(本記事は、中林美恵子氏の著書『沈みゆくアメリカ覇権』小学館の中から一部を抜粋・編集しています)

バイデン氏に起きた奇跡と「インサイダー」という鬼門

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(画像=PIXTA)

しかし2月29日のサウスカロライナ州の予備選で奇跡が起こる。筆者がちょうどワシントンに滞在中のことだった。投票日間近の26日に、同州選出の黒人有力下院議員であるジェームズ・クライバーン氏がバイデン支持を表明し、黒人票を一気にまとめたのだ。この州では黒人が人口の3割近くを占める。さらに予備選の出口調査によると、同州の投票者の10人に6人がクライバーン氏の支持表明に影響されたと回答している。この結果、トップランナーだったサンダース氏に30ポイント近い大差をつけてバイデン氏が勝利し、大復活劇を遂げた。1990年以降の予備選挙を見る限り、サウスカロライナ州を落としたまま民主党の指名を受けるのは、まず困難。この州の黒人票が民主党候補者指名に大きな影響を及ぼすという、民主党予備選挙の方程式に当てはまるものとなった。

民主党予備選で有権者が最も重要だとしたのが「トランプ大統領に勝てるか」という点だったことは、今年の選挙の最大の特色である。政策も人柄も二の次だと、民主党支持者たちは世論調査で回答している。つまり、勝てそうに見えるかどうかが変化するだけで、有権者の投票先も猫の目のようにくるくる変わる現象を生んだのである。サウスカロライナ州で「トランプに勝てそうだ」と見せる努力をしたのは、オバマ前大統領だったとされる。筆者の友人にオバマ氏と家族ぐるみの付き合いという親日家がいるが、オバマ氏は当初から中道派でなければトランプ氏に勝てないと主張し、サウスカロライナ州の予備選挙にも背後から影響を与えたらしい。さらにその後はピート・ブティジェッジ前インディアナ州サウスベンド市長やエイミー・クロブシャー上院議員が撤退、バイデン氏支持を表明する流れに、実は寄与していたという。

こうして黒人も中道派の白人層も、ともすれば中道的な共和党支持者にも受けそうなバイデン候補のイメージが伝わり、3月3日のスーパー・チューズデーでは、大圧勝となった。しかし、それはバイデン氏に熱狂的な支持が集まったというよりも、2016年の二の舞を避けたいがあまりに、一部の熱狂的な左派支持者を抑えて、結局のところ既存政治に最も近く、エスタブリッシュメント中のエスタブリッシュメントで、かつワシントン政治のインサイダーである候補者に落ち着いたのだった。

過去の大統領選を振り返ると、挑戦すべき野党の候補がワシントン政治のインサイダーを指名候補として予備選で選出するケースは結構多い。しかし図2-1に整理したように、2期目の選挙で敗北した大統領は、インサイダーに負けた例はないが、アウトサイダーの挑戦者には負けている。例外はレーガン政権の継続とみなされたブッシュ氏(父)であり、社会の現状路線維持を望む国民の意向が反映されたと考えられる。現職大統領に挑戦する場合、バイデン氏のようなインサイダー中のインサイダーが、現職大統領を下す例は近年にない。

沈みゆくアメリカ覇権
(画像=沈みゆくアメリカ覇権)

現職の大統領は、選挙前の実績を掲げて再選を目指すのだから、現状維持を主張する立場だ。再選が成功するということは、社会のムードが現状維持に傾いていたということにもなる。逆に野党候補者は、常に挑戦者だ。現状の変革を訴える以外に選択肢はない。近年の大統領選挙で州知事経験らワシントン政治のアウトサイダーが現職に挑戦して勝利してきたのは、そういうロジックが成り立つからだ。2016年のトランプ氏も、政治経験も軍隊経験もなかったアウトサイダーだったからこそ、有権者は既存の政治を変革できる人物だと確信できた。それを証明するかのようにトランプ氏は、有言実行を貫いている。

今年の民主党候補は、現職大統領に挑戦し現状変更を訴える立場だ。それを考慮するなら、指名候補はバイデン氏ではなく、アウトサイダーとして信憑性の高い候補を選ばねばならなかった。しかし野党側は、過去の例にもあるようにインサイダーのバイデン氏を選んだ。もしも、バイデン氏が今年の大統領選挙で勝てるシナリオがあるとすれば、本人の良し悪しではなく、社会全体のムードや民意がよほど現状変更を希求する状態になる以外はない。サンダース氏のように、古いワシントン政治とは相いれない民主社会主義者という候補だったならば変革の方向性が際立ち、それなりに熱狂が生まれる可能性はあったがインサイダーのバイデン氏に、熱狂は期待できない。

もしもパンデミックが発生せずに、アメリカの好景気が続いていたとしたら、トランプ大統領の2期目は、歴史的な勝利のパターンを見ても、勝利することが自然だった。今年はコロナ禍が例外だというなら、ワクチンや特効薬で景気が回復し始めれば、従来の歴史的パターンに戻るはずだ。しかしパンデミックと不況が長引けば、通常の勝敗パターンは崩れる可能性が生じる。挑戦者がインサイダーで熱狂なき候補者なのに2期目の現職を下すなら、歴史的にも極めて稀な大統領選挙と言わざるを得ない。

トランプ大統領は、40年以上ワシントン政治に浸かってきたバイデン氏と比較すると、現職とはいえ相対的にアウトサイダーの資質がある。トランプ氏はテレビ討論などで必ずや、バイデン氏のインサイダーとしての過去の経歴や失策を、容赦なく攻撃するであろう。これはまるで挑戦者と現状維持派が逆転するような珍光景となる。そして攻撃は、パンデミックのせいで景気や雇用、その他の政策実績に傷がついたトランプ大統領に残された数少ないカードだ。自らが4年前に使用した「アウトサイダー」の冠を再び被る珍しい選挙だ。現職がそれを試しても本来ならアウトサイダーの信憑性はもはやないのだが、たまたま挑戦者がバイデン氏というインサイダーかつエスタブリッシュメントであるが故に、トランプ氏の訴えが説得力をもつ可能性が出てくる。

沈みゆくアメリカ覇権
中林美恵子
埼玉県深谷市生まれ。大阪大学大学院国際公共政策研究科博士後期課程修了、博士(国際公共政策)。米国ワシントン州立大学大学院政治学部修士課程修了、修士(政治学)。米国在住14年間のうち、永住権を得て1992年にアメリカ連邦議会・上院予算委員会補佐官(米連邦公務員)として正規採用され、約10年にわたり米国家予算編成に携わる。『日経ウーマン』誌の政治部門「1994年ウーマン・オブ・ザ・イヤー」受賞、1996年アトランタ・オリンピック聖火ランナー。2002年に帰国し、独立行政法人・経済産業研究所研究員、跡見学園女子大学准教授、米ジョンズ・ホプキンス大学客員スカラー、中国人民大学招聘教授、衆議院議員(2009〜2012)などを経て、2013年早稲田大学准教授、2017年より教授。

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『沈みゆくアメリカ覇権』シリーズ
  1. 墓穴を掘ったトランプ大統領、失敗の最大の原因とは
  2. バイデン氏に立ちはだかる「インサイダー」という鬼門
  3. トランプ大統領が行なった中国に対する強烈な脅し
  4. 中国とロシアの接近がアメリカの存在感を低下させる理由
  5. 自動車関連の輸出が「日本の弱み」になっている訳
  6. アメリカ大統領たちの「中国政策」と日本の立ち位置
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