(本記事は、スティーブ・アンダーソン氏、カレン・アンダーソン氏の著書『ベゾス・レター:アマゾンに学ぶ14ヵ条の成長原則』すばる舎の中から一部を抜粋・編集しています)
無料配送への賭け──フリースーパーセイバー・シッピングとAmazonプライム
2002年にアマゾンが思いついた突拍子もないアイデアは、買い物のあり方を未来永劫変えてしまう可能性を持つものだった。
自宅の倉庫でアマゾンを始めてから8年が経っていた。このころ、ベゾスはオンラインショッピングから人々を遠ざけている最大の要因を確信していた。配送にかかる費用である。
オンラインショッピングは、顧客に多くの利便性をもたらした。一方、会社にとっても土地代や運営費用の比較的安い郊外で倉庫を管理できるため、事業の諸経費を抑えられるというメリットがあった。だが、購入した商品を届けてほしいとは思っても、それには高い金がかかる。そもそも、配送に金を払うこと自体が、心理的障壁になっていた。
配送料は、顧客がアマゾンで買い物したがらない理由として最後まで取り除けずにいるものだった。顧客が当初感じていた「商品を実際に触って確かめることができない」という不安については、商品の画像を活用して十分な返品規定を設けたことですでに払拭していた。本物の店舗まで車を走らせるよりアマゾンで買い物をするほうが簡単で便利だということも、顧客に浸透しつつあった。
だがそれでも、多くの顧客にとって配送に金がかかることへの抵抗感はなお大きく、あえて地元の商店街やデパートまで出かけて買い物するという人も多かった。たとえ配送料が低かったとしても、多くの人がオンラインで買い物することをためらう要因としては十分だったのだ。
この抵抗感を払拭するためにベゾスたちが思いついたのが、25ドルを超えた注文すべてに対して配送料を無料にするというサービスだった。アマゾンにとっては大きなギャンブルだ。配送料は安いものではないし、アマゾンが金額を管理することもできない。顧客のところまで商品を届けるには、フェデックスやUPSや米国郵便公社などに金を払わなければならない。いずれ配送会社が値上げすれば、アマゾンの払う費用も急騰するかもしれないのだ。
アマゾンが導入したサービスは、フリースーパーセイバー・シッピング(配送日数が延びる方法を選ぶかわりに配送料が無料になるサービス)というものだった。事業リスクを少しでも抑えるため、25ドル以上という最低注文額も設定した。それでも、無料配送への投資が途方もないギャンブルなのは変わらない。
世間の反響は大きく、しかもいい反響だった。顧客は、25ドルという基準に達したいがために、カートを商品でいっぱいにした。基準を超えるには、普通は2品以上の商品が必要だったからだ。
3年後、無料配送が十分市民権を得たところで、アマゾンはもう一歩大掛かりな賭けに打って出た。Amazonプライムである。
当時は、もちろんこう考える人がいた。「無料配送」が欲しいからといって、会費を(前金で)支払う人などいるのだろうか。
年間79ドルでAmazonプライムの会員になると、無料の2日配送が何度でも利用できる。さらに、1回の注文につき追加料金を3.99ドル払えば、翌日配送に切り替えることもできるのだ。
Amazonプライムへの大きな賭けはうまくいった。ただの成功ではない。大成功だ。
2018年末現在、Amazonプライムの会員数は1億人を超えている。年会費も119ドル(または月会費12.99ドル)へと引き上げられた。特筆すべきは、2018年の1年間で1人の顧客がアマゾンに費やした金額だ。Amazonプライム会員ではない人の支払額がわずか600ドルだったのに対して、会員の支払額は平均1400ドルだったのだ。
無料配送に高い賭け金を投じたとき、ベゾスは配送費という顧客にとって最大級の障壁がこれで払拭されると確信していた。Amazonプライムによる2日配送のサービスを始めたときも、顧客にとって無料配送がさらに便利なものになると信じて疑わなかったのだ。たしかに、当初は非常にリスクの大きい試みだと思われていたし、始まってからもいいことばかりではなかった。
アマゾンが費やした配送費が、2018年だけで277億ドルにも上るという驚異的な事実もある。
