政府は最重要政策のひとつとしてDX(デジタルトランスフォーメーション)化の推進を掲げています。しかし、いまだに郵送やFAXを使ったり、情報の共有に手書きのメモ帳を用いるなど旧態依然の業態が少なくありません。医療・介護分野もそのひとつです。その医療・介護分野のデジタル化、情報の一元管理化を進めているのがカナミックネットワーク。今回は、業界の現状や同社のビジネスモデルの強み、業績、将来に向けた計画などを伺うため、金融・経済アナリストとして活躍中の馬渕磨理子さんが同社社長の山本拓真さんにインタビューを行いました(※インタビューでは、撮影時以外のマスク装着やソーシャルディスタンスの確保など、新型コロナウイルスの感染防止に対する十分な配慮を行っています)。

三井・馬渕のwhat's next_#6
(画像=末松正義、ZUU online)

識者プロフィール

山本拓真 Takuma Yamaoto
カナミックネットワーク代表取締役社長
2000年、富士通システムソリューションズ(現富士通)に入社。エンジニアとしてBtoB、BtoCのインターネットサービスの開発に従事する。2005年に父・山本稔(現取締役会長)氏が創業したカナミックネットワークに入社。2007年に専務取締役、2014年には代表取締役社長に就任。国立大学法人東京大学高齢社会総合研究機構の共同研究員、独立行政法人国立がん研究センターの外来研究員を歴任した。社長就任の約2年後の2016年に東証マザーズ、2018年には東証1部上場を果たす。産・官・学連携で医療・介護分野における情報の一元管理やペーパーレス化に邁進するかたわら、2017年に一般社団法人日本スタートアップ支援協会顧問、2020年から一般社団法人東京ニュービジネス協議会理事も務める。
馬渕磨理子 MARIKO MABUCHI

フィスコ企業リサーチレポーター・金融アナリスト
京都大学公共政策大学院で法律、経済学、行政学、公共政策を学び、修士過程を修了。法人の資産運用・管理を行い、そこで学んだ財務分析・経営分析を生かして2016年からフィスコリサーチレポーターに就任。個別銘柄の分析を手掛けるほか、フィスコ・シンクタンク研究員としてマクロ経済や世界情勢などの研究を行っている。現在はアナリストとして『プレジデント』(プレジデント社)や『週刊SPA!』(扶桑社)、『日経ヴェリタス』(日本経済新聞社)などへの寄稿や日経CNBCへの出演など、各メディアで活躍中。2020年12月に『株・投資ギガトレンド』(プレジデント社)を執筆。

富士通のスーパーエンジニアからベンチャー経営者へ

馬渕 本日はよろしくお願いします。今では山本社長が創業者と見ている方も多いと思いますが、創業はお父様だったそうですね。

山本 そうです。父はカナミック創業以前、広告業界で雑誌広告やテレビコマーシャルを制作していたクリエイターでした。その中の仕事のひとつである厚生労働省の介護保険のテレビCMを制作したのが、創業のきっかけになったようです。日本の介護保険制度は2000年にスタートしましたが、在宅介護の分野で効率的な業務システムを開発し、介護保険に関連する医療・介護事業者をネットワーク化したうえで、そこに広告を提供するネットメディアのビジネスモデルを発案しました。医療・介護従事者の方が日々カナミックのシステムを使えば、それをターゲットとしたