(本記事は、中林美恵子氏の著書『沈みゆくアメリカ覇権』小学館の中から一部を抜粋・編集しています)
自動車関連の輸出は日本にとっての弱みになっている
トランプ政権の通商政策は、大統領選挙中に訴えた内容に忠実に実現する方向で進められてきた。そして彼の大統領就任演説でも、アメリカがひどい目にあわされているのは、アメリカ人が外国から搾取され続けてきたからだという認識に立っている。就任演説の以下の部分を思い出してみると、そうした考えが凝縮されていることが見て取れる。
「何十年もの間、我々はアメリカの産業を犠牲にして外国の産業を豊かにしてきた。自国の軍隊の悲しむべき疲弊を許しておきながら、他国の軍を援助してきた。我々自身の国境を守ることを拒否しながら、他国の国境を防衛してきた。そして、アメリカのインフラが荒廃し、劣化する一方で、何兆ドルも海外につぎ込んできた。我々の国の富、強さ、自信が地平線の中に消えていく最中に、我々は他国を裕福にしてきたのだ」
そうした認識の標的の中に、日本が含まれていることは明らかであるし、それもすでに触れたとおりだ。それでも日本はトランプ氏の機嫌を損ねてはいけないと、懸命に立ち回り続けている。2019年2月15日の大統領の記者会見では、最後の方の質疑応答の中でトランプ氏が安倍前総理からノーベル賞関係者に送った5ページにわたる「最も素晴らしい書簡」を受け取ったと述べている。安倍前総理は「日本を代表し、敬意を込めてあなたを推薦した。私はあなたにノーベル平和賞が授与されるようにお願いしている」と言ったそうであり、それに応えてトランプ大統領が「有り難う」と言ったというくだりは、現在もホワイトハウスのホームページに掲載されている。
こうしたトランプ大統領への配慮は、たしかにさまざまな分野で顕著に観察できる。ただし、日米FTA(日本ではTAG)、種子法、カジノ法案や水道法などが、どれもこれもトランプ政権への配慮またはアメリカによるゴリ押しかというと、必ずしもそうとは言い切れない。
アメリカには民間企業も含め多くの関係者が日本へのアクセスを狙っている。圧力をかける方法としては、自国政府であるトランプ政権に具申することもあるし、直接日本の政策関係者に働きかけるケースもある。東京にあるアメリカ商工会議所などは、それぞれの商業的な立場や希望を表す方法として意図を公表して意思疎通を図ろうともしている。これは言ってみればビジネスであり、透明性ある公開文書だ。それを不当な圧力と感じるかどうかは、日本の受け止め方次第である。
かつてオバマ政権がTPPを推進していた際に、日本の皆保健医療がアメリカと同じ仕組みになり、医療崩壊が起こるという議論もあった。農家からの不安や反対も当然ながら巻き起こった。しかし結果的に医療も農業もその時想像したようには崩壊していない。トランプ政権のアメリカ・ファーストによって、急遽TPPはアメリカ抜きとなり、日米は二国間交渉に入ったのだが、そこにはトランプ氏の意思と目的が大きく働いていた。したがって、日本は第1段階の合意にたどり着くまで、何とかトランプ外しを試みて(ペンス・麻生経済対話など)時間稼ぎをしながら、自動車の追加関税25%の発動を警戒し続けた。しかし、その警戒がどれほど必要なものだったかは、いまだに不明だ。そのような関税はアメリカの経済にとっても大きな打撃となるし、脅しだけで発動はしていない。そのような追加関税はマーケットをも不安定とし、トランプ大統領とはいえ、選挙を前にそのようなドラスティックな手段を選択するのはリスクが高すぎるという声もあった。
日本の法律は、日本人が考えるという基本に立ち返れば、全て外圧の責任にすることは却って問題の本質を見えなくしてしまうことになるだろう。イージス・アショアの配備を断念しようと日本が決めれば、これが日米同盟の崩壊にはならないということも、実際によく分かったばかりだ。
自由貿易交渉のような国家間のトップレベルが合意するものであれば、アメリカ国民も注意を払うであろうが、個別具体的かつ日本の法改正の話には、アメリカの大衆は全く関知していないだろう。特定の会社の特定の部署がビジネスで成功しようとして運動を展開していると考えるのが妥当だ。ただし、そのような運動がアメリカの政治を巻き込むことに成功すれば、世間が知るような大きな国家間の問題に発展する可能性は残る。