だが、今やAmazonプライムはアマゾンの根幹だ。サービスも拡大して、今では動画配信など35種類の特典が利用できる。Amazonプライム会員が払う会費と購入額だけで、数百億ドルの収益が生まれているのだ。
2014年版レターで、ベゾスはAmazonプライムと無料配送に賭けたときのことを次のように振り返っている。
Amazonプライムは10年前に始まりました。当初のコンセプトは、無料配送と配送日数の短縮を無制限で利用できるサービスでした。何度も無謀だと言われましたし、その指摘はある意味正しかったと思います。初年度は、配送料として収益の数千万ドルが失われる事態になってしまい、単純な計算式では採算がとれることをとても証明できませんでした。
当時、このサービスを進めることを決めた根拠は、すでに導入済みだったフリースーパーセイバー・シッピングで成果があったことと、あとは直感です。お客様は、これが買い物史上最もお得なサービスであることをすぐ理解するはずだという直感があったのです。さらに、プライム会員数が増えれば、配送日数を短縮する費用の大幅な引き下げが可能だと予測するアナリストがいたことも追い風でした。
──ベゾス(2014年版レター)
顧客に対する配送の概念を一から作り変えるのは大きな賭けだったが、最終的には十分すぎるほど元が取れたことになる。
インフラストラクチャー活用への賭け──アマゾンウェブサービス(AWS)
(前略)AWSはすべて従量課金制ですので、設備投資が固定費から変動費へと抜本的に変化しました。AWSはセルフサービスであり、営業担当との契約交渉ややり取りは不要です。オンライン上で契約書を確認するだけで始めることができます。AWSには弾力性があり、事業の拡大や縮小も容易に行えます。
──ベゾス(2011年版レター)
アマゾンがこれまでに大きく賭けたのは、無料配送に対してだけではない。彼らには、世界を変えることも、会社をさらなる高みに引き上げることもできるという自信が常にあるのだろう。
アマゾンが新たな市場に参入するには、ベゾスの定める基準を満たして試験に合格しなければならない。2014年版のレターに次のような文言がある[冒頭の段落記号は著者によるもの]。
夢のようなサービスや商品には、少なくとも次の4つの特徴があります。
•顧客に愛されていること •規模を大きく拡大する余地があること •資本利益率が堅調であること •何十年でも、時代の変化に耐えられること
──ベゾス(2014年版レター)
アマゾンにとって、いつでも活力の源になってきたのがテクノロジーだ。オンライン事業なのだから、テクノロジーが最重要になるのも当然ではある。だが、創業後しばらくは、テクノロジー(IT)は費用がかかるばかりで、利益を生み出すものではなかった。
当時、社内ではIT部門がボトルネックだった。ほかの部門が急速な成長を遂げようとしていても、その障壁になるゲートキーパーがいたのだ。当時の企業の多くと同じく、アマゾンでもコンピューター関係のリソースはIT部門が掌握していたが、会社の急速な成長に伴って、この問題が大きくなり、他の社員との軋轢も生じ始めていた。ベゾスも苛立っていた一人だ。
ブラッド・ストーンの『ジェフ・ベゾス 果てなき野望』(日経BP)は示唆に富んだ本だが、この本の中に、ベゾスが『Creation(クリエイション)[未訳]』(スティーブ・グランド著)という本に出会ったときのことが描かれている(「クリエイション(創造)」といっても、旧約聖書の創世記とは関係ない。『クリーチャー』というゲームに関する本だ)。
『クリエイション』が提言しているのは、新たなインフラストラクチャーの設計だ。このインフラストラクチャーでは、巨大なテクノロジーを細かく分けることで、開発者がその一つひとつの部分を基礎の構成要素として活用できるようになる。この柔軟性は、「DIY」サービスに欠かせない特徴だ。ベゾスとアマゾンがクラウドコンピューティングに取り組み始めたきっかけが、この本にあるとも言われている。
こうして構築が始まったのは、社内のどの部署からでも利用できるように一元化された開発プラットフォームだ。たとえば、車輪というものはすでにあるのに、似たようなものをまた一から発明する必要はない。アマゾンの社内部署が求めていたのは、すでにあるものを設計し直さなくても、誰でも利用できるような共有インフラストラクチャーだった。
