政府は、デジタル化を主要政策に据えている。このデジタル化の得失を正しく評価することは、行政サービスのみならず、既存のインターネット・サービスについても難しい。定額料金で無制限のサービスが受けられるのは、その代表例である。本稿では、デジタル化で提供される情報財の特殊性を整理した上で、行政のデジタル化の課題を見直していきたい。

デジタル化
(画像=PIXTA)

目次

  1. デジタル化の恩恵
  2. 行政サービスのデジタル化
  3. 雇用削減効果をどうみるか
  4. デジタル化の弱点を解決する方法
  5. 行政のデジタル化の再考

デジタル化の恩恵

筆者は、菅政権がデジタル化を進める方針には賛成である。菅首相は、組閣の目玉として平井大臣を起用し、デジタル庁を創設することを明らかにしている。

しかし、デジタル化はそれ自体がGDPを増やすことにはならない。サービスのデジタル化は、サービスの無料化によって便益が金銭に表れにくい特質がある。成果を金銭で可視化できないことは、デジタル化の意義が過小評価されることになると考えられる。デジタル庁が目指そうとしている成果も実は金銭では表しにくい便益となる。

まず、一般的な性格として、デジタル化はGDPに反映しにくいことを伝えたい。代表的なのは、サブスクリプション(以下、サブスクと略)という定額サービスである。音楽配信も映像視聴も一定料金以上のコストがかからず、使いたい放題になる。追加費用なしで消費者は巨大な満足度(経済学の消費者余剰)を得ることになる。しかし、サブスクの普及は、CDやDVDを購入・レンタルしていた消費者を囲い込むことで、レンタル・販売店の閉鎖を誘発し、GDPと雇用を減らす。正確に言えば、消費者の満足度はサブスクの普及で大きくなるが、それがカウントされず、GDPの数値は減ってしまうことになる。これがデジタル化のパラドックスである。

実は、わかりやすくサブスクを挙げたが、IT を通じたデジタル・サービス全般に同じような構図が成り立つ。消費者は、一定の通信料を支払って、インターネットや電子メール、各種スマホアプリの恩恵を受けている。これらの活動は、サービス利用開始の契約で支払金額が決まり、そこはGDPに表れているが、追加的なサービス利用に金銭的な追加コストが発生しない側面がある。インターネットのサイトには、広告料収入で運営されて、情報サービス提供を無料化しているものも多い。サービス利用の満足度と金銭支払いが連動しないのである。多くの場合、使えば使うほど消費者はお得になる。

その代わりに、紙の新聞・書籍・文房具などの需要が減る。ネット上で無料の地図・翻訳サービスが提供されると、紙の地図・ガイドブック・辞書が消滅していくことになる。こちらは、GDP減少としてダイレクトに反映される。見えにくいデジタル化の恩恵と、可視化されたGDP・雇用への打撃を総合すると、過小評価が起こりやすい。

行政サービスのデジタル化

政府が提供するサービスは、ネット上のサービスとよく似ている。政府のサービスは、公衆衛生、治安維持など不特定多数に提供される公共サービスだ。公共サービスは、誰でも等しく享受できる(公共財の非排除性という)。この性格は、情報サービスをネット上で誰でもただで利用できるのと同じだ(情報財の非排除性・非競合性)。

また、行政サービスの利用は、手数料を取られるが、その金額は格安だ。例えば、住民票の写しを役所から発行してもらうときは、役所の人件費や設備利用費などを加味していないランニング・コストくらいの手数料しか利用者は支払わなくて済む。

もしも、デジタル化が進んで、どこの役所でも住民票の写しを電子メールで送付してもらえると、安い手数料で、役所に出向く交通費、作業時間をかけずに入手できる(このレベルは今もほとんどの役所でできる)。

なお、今後実現していく行政サービスのデジタル化によって、ほとんどの国民はシステム構築のための固定費負担増によって、手数料が高くなると思っていないと思う。引き続きランニング・コストだけで済むとほぼ全員が思っているだろう。

行政サービスのデジタル化が民間の情報サービスのデジタル化と違っているところは、紙媒体のサービス事業者の淘汰を起こさない点である。従って、GDPは減少しにくい。その代わりに、時間をかけて公務員の人数・人件費は減るだろう。デジタル化で業務量が減るとみられるからだ。公務員の人数は、国家公務員が58万人(うち28万人は自衛官)、地方公務員は231万人も居る。その人件費は年間25.6兆円である(2020年)。このうち数%が減るということになるのだろう。その分の先々のGDP・雇用は減少することになる。

政府の行政サービスのデジタル化は、国民に対して便益を向上させ、代わりにGDPはほとんど変わらない。便益はやはり可視化できず、人員削減効果だけが可視化されやすい。筆者は、行政のデジタル化が菅政権による非金銭的な減税と同じだと考えている。

雇用削減効果をどうみるか

デジタル化の恩恵をどう評価するかは、経済学でも捉えにくい問題だとされている。ミクロ経済学は、そもそも情報財が普及する以前の学問であり、的確に解釈ができていない。公共財の性格がある情報サービスは、その便益を統計データに取り込めないでいる。

