(本記事は、甲斐かおりの著書『ほどよい量をつくる(しごとのわ)』インプレス2019年9月25日刊の中から一部を抜粋・編集しています)

価格以外の情報がない買い物

養豚
(画像=Julia Lototskaya/Shutterstock.com)

「安かろう悪かろう」という言葉がある。値段が安ければそれだけ質が落ちる。安いものは安いなりですよという意味である。

そうわかっていてもつい安いほうに手が伸びるのは、店頭で価格以外の情報がないからのように思う。

八百屋や魚屋など小さな商店が元気だった頃は、こぞって店主たちが教えてくれた。「今日入ったこの魚、新鮮だよ、目を見てよ。この値でも安いほうだよ」「そのオレンジを買うくらいなら、絶対こっちの和歌山のみかんがおすすめ!値段の価値あるよ」

そうしたやり取りのなかで、買う側もモノを見る目を養うのだ。

ものづくりや生産の現場を取材していると、価格競争でやむなく安い値段にしている、慣習的に値段が上げられない、質を落としてでも安くしているといった状況を目にする。 値段以外の価値をきちんと知ってもらえれば、価格を下げなくても欲しい人に届けられる のではと思うことも少なくない。

ブランド化して価格を2倍に

一方で、「今の日本の食につけられている値段は安すぎる」と言うのは「みやじ豚」(※1)の宮治勇輔さんだ。宮治さんは自社の豚肉のブランド化に成功し、従来の価格の2倍近い値段で直販している。

宮治さんは自著にこういった主旨のことを書いている。

「食について、『安さ=価値』とされているのは、どういうことだろう。農家の生活が成り立たないほどに、安い。

価格はマーケットが決めるというが、それが妥当かというとそうは思わない。ブランド物の衣服を身に着けている消費者が、どこで出費を抑えているかといったら、食なのだ。

(略)良いものだから、それなりの値段で売る。そのためのブランド化だ」

宮治さんは家業の養豚農家に入る際、一次産業を「かっこよくて、感動があって、稼げる3K産業にする」ことをめざそうと考えた。若い頃は農業や畜産業をかっこいいと思ったことはなかったが、お父さんの育てる豚がおいしいことには確信があったそうだ。

だから生産面には一切口を出さず、モノはそのままに。自分は「どう売るか」を考え、販売、流通、営業の面に手をつけた。

始めたのは、なんとバーベキューだった。知人友人に「一次産業を変えたいから応援してくれ」「バーベキューをやるから遊びに来てほしい」といった主旨のメールを送り、集まった20人に炭火焼きバーベキューでみやじ豚をふるまい「おいしかったら、友だちにも紹介してほしい。連れてきてほしい」とだけ伝えたのだそうだ。

月に1度のこの会は回を追うごとに人が増え、3カ月後には60人、バーベキューのみで年に約350万円を稼ぐようになる。効果はそれにとどまらなかった。訪れた人たちがみやじ豚のおいしさを折に触れて語ってくれたおかげで、銀座のレストランでイベントを開催することになり、取材依頼も増え、飲食店や百貨店での取り扱いにつながっていった。

JAを通して「安い豚肉が欲しい人」に売っていたものを、「高くてもみやじ豚を求める人たち」へ届くように少しずつシフトさせていったのだ。

その移行の仕方が秀逸で、新規就農者によくあるいきなりJAを通さずに直販するという方法ではなく、卸先であるJAにこれまでどおり豚を買い上げてもらい、問屋に預けるまでは従来どおり。その一部を、再び自社で買い取ってみやじ豚のブランドで売り出す手法を取った。みやじ豚が欲しいと注文が入った分だけを買い戻すため、ロスも出ない。買い戻した商品をパッケージして、百貨店やレストランなどに直接届けるのだ。

国産の安い豚肉に比べると、自社製品は2倍近い値段で販売している。月100頭分しか出荷しないと数を制限することで、より希少価値を高めた。従来どおりJAを通して卸す分と、新しい届け先を開拓した分との両輪により売上は3年で5倍に。

従来の販売、流通のシステムでは、生産者が価格や生産量、売り先を決める主導権をもつのは難しい。みやじ豚は主体的に売るようになったことで、それらをコントロールできるようになった。

ほどよい量をつくる(しごとのわ)
甲斐かおり(かい・かおり)
フリーライター。長崎県生まれ。会社員を経て、2010年に独立。日本各地を取材し、 食やものづくり、 地域コミュニティ、農業などの分野で、昔の日本の暮らしや大量生産大量消費から離れた価値観で生きる人びとの活動、ライフスタイル、人物ルポを雑誌やウェブに寄稿。携わった書籍に 『ソーシャルデザイン』 『日本をソーシャルデザインする』

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