(本記事は、中林美恵子氏の著書『沈みゆくアメリカ覇権』小学館の中から一部を抜粋・編集しています)

経済的余裕と楽観的な将来が約束されたかつてのアメリカには戻れない

アメリカ
(画像=PIXTA)

トランプ氏が2016年大統領選挙を戦った際、日本を含めたTPPからの離脱を公約とした。民主党候補者のヒラリー・クリントン氏も、当初はオバマ政権が推進したTPPの賛同者だったはずだが、選挙戦を戦う中で反対に転じた。それは国民が求める政策の方向性が選挙を通して顕在化したともいえる。それでは、もしバイデン政権が誕生した場合は、TPPを推進していたオバマ政権の立ち位置に直ぐに戻り、複数国が合意する貿易協定に帰ってくるのであろうか。

民主党支援者のオリジナルの傾向を見れば、それは簡単なことではなさそうだ。少なくともひとまずは、TPPを再交渉していくとの立場をバイデン氏は示唆しているが、歯切れの悪い理由は、大統領選挙の接戦州となる中西部ラストベルトの有権者に代表されるように、アメリカの労働者には自由貿易やグローバル化に対する不安や憤りが高まっていることを承知しているからだ。またバイデン氏は生涯、自らを「アメリカ人労働者の擁護者」という立場を取り続けてきた。その彼が1993年のNAFTA採決時に賛成票を投じたことは、有権者の非難にもつながっている。トランプ選対はこの点を強調するためのコマーシャルを多く流しており、TPPを含め賛成の傾向があるバイデン氏が本当に労働者の味方なのかと問いただすものとなっている。

中国についても、たとえば左派のバーニー・サンダース上院議員は、予備選挙でバイデン氏の対中姿勢を批判していたことがある。サンダース氏がSNSに投稿した言葉の中には「中国をアメリカの主要な経済的競争相手ではないと見せようとするのは誤っている」とし中国がWTOに加盟してから中国共産党政権が貿易に参入し、そのせいで「アメリカの300万人以上の製造業の雇用が失われた」と主張したのである。これはトランプ大統領の保護主義と共通する点があり、左派の支持が必要なバイデン氏は、必ずしも自由貿易に舵を切れる環境を、簡単に作れない可能性がある。

バイデン氏はトランプ大統領との差異を表現するためにも、国際協調路線に戻り、トランプ大統領が原因となったアメリカの信頼の失墜を修復するための政権運営をすると公言している。その意味では、一定の国際協調は戻ってくると期待していい。しかし、トランプ政権の誕生をもたらしたアメリカの本質や時代の要請が完全に変化したわけではなく、バイデン氏は急進派かつ労働者層の不満を反映して保護主義的な要素も体現する必要があり、かつての経済的余裕と楽観的な将来が約束されたかつてのアメリカに急に戻ることは困難だ。

自由貿易の枠組みという意味で最も重要になるのは、WTOの扱いであろう。トランプ政権では上級委員会の委員任期切れの際に後任任命を認めず、実質的に最上位の審議機能がストップしている状況だ。バイデン政権が誕生する場合、この任命問題はおそらく解消する。しかしながらWTOでは中国が途上国扱いとなり貿易の優遇策を享受しているため、そのような問題が解消されない限り、にわかにアメリカや(あるいは日本にも)満足のいく組織改革にはなり得ない。政権が変わってもそうした課題は残される。ただし、バイデン政権はトランプ政権批判の意味からも、トランプ氏の手法とは違うパターンを見せつけることになろう。その1つが国際協調の姿勢である。おそらく多くの国と協力関係を築くことによって中国が公正な行動をとるように強制しようと努めるのであろうが、中国も対抗してこよう。

アメリカの批判を受けて、WTOはようやく改革の重い腰を上げつつあるが、道半ばだ。たとえば、上級委員会改革の司法積極主義が加盟国の権利を侵害している点について、納得できる改革に至っていない。また交渉ルールについての問題も加盟国の利害対立が激しく、合意への道のりは遠い。そして行政機構としての機能強化も課題になっている。WTOは加盟国の政治的思惑などが原因で硬直化が目立つようになってきており、日米が中心となって通知の改善など罰則を伴う改善案を提出したのだが、途上国の反発があり実現していない。

