(本記事は、川田利明氏の著書『開業から3年以内に8割が潰れるラーメン屋を失敗を重ねながら10年も続けてきたプロレスラーが伝える「してはいけない」逆説ビジネス学』ワニブックスの中から一部を抜粋・編集しています)
利益を出す必要がないちゃんこ番と飲食店の予算管理は比較にならない
お金の管理というか、実は予算のやりくりも俺が任されていた。
シリーズのオフに入る時、会社から「ちゃんこ銭」というものが支給される。オフの長さによって金額は変わってくるけど、その予算の中でなんとかやりくりしていくのも、ちゃんこ担当の大事な仕事だった。
この話をすると「じゃあ、新弟子時代からお店を経営するシミュレーションができていたようなものじゃないですか?予算の管理から買い出し、そして新メニューの開発。当然、毎日、厨房に立って味の研鑽もするわけでしょ?」とよく言われる。たしかにそういうふうに捉えることもできるけれど、根本的にはまったく違う、と俺は思っている。なぜならば、ちゃんこ番では利益を出す必要がないからだ。
予算の中でやりくりをすることは大切なので、もちろん赤字を出さないように努力はしてきたけれど、万が一、オーバーしてしまった場合は、とりあえず自分で立て替えておいて、その領収書を集めておく。それをあとで会社に提出すると精算してもらえたので、そこまでシビアな話でもなかった。
さっき食材の話をしたけれど、「いかに予算内でボリュームがあって、美味しいものを作るか」ということを考える上では勉強になったけれども、儲けなくていいんだから、ビジネスの参考にはならない。
結局のところ、俺たちは全日本プロレスという会社に守られていたわけだ。会社という母体があって、そこからお金を支給してもらい、赤字が出たら補填もしてもらえる。この感覚で起業したら絶対に半年も持たない。
俺が脱サラをしてラーメン屋を起業しようと考えている人に対して「絶対にやめたほうがいい!」というのは、そういうことなんだ。
ほとんどの人が「会社に守られている」という感覚があまりないと思う。特に1990年代を経験してきた人たちは、なんか自分が偉かったような気分になっているようだけど「それは違いますよ。あなたじゃなくて、あなたが持っている名刺が偉かった。名刺に書かれている会社名と肩書きが偉かっただけです」と強く忠告したい。飲食店の経営は会社の肩書で成立するほど甘いもんじゃない。
全国津々浦々を巡業しても宿泊先でちゃんこを作らされていた
プロレスラーという職業は、とにかく日本全国を回る仕事だ。
基本的に年間約8回あるシリーズは東京で開幕して、最後はまた東京に戻ってくる、というパターンが多かったが、その間の数週間はずっと日本中を巡業していた。大きな都市だけなく、小さな町までくまなく回っていた。今では見かけなくなったけど、地方都市のスーパーの駐車場や学校のグラウンドでも試合をしていたよ。
だからかな。「全国の旨いものを食べて舌が肥えているから、美味しいものが作れるんでしょ?」とよく言われるけど、答えはNOだ。
俺がプロレスラーになったばかりの頃は、まだ不便さの残る昭和だった。今みたいに地方にはビジネスホテルがなかったので、だいたい試合が終わると旅館に泊まっていた。最初に帯同したシリーズは約5週間あったけど、ホテルに泊まったのは一日だけだった。すべて旅館だったことをよく覚えている。
旅館に泊まれば、美味しい晩ごはんが出ると思っているでしょ?試合が終わって、旅館に行くと大きな宴会場に通されるので、そこで地元の美味しいものを食べられたんだろうな、と。たぶん、普通であれば、そうなった。
しかし、現実はそうじゃなかった。先輩から「おい、川田。ちゃんこやるぞ!」というお声がかかる。なんで地方に行ってまで、ちゃんこ鍋を作らなくちゃいけないんだよ!そう思いながらも、口ごたえなんて絶対にできないので、大広間でちゃんこを作る羽目になった。こうなったら、先輩方が食べ終わるまで給仕をしなくちゃいけないから、結局、俺は残りものを食べて、あと片付けをしなくてはならない。
東京にいても、地方にいても、自分で作って、自分で食べるだけ!
コンビニもほとんどなく、あっても「セブンイレブン」がその名のとおり、朝の7時に開いて、夜の11時に閉めるような時代だったから、夜中に腹が減っても、コンビニに行って、お弁当を買ってくる、なんてこともできなかった。
世界のジャイアント馬場さんがたどり着いた究極の料理とは!?
しばらくして、俺はジャイアント馬場さんの付け人になった。
その頃には旅館だけでなく、ホテルにも泊まるようになったけれども、馬場さんは試合が終わってホテルにチェックインすると、わざわざ外へ出て、食事をするようなことはしなかった。ホテルの中にあるレストランで食事をするのが、馬場さんのライフスタイルだったからだ。
俺も同席していたので、けっこう贅沢な食事をしていたはずなんだけど、馬場さんの奥さんも一緒だったし、常に気が張っている状況だったので、もう味なんてまったくわからなかった。もったいない話だけど、その頃の記憶は俺の舌にまったく残っていないし、できるだけ安いものを選んで食べていた。
馬場さんはかなりのグルメだったけど、「面白いな」と思ったのは世界中の美味いものを食べつくした人は、結局、庶民的な食べ物に回帰するんだな、ということ。
ある時、突然「マクドナルドのフィレオフィッシュを食べたんだけど、こんなに旨いものがあったのか?」と馬場さんが言い出した。たしかに旨いけど、「世界一旨い!」と言われると、ちょっとびっくりする。
でも、馬場さんは本気でそう思っていたようで、それからはホテルから試合会場へと向かう途中、選手を乗せた移動バスは必ずマクドナルドに寄るようになった。車中で馬場さんが食べるフィレオフィッシュを買い込むためだ。旨いもののゴールなんて、本当にどこにあるかわからない。
ある程度、キャリアを積むと、付け人の仕事から外れて、30歳前後でやっと今度は自分に若い付け人が付くようになる。そうなったらようやく雑用からも解放され、試合が終わったあとの時間も比較的、自由になるんだけど、だいたい試合が終わるのが夜の9時すぎ。なんだかんだでホテルに戻るのは10時とか11時といった遅い時間になってしまう。地方だと、もう居酒屋かファミレスしか開いていない時間だから、結局、地元の名物なんかは食べられない。
そうそう。地元のプロモーターやスポンサーの方から接待の席に呼ばれることも多かった。その場合、連れていかれるのは、ほぼ100%、焼肉だった。レスラーなんだから、遠慮なく肉を食ってくれ、とね。最初の頃は嬉しかったな。
ただ、毎日のように焼肉が続くと、「あぁ、そろそろ寿司が食べたいな」と思うようになる。たぶん寿司が3日続いても、美味しく食べられるけど、焼肉が3日続いたら、もうギブアップ。それでも先方がセッティングしてくれた場所に行くだけだから、自分たちで店を選ぶことはできない。そんな中で発達した特殊能力が「焼肉屋に行って、いかにして肉を頼まないで食事をするか?」。つまり、上手いことサイドメニューを組み合わせて、自分なりのメニューを構築するのだ。店ごとに特色があるので、これを考えるのはなかなか楽しかった。
今、自分の店でもたくさんのサイドメニューを提供しているけど、ひょっとしたら、この時の体験が少しは役に立っているのかもしれない。
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