トランプ大統領が2019年5月に発表し、商務省に対して日本やEUから輸入される乗用車や自動車部品が、アメリカの国家安全保障に脅威となるかを調べるように命じたことは、特定の業界の利益が国家間の交渉に影響をあたえた例といえる。トランプ大統領が2016年に勝利できた理由は、ラストベルトとされる鉄鋼業や自動車・自動車部品産業などの労働者および農業従事者がカギとなったとされている。通商拡大法232条(1962年)は、そうした権限を議会が大統領に立法によって与えたものである。それを同盟国に用いることを憂えた今日の議会は、大統領の権限を制限する立法の検討までしたくらいだ(特に関税問題を所轄する上院財政委員会のチャック・グラスリー委員長が中心となった)。
鉄鋼とアルミニウムの追加関税をトランプ大統領から浴びせられている日本だが、他の各国が行ったようにWTOへの提訴さえしていない。この行為を例にとっても、日本が必ずしも他国に比べて不当に扱われているというより、逆に日本が圧力や力に対して抵抗しないことを選択している。そのことにより、国際貿易の基本ルールを曲げることを容認する日本のスジは一体何なのか、一切見えてこない。
こうした日本の姿勢が、さらなるロビー活動や政府間の圧力を招いているということもできよう。さらに、自動車や自動車部品は、いまだに日本のアキレス腱でもある。日本からアメリカへの輸出金額(2018年は約1420億ドル)のうち、およそ3分の1が自動車と自動車部品だからだ。輸出品目に大きな偏りがあることは、日本の立場を弱くさせる。アメリカ国内の労働者も、基本的に保護貿易を支持している。そして日本の自動車メーカーは、2015年の段階でも46万人以上をアメリカ国内で雇用するに至っているのである。それであってさえも、日本からアメリカへの輸出は1つの業界に大きく偏ったままである。
この偏りが、交渉におけるアキレス腱になりやすいのであれば、もっと多様化された輸出品目を増やさねばならない。それを開拓し推進できるかが、アメリカからの圧力への不満およびアメリカへの忖度を減少させるカギとなる。民間の底力も必要であるため、実行はいうほど簡単ではなかろうが、アメリカにフェアな手段を取らせるには、こうした産業界の努力も政府の後押しも必要となる。
トランプ政権が本当に望んでいるのは、日本のアジア地域での影響力強化
「日本が憲法9条を改正するなら、もちろん大歓迎」
普段は日本の主権にかかわることを発言することに非常に慎重な国務省の現役外交官が、思わずプライベートで口にした言葉だ。筆者は「やっぱりそうだろうな」と思った。アメリカの政府関係者は、普段なら必ず「それは日本国民が決めること」という優等生の発言をするのが決まり文句だから、かえって正直さが際立った。単なる意見であり、日本に憲法改正の圧力をかけるような野蛮なことはしないが、気持ち的にはそういうことなのだ。
戦後の日米関係を振り返ると、それはアメリカによる日本の安全保障上の役割拡大圧力の歴史でもある。敗戦後の新しい憲法によって日本は体制変換の実験場となり、アメリカでさえ実現できなかったリベラルな平和憲法をもつことになった。それを歓迎したのは、戦争の悲惨さを経験した当の日本国民であった。しかしその後アメリカは、朝鮮戦争やベトナム戦争、冷戦や中東での紛争など、多くの戦争にかかわっていく。その間、日米安保は常に片務的ではないかという批判にさらされながらも、日本の戦略的な重要性および貿易摩擦に勝る安全保障への懸念が、同盟を維持させてきた。
その後も、北朝鮮や中国の脅威は増大している。日本は吉田ドクトリンに代表されるように、軍事費を使わず経済成長を目指した。そしてアメリカの戦争に巻き込まれることを大いに警戒し、日本の憲法は1度も改正されることはなかった。またそれに慣れてきたアメリカの知日専門家たちも「改憲せずとも解釈で日本の役割を増大できれば同じことではないか」と言い始めたりしていた。
しかし、戦後保ってきた日本の専守防衛という立場も、環境の変化に伴って変容せざるを得ない。2018年、護衛艦「いずも」を最新鋭ステルス戦闘機F35Bが発着艦できるよう改修する方針も、多様な任務を想定してのことだった。特に中国の海洋進出には対応が必要にならざるを得ない状況が生じていた。たとえば、中国初の空母「遼寧」から複数の戦闘機が飛び立った場合、遼寧が活動する地域・海域の周辺に基地やレーダーが少ない自衛隊では、対応の遅れが想定された。