また、トランプ大統領が提唱したアメリカ・ファーストの手法は他国にも引き継がれ、合意形成はますます難しくなっている。米中の対立は新型コロナウイルス発生の責任追及問題まで絡み、カナダのロブスター関税やEUのデジタル課税、中国によるオーストラリア産牛輸入規制や大麦の追加関税など、すでにWTOルール軽視には歯止めがかからない状況に陥っている。そこへ突然バイデン政権が登場したとしても、利害対立を繰り返す各国に対しリーダーシップを発揮するのは、一筋縄ではいかないと推測される。ましてや新型コロナのパンデミック時代を迎え、生命や健康に直結する医療物資や防護具、食料に至るまで、輸出制限をかける国が出現しているのだ。本来ならば通常の輸出を継続するべきところ、パンデミックの名のもとに自国第一の視点から普段の貿易を阻害する横暴がまかり通る現実を前に、本来果たすべきルールに基づく自由貿易は大きな危機に直面している。

米中のような大国が、ルールに則らず自らの力による支配を目指すように一旦方向付けられると、それを逆転させるだけのインセンティブ(動機付け)が必要になる。バイデン氏にそのインセンティブを「反トランプ」という根拠に求めるのは、無理筋というものだ。結局のところ、中国という大国が本当の意味でフェアなプレイヤーになることが、唯一の根本的な解決策ということにならざるを得ず、成功の見通しは必ずしも明るくはない。

アメリカのプレゼンスを低下させる中ロの接近

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(画像=(画像=Graeme Dawes/Shutterstock.com))

ブッシュ(子)大統領が2001年に大統領として就任するや否や、早々にオーバルオフィスに招いた上院議員がバイデン氏であった。ブッシュ氏はテキサス州知事の経験はあったが外交については未だ初心者であった。そこで、旧ソ連から中国に至るまで、世界中のリーダーたちと面識を持つバイデン氏の見識を聞いて、共和党とはまた違う世界観と感触を知ろうとしたとされる。政党の差はあっても、バイデン氏もブッシュ氏も親しみやすいタイプだったことが、こうした会合が可能になった理由だろう。

バイデン氏が37歳で初めて鄧小平氏に会った時、中国のリーダーがソ連をひどく恐れていたことが印象に残ったという。彼は同年1979年にソ連を訪れた。その時ブレジネフ書記長らソ連のリーダーと面会した。2009年のモスクワでのプーチン大統領との会談は、バイデン氏がロシア大統領の肩に手を載せ「目を見て申し上げますが、あなたには魂がない」と言ったと、バイデン氏は公にも語っている。

ロシアは現在もアメリカから経済制裁を受けている。当初は、トランプ大統領にその解除の期待も抱いたようだが、アメリカ国内全体および米議会にはそのような意向は全くなく、トランプ大統領もロシア疑惑などの問題を抱えて思うようにロシアのプーチン大統領と交渉することはかなわなかった。

その間に、プーチン氏は習近平氏に接近する構図になってきている。前述したように中国の「香港国家安全維持法」について、2人が2020年7月8日に電話協議した際、プーチン氏が支持を表明し、外国による内政干渉への反対や主権の維持に向けて連携すると表明した。同時にアメリカを念頭に置いて「中国の主権を害するいかなる挑発にも反対する」とした。両氏は、それぞれの任期を事実上なくす方策を講じている点でも共通点が多く、中ロの接近はアメリカに対する牽制という意味でも連携し易い土壌がある。

さらにロシアは、米中の対立の隙間をぬうように、東南アジア諸国への武器輸出を拡大していることも気にかかる。インドネシアにはロシア製戦闘機「スホイ35」の販売に熱心だし、すでに2018年の売却契約では11億ドル11機を契約済みだ。またベトナムとも軍事協力を模索し、潜水艦などを輸出した。ラオスには2020年に戦車などを納品した。2010年から9年間にロシアは、ASEAN諸国の武器調達に占める割合を、その前の10年間の24%から28%に上昇させた。一方でアメリカの方は23%から18%に低下しているので、アメリカにしてみれば心穏やかではない側面がある。ASEANで8%を占める中国と比べてもロシアは最大の武器輸出国といえる。中国の脅威に連動する形で、ロシアの輸出が伸びているという指摘もある。