その結果、情報通信技術が進歩することは、過小評価されることが続いている。情報通信技術は、もっと一般的にテクノロジーと言ってもよいと思う。テクノロジーの進歩が摩擦を起こしてきたことは広く知られている。19世紀の英国で起きたラッダイト運動が有名である。現在風に言えば、AIが雇用を奪うというのもその変形だ。ITでもインターネットでも何でも労働代替の性格があるテクノロジーは、失業リスクが喧伝されやすい。しかし、経済学者たちは、テクノロジーの進歩は長期的にプラスだと理解している。テクノロジーの進歩は、長期では経済成長に表れるからだ。

実は、日本では短期的にも「AIが雇用を奪う」という言葉への反応が薄い。欧米では、雇用調整リスクが、AIによる労働代替で高まる。日本の雇用システムは、労働代替に伴い雇用調整ではなく、賃金調整で吸収されるから、危機感が乏しいのだろう。それでも、業務のデジタル化が進めば、民間企業では余剰人員の配置転換を起こるので、痛みがない訳ではない。それにAI利用で労働生産性が上がるはずなのに、節約された労働力の分、賃金調整が行われると、給与水準が上がりにくくなることも痛みの変形だろう。例えば、銀行業ではRPA(ロボット化による事務プロセスの自動化)が進み、巨大な余剰人員が生じようとしている。銀行の顧客が享受する便益は向上するが、そこで働く銀行員たちにはRPAは歓迎されないことになる。

おそらく、政府のデジタル庁の構想も、先々には雇用調整圧力、給与調整圧力の問題にぶつかっていくと考えられる。現段階の行政改革は、はんこ廃止という些末な前哨戦しか見えてこないが、いずれ雇用問題とぶつかったとき、改革が本当の抵抗を受けるはずだ。逆にそこまで進まないと本物の改革にならないとも感じられる。

デジタル化の弱点を解決する方法

デジタル化は、そのメリットが可視化されにくく、副作用としての雇用調整リスクが実感されやすいという性格を持つ。メリットを可視化できないことにより、全体の評価は過小評価されがちになる。だから、デジタル化の可視化、数量化、あるいは金銭換算は政策評価をする目的に対して重要になる。

筆者には、消費者の満足度を可視化するためのアイデアがある。ただし、これは理念的な処方箋であり、実務的には問題を内包している対案だ。

あらゆるテクノロジーの進歩は、供給サイドの品質向上の効果として、消費者(需要サイド)が便益向上の恩恵を受けている。これは品質向上=価格下落と同じ効果である(供給曲線の上方シフトと呼ばれる)。実は、事務的には、2000 年代に消費者物価に、パソコンやデジタル家電の分野で品質向上を物価下落に織り込んだ。その結果、GDPデフレータが下落して、実質GDPは増えた。もしも、サービスのデジタル化の成果を可視化したいのならば、品質向上を計測して、実質GDPに反映すれば、過小評価は改善するだろう。

問題は、サービスの品質向上が計測しにくい点である。パソコンなどの財価格は、ヘドニック・アプローチという手法で品質向上を物価指標に織り込んだ。しかし、サービスではそうした計測は難しい。その結果、これだけ急速な情報通信サービスの品質向上が起こっているのに、それが物価指標には織り込めないでいる。2000年代以降、計測されたGDPは、デジタル化の分だけ過小評価されていて、日本を含めてもっとGDPは高く成長していると感じている専門家も多いはずだ。

半面、品質向上をもっと物価指標に織り込んでよいかどうかには筆者自身の躊躇もある。例えば、デジタル化が進んで実質GDPが増えていても、もう一方で名目GDPが減ることに満足できるかという問題だ。「物価が下がっているから、あなたの給与は上げなくても実質的に賃上げできています」などと言われると頭に来ない人は居ないだろう。情報通信サービスの価格下落を実質GDPに反映させるのは、参考値くらいの扱いが妥当だろう。

なお、政府は、携帯電話の通信料が割高と言って通信会社に値下げを迫っている。でも、実質値でみた通信料はすでに劇的に下がっていると筆者はみている。通信会社の人達も、すでに通信料は実質値が格段に下がっていますと言いたいのだろうが、それは可視化できないために抗弁に使えない。

行政のデジタル化の再考

菅政権が目指そうとしているデジタル化は、現時点では何を狙っているのかが見えていない。とりあえず、感じられるのはマイナンバー・カードを普及させたいという意向だ。マイナンバー・カードが本人確認のための電子証明書になると、各種の行政手続きが簡便にできる。

いずれは、行政サービスもRPAと同じように、一度入力したデータを何度も事務員・利用者が転記する必要性をなくしていくのではないかと思う。本当の狙いは、業務の自動化だと思う。そこでは、公務員の人件費を含めて経費削減が進む。

こうした行政のデジタル化は、筆者のようにGDPにどのくらいプラス効果があるかという発想では考えられていないと思える。だから、今後、菅政権はどうすれば民間活動への好影響を及ぼせるかまで、スタッフの誰かが構想を広げるとよいと思う。その点までデジタル化の展望が広がってくると、成長戦略にまで化ける可能性があると言える。(提供:第一生命経済研究所

第一生命経済研究所 調査研究本部 経済調査部
首席エコノミスト 熊野 英生