アメリカが日本の役割拡大を歓迎することは、常であった。2019年1月にもそのような会話があった。訪米中の岩屋毅防衛相(当時)がパトリック・シャナハン米国防長官代行(当時)と国防総省で会談した際、前年12月に決定した新たな防衛計画の大綱を踏まえ、「日本が役割拡大をはかる強い決意を示したことを歓迎する」と表明したのである。この時、日米は、抑止力を一段と強化させるとともに、日米が基軸となって安保環境の創出をめざすことを申し合わせた。宇宙、サイバー分野での協力推進も確認した。
このような傾向と日本への期待は、トランプ政権に限ったことではない。ブッシュ政権のイラク戦争やその後のさまざまな地域での紛争で、日本は役割を求められたし、1992年のPKO法の成立や部分的な集団的自衛権にも法整備を行いながら、常に日米安保の片務性というアメリカの不満を払拭するように努めてきた。1993年当時、上院予算委員会の筆者の上司は予算編成のさなかに自虐と冗談を込めてこう言った。「アメリカは戦争でぶち壊すのにお金を使うけれど、日本は再建にお金をつかってくれる」。当時、アメリカの政策立案の中枢にいた人間の、日米関係に対する認識を的確に表現した言葉だと感じ、今でも時折り思い出す。それからさらに時を経て、とにかく日米安保の片務性というアメリカの認識を払拭するため、日本の努力は続いている。
トランプ大統領は、2016年の選挙活動中から、日本や韓国が核兵器を持つことに自分の考えはオープンだと繰り返し述べている。また、米議会調査局のレポート(CRS “The U.S.-Japan Alliance” Updated June 13, 2019)には、こうも記されている。「日米は、国際秩序がルールと規範に基づくように協働してきた」。さらに、「しかしアメリカ・ファーストのトランプ大統領および北東アジア地域における安定を保障する役割をアメリカが担わなくなる日がくることを危惧し、日米安保の耐久性に疑問が生じ始めている」と指摘した上で、「日本が価値観を共有するアメリカ以外のパートナーを探し出し、自国の利益を追求するために柔軟性確保の外交方針に転じる可能性もある」と結んでいる。
ここに、アメリカなりの日本に対する不安と、トランプ大統領への不満も見え隠れする。日本から見れば、アメリカとの同盟関係に深いコミットこそあれ、それを遠ざける選択肢はないように感じられるが、少なくとも米議員たち向けのレポートでは、懸念事項としてその指摘がある事実は興味深い。
たしかに日本は2020年6月、2014年に施行した特定秘密保護法の運用基準も初めて改定し、アメリカのみならずオーストラリア、英国そしてインドを視野に入れて特定秘密の指定範囲を拡大した。また、他国軍の表記をアメリカから外国に変更し、防衛力整備の協力対象もアメリカの政府から外国の政府等に変更すると同時に国際機関なども含めている。ある意味、トランプ政権というアメリカの環境に対処したものであると同時に、議会レポートの懸案も全く根拠のないものとも言い切れなくなってきていよう。
ただ、憲法改正などの方向性は日本国民が決めるものであり、他国に言われたから嫌々従うものでもない。現実的なアメリカの日本ウオッチャーたちには、これまでどおり憲法の運用を変えるだけのほうが、波風が立たずにアメリカが希望する方向性に日本が動きやすいのではないかという声さえあることを、記憶しておく必要がある。日本人が考えるべきは、あくまで日本の防衛であり、経済的な利益を追求するための地域の安定なのである。
トランプ大統領は、さらなる日本の負担を求めてくることになろう。ボルトン氏の回顧録に紹介された現在の4倍から5倍ともとれるような防衛費の負担も、実は日本に駐留している米軍の経費負担を単純に指しているはずがない。日本はすでに80%ほども負担しているのだから、たとえ2倍と言われても、駐留米軍経費を全部払っておつりが来る。問題は、地域全体の安定にアメリカが果たしている役割を、日本がもっと果たすべきであるということなのであろう。そうであると考えれば、4倍でも5倍でも可能となる。アメリカから正式な要求はないと安倍前政権は明言したが、負担増は韓国ともすでに協議されているとおり、日本の役割を大幅に拡大することと同義であり、もし金銭で支払えないなら、日本の自衛隊がアメリカの働きを肩代わりするように求められることも予想されるのである。