宇宙の支配をめぐっても、ロシアはアメリカや中国とも競争を激化させている。主に相手国の衛星を破壊・妨害する兵器の開発や、ハッキングなどに力を入れる。宇宙の軍備管理となると未だ国際法が未整備であるため、宇宙での紛争が勃発する可能性に、中国と同様、ロシアへの不信感は簡単には拭い去れない。そして米ロの軍縮に関する条約や協定は期限切れを迎え、アメリカが何とか中国を含めた軍縮にもっていきたいと意図しつつも、中国がそれに応じていないが故に、米ロも軍事力拡充に舵を切らねばならない状況が続いている。仮に米ロの合意を見たとしても中国がこれに加わる可能性は今は低い。

1991年に旧ソ連が崩壊してからというもの、アメリカがロシアを安全保障上最も注目するという時代は過去のものになった。東欧もNATOに加盟するまでに変化した。2000年代はエネルギー資源の確保のみならずテロとの戦いで、アメリカの関心は中東に集中した。ところがその後、アメリカがシェール革命でエネルギー資源輸出国に転じると、中東への関心は薄れていく。その間に中国は経済力と軍事力を一気に増大させた。バイデン氏が副大統領を務めたオバマ政権は「リバランス」あるいは「ピボット」と呼ばれる政策で、ヨーロッパ重視の政策からアジア太平洋にバランスよく配置するように方向性を変えた。このリバランスの理由となったのが主に中国である以上、ロシアが中国に接近すれば、アメリカにとってロシアへの制裁解除や協調という選択が難しくなってしまう。

また、議会民主党が主導したアメリカ大統領のロシア疑惑調査をめぐり、トランプ氏本人の関与は証明できなかったが、ロシアが米国の選挙に干渉しようとしたことが多くの証言や証拠で確認されている。クリミア半島併合など、ヨーロッパにとっては現在でもロシアが脅威であるし、民主主義への挑戦という意味では、何よりも米議会が警戒をしている。2017年、ホワイトハウスが慎重な姿勢を示していたロシア、イラン、北朝鮮に新たな制裁を科した際、既存の対ロシア制裁の緩和もしくは解除には大統領が議会の承認を得なければならないと決めた法案は下院で賛成419票、反対3票、米上院で賛成98票、反対2票で可決した(反対票を投じたのはランド・ポール上院議員とバーニー・サンダース上院議員のみ)。大統領の拒否権をも覆す圧倒的多数で通過したため、大統領もしぶしぶ署名している。それを受けてロシアは報復措置として、ロシア駐在の米外交官の数を455人に大幅削減し、米国務省もサンフランシスコにあるロシア総領事館およびワシントンとニューヨークにある公館の別館を閉鎖するようロシア政府に求めたほどである。

したがって、民主党政権になった場合にも、こうした方向性が緩むことはないだろう。またトランプ大統領がロシアに接近したくてもできない状況であったことを鑑みると、議会でも超党派の意思決定がロシアに関しては働き続ける可能性が高い。ましてや中ロ蜜月のような状況になれば、ロシアに対する心証はさらなる悪化が懸念される。

沈みゆくアメリカ覇権
中林美恵子
埼玉県深谷市生まれ。大阪大学大学院国際公共政策研究科博士後期課程修了、博士(国際公共政策)。米国ワシントン州立大学大学院政治学部修士課程修了、修士(政治学)。米国在住14年間のうち、永住権を得て1992年にアメリカ連邦議会・上院予算委員会補佐官(米連邦公務員)として正規採用され、約10年にわたり米国家予算編成に携わる。『日経ウーマン』誌の政治部門「1994年ウーマン・オブ・ザ・イヤー」受賞、1996年アトランタ・オリンピック聖火ランナー。2002年に帰国し、独立行政法人・経済産業研究所研究員、跡見学園女子大学准教授、米ジョンズ・ホプキンス大学客員スカラー、中国人民大学招聘教授、衆議院議員(2009〜2012)などを経て、2013年早稲田大学准教授、2017年より教授。

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  1. 墓穴を掘ったトランプ大統領、失敗の最大の原因とは
  2. バイデン氏に立ちはだかる「インサイダー」という鬼門
  3. トランプ大統領が行なった中国に対する強烈な脅し
  4. 中国とロシアの接近がアメリカの存在感を低下させる理由
  5. 自動車関連の輸出が「日本の弱み」になっている訳
  6. アメリカ大統領たちの「中国政策」と日本の立ち位置
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