(本記事は、甲斐かおりの著書『ほどよい量をつくる(しごとのわ)』インプレス2019年9月25日刊の中から一部を抜粋・編集しています)
量産ですり減った技術
文化や技術に適正な値段をつけることも、ほどよい量のものづくりを維持していく上では大事な要素だろう。
日本には、古くからさまざまな手仕事の文化があった。漆器、鋳物、織物、刃物、木彫、和紙。ところが明治から戦後、多くの産地では量産するためにそれまでの品質を落としたり、技術を変えたりするなどして、安く早く多くつくることが優先された。
たとえば、漆器もその1つ。海外で漆は「JAPAN」と呼ばれる日本文化を象徴する伝統産業だ。もともと漆器の下地は木材からつくられたが、昭和30年代以降、量産が進む過程で、プラスティック製の素地にウレタン塗装を吹き付ける合成漆器がつくられるようになる。漆器の産地として有名な加賀市の山中漆器の工房、我戸幹男商店の我戸正幸さんはこう話していた。
「量産のために合成漆器が必要だったことは否定できませんが、バブル崩壊後は産地の本質がすっかり見えなくなってしまいました。かつて名工が腕を競ってきた技術こそ、伝えるべきものではないかと今は思っていて。技術を取り戻しながら、現代に合ったモノをつくろうとする試みが始まっています」
それでもほかの先進国に比べて、日本ほど手仕事が残っている国は他にないとものづくりに携わる知人たちは口を揃える。うなぎの寝床の白水高広さんは、その理由をこう教えてくれた。
「イギリスやオランダではものづくりが工業化したタイミングで、手仕事が労働としてみなされてしまったんです。だからその後機械化が進むと人の手がいらなくなってしまった。一方で日本は労働の中に美を見出して、手仕事を伝統工芸という形に昇華させた。伝統産業に指定して、保護してきたと理解しています」
1974年に制定された「伝統的工芸品産業の振興に関する法律」(伝産法、と呼ばれる)のことだ。全国の工芸品や産業振興を目的としたもので、2018年11月時点で232の品目が指定されている。
この制度のおかげで補助金が支給されるようになり、競争の激しい市場で戦わずとも維持され、伝統産業界が経済活動から後退したとも言える。1990年以降、生産額および企業数ともに減り続けていることは、その表れでもあるだろう。
補助金で伝統産業を保護することには賛否両論あるかもしれない。でも日本に今これだけの手仕事が残っている状況は、少なくとも西欧人から見ると羨ましいことのようで、高いお金を払ってでも見に訪れようとする人が多い。
伝統産業の技術がなくなったからといって、私たちの暮らしがすぐに困ることはないだろう。でも日本固有の文化、技術がなくなったとしたら、あとに残るのはどの国へ行っても同じ、世界で標準化されたモノばかりになる。
これから価値が高まるのは、その国、地域にしかない特有の文化なのではないか。日本には日本の、その地域にはその地域の、多彩なものづくりが共存する世界。その技術を守ることは、モノができるまでにかけられた時間や手間にお金を払うことでもある。
安いモノばかり選んでいるうちに、気づいたら価値あるものを失っていた......なんてことになるのはあまりに惜しいと思う。すでにそうして失われたものも多い。