染みの光景です。押し問答で無用なエネルギーを消費しますし、最後にどちらかが残念な思いをすることになります。
そうしたときは、複数の取引条件を準備することで、交渉の論点を増やすことです。相手の利害には複数の側面があるので、別の提案で突破口が見つかるかもしれません。
例えば、価格交渉は予算だけでなく、「明日までにどうしてもそれが要る」といった納期の要素も入ってくるでしょう。ならば、買い手は「価格を下げない代わりに納期を早めてくれないか」といった提案ができるわけです。
他にも、売り手は「価格は下げられないが、オマケをつけるからここは定価でお願いできないか」という交渉をすることが考えられます。
本当のゴールは「合意の先」にある
「BATNAの力関係を把握する」「複数の交渉材料を用意する」。この二つを抑えておけば基本は大丈夫でしょう。
もちろん、実際の交渉はもっと複雑です。
例えば、上司と部下で仕事量を調整する交渉なら二人で済みますが、企業合併なら関係者の数は膨大ですから、異なった思惑がいくつも絡み合い、合意の難度も上がります。「不確実性」という要素も無視できません。時間のかかる交渉は途上で刻々と状況が変わり、そのつど再調整する困難さが発生します。
住宅購入は不確実性の高い最たる例。エリアや間取りやローン選定など多様な検討基準があり、それらに基づくニーズは年々変わります。向こう10~20年、収入状況や家族の動向にどんな変化が起こるかを正確に見通すのはなかなか困難なことでしょう。
ただし、どんなに複雑になったところで、「複数の人間が合意を目指す」というゴールは共通しており、方法は同じです。
最後に、交渉について大切なポイントをお伝えしたいと思います。それは、交渉の目的は「合意の成立」ではないということです。合意ではなく、合意内容の実現が真のゴールなのです。
交渉テクニックが上達してくると、ついこの視点を忘れがちです。合意の獲得だけにとらわれず、成果の獲得までをしっかり見据えましょう。
松浦正浩(まつうら・まさひろ)
明治大学 専門職大学院ガバナンス 研究科専任教授
1974 年生まれ。東京大学工学部、マサチューセッツ工科大学修士課程修了後、三菱総合研究所研究員を経て2006 年にマサチューセッツ工科大学都市計画学科Ph.D 取得。東京大学特任准教授等を務めた後、16 年より明治大学専門職大学院にて教授を務める。近著『おとしどころの見つけ方』(クロスメディア・パブリッシング)。(『THE21オンライン』2019年5月号より)
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