(本記事は、甲斐かおりの著書『ほどよい量をつくる(しごとのわ)』インプレス2019年9月25日刊の中から一部を抜粋・編集しています)
量を我慢する
新しく事業を始める場合と違って、長年量産型の仕事を行ってきた工場が、少量生産に切り替える場合はどうなのだろう。
東京都足立区にある株式会社マーヤも、生産数ではなく「質」重視にすることで、厳しいアパレル業界を生き残ってきた数少ない縫製工場の1つである。最盛期には100名の従業員が働いていたが、親会社が倒産したのを機にぎりぎりの経営状況に追い込まれる。このままでは厳しいと、高級婦人服の路線に転向することを決める。現在、従業員は千葉にもある工場と合わせて全部で25名。月に2000枚ほどの服をつくっている。
低単価の量産型から高単価少量生産へ。そう言うのは簡単だが、ある日突然職人の腕が上がるわけではない。どのように方針転換していったのだろう?
まず、菅谷 智社長が値段を上げるにあたって導入したのが「1秒1円」という独自の換算基準だった。交渉時にクライアントに納得してもらいやすいよう、作業にかかる時間を数字で表すようにしたのである。ただでさえアパレルの生産は海外への流出が始まり仕事が減り続けていた時期で、他社には、きた仕事はどれほど安くても断らずに受ける工場が多かった。
「なんでお宅だけそんなに高いの? って言われるわけです。そこで、ボタン付けするのに最低100秒はかかります、うちは『1秒1円』なんで100円は必要です。10秒じゃボタン付け無理でしょうと説明する。そもそも、ボタン付けを10円で引き受けてしまうほうがおかしいんです。実際にそうやって多くの工場がつぶれていきましたから」
工場内の目標数値も、個数ではなく金額で表示した。マーヤの工場のホワイトボードには「本日の目標生産額〇〇円」といった金額が記載されている。衣服に限らず、一般的な製造工場では、「目標生産数○○個」といったふうに、数の記載があるところが多い。そこをあえて金額で記しているのは「数より質」を大事にしていることの表れだ。そのことが働き手にも伝わりやすい。
さらには、請け負っている仕事の工賃や、会社全体でいくら稼いでいるかといった数字を、従業員に対してオープンにした。「みんなにお給料を支払うにはあとこれくらい頑張らないといけない」という数字を可視化したのだ。
この時期、菅谷社長が自身の肝に銘じたのは「量を我慢する」ことだったという。
「今まではこの質でよかったけど、これからのクライアントにはこの質ではダメだと徹底するために、何度もやり直すわけです。だから最初は採算度外視だよね。そのときに、数を欲張ると質が上がらない。ぐっと我慢して、1日に数は多くできなくてもいいと。クオリティを上げることにだけ注力しました」
そして、意外と一番ハードルが高いのではないかと想像するのは、金額の見合わないクライアントの仕事をきっぱり断ったことだ。
そうして少量高単価の方向で技術力を積み上げてきた結果、マーヤが今どういう立ち位置にいるかといえば、都内で高級婦人服をオールアイテム手がけることのできる、3本の指に入る高技術をもつ工場になっている。
服づくりの技術といっても素人目にはわかりにくいが、たとえばサテンやシルクなど薄い生地を使う繊細な服の縫製やミシンかけには高い技術力を要する。今、マーヤでは数は全部で20枚しかつくらないが売値が何十万円もするプレタポルテ(高級な既製服)や、特殊な生地を用いた限定品などの仕事が多い。一度は金額が見合わず断ったものの、ほかにできる工場が見つからなかったからと、再びマーヤの元へ戻ってくるケースも少なくない。
マーヤと付き合いのある、業界に詳しい商品企画の担当者によれば、OEMの受注工場で、クライアント相手にマーヤほど金額交渉をできる強い工場はほかにないという。「仕事があれば赤字でもやりたいってところがほとんどですから」。
4年前から菅谷社長の息子の正さんが工場長として働いており、自社ブランドの商品開発も少しずつ進めている。正さんいわく、衣服の国内生産率が下がり続けるなか、新規参入するところなどないだろうというアパレル加工の業界。それでも「繊細な服づくりに人の手は欠かせません。AIには絶対できない仕事ですから。需要がなくなることはないと思う」。
厳しい業界にありながらも、つくる量を変えたことで、マーヤは足腰の強い、自立性の高い工場になった。低単価量産型から高単価少量生産のものづくりへ、ただビジネスモデルを変えただけに見えるかもしれない。けれどこの話の本質は、その転向によって、マーヤが他に〝代えの利かない存在になった〞点にある。