部署は違っても、必要な技術サービスの種類は変わらない。アマゾンはそこに目をつけたのだった。だが、アマゾンの面々は次第に気づき始める。今作っているのは、もしかすると思っていた以上に影響の大きいものなのではないだろうか。
2003年、アマゾンの経営陣が非公式に集まり、ある事業を承認する。今後のアマゾンの中核事業になるべき可能性を見極めた瞬間だった。経営陣も、もともと自社商品の品ぞろえは自負していたし、注文から発送までの手順にも自信を持っていた。だが、分析の結果わかってきたのは、自分たちがデータセンターの運営にも優れているということだ。
アマゾンのデータセンターは、規模の調整が可能で、コスト効率も信頼度も高い。事業の利ざやが極めて少ないため、自前のデータセンターやサービスにも極限まで無駄を省いた効率的な運営が求められたからだ。
こうして生まれたのが、アマゾンウェブサービス(AWS)だ。個人も企業も政府も、オンデマンドのクラウドコンピューティングを従量課金で利用できるようにするサービスである。新たな事業が誕生した瞬間だった。
現在構築しているAWSによる新事業のターゲットは、これまでとは違い、ソフトウェア開発者という顧客層です。世界中に幅広いニーズがあります。開発者は、常にストレージや計算容量などの問題に直面していました。以前から開発者が助けを求めていた分野であると同時に、当社が過去12年間規模を拡大する中でノウハウを蓄えてきた分野でもあります。
私はこの新事業を打ち出すだけのものを培ってきたと自負しています。AWSはほかとはまったく異なるサービスですから、意義ある事業というだけでなく、今後金銭面でも魅力ある事業になる可能性は十分あると見ています。
──ベゾス(2006年版レター)
同じ言葉が、顧客向けにはどういう言い方になっているだろうか。
ベゾスの言葉を見てみよう。
9年前に始まった突拍子もないアイデアは今、アマゾンウェブサービスとして急速に拡大し続けています。当初、このサービスを採用したのはスタートアップでした。オンデマンドで従量課金のクラウドストレージと計算リソースを使うことで、これまでよりはるかに速く事業を始められるようになりました。ピンタレストやドロップボックスやエアビーアンドビーなどの会社も、立ち上げ時から現在に至るまでAWSをご利用いただいています。
──ベゾス(2014年版レター)
AWSへの大きな賭けは、報われたのだろうか。
これも、ベゾスの言葉を見てみよう。
AWSは、お客様にご利用いただける最高のサービスであると同時に、将来何年にもわたって金銭的なリターンが得られる事業だと思います。楽観的すぎる意見だと思われるでしょうか。根拠の一つは、チャンスの規模が大きいことです。
最終的には、世界中のサーバーやネットワーク、データセンター、インフラストラクチャーソフトウェア、データベース、データウェアハウスなどあらゆるものに対する支出を取り込める可能性があるのです。アマゾンの小売業と同じく、AWSの市場規模にもほぼ限界がないと考えています。
──ベゾス(2014年版レター)
大きなアイデアに小さく賭ける
アマゾンは大きなアイデアに賭ける。その進め方で注目すべきなのは、どれだけ大きな可能性を秘めているアイデアであっても、最初は(少なくともベゾスの基準では)低い賭け金から始めるということだ。
無料配送の例では、アマゾンはまず実験として、25ドル以上の注文を対象にフリースーパーセイバー・シッピングを始める。その成功を確認すると、賭け金を引き上げてAmazonプライムを開始。このアイデアもうまくいったのを見てから、さらに投資額を増やして、動画配信などのサービスを加えていく。その間、少しずつ年会費も引き上げていったのだ。
アマゾンマーケットプレイスとAmazonプライムとAWSの収益は数百億ドルに上る。アマゾンオークションでは実質ベースで多額の損失を出したが、立て直せないとは誰も考えていなかった。
ベゾス本人も言っているとおり、「(失敗は)楽しいはずもありません。ですが、結局はたいしたことではない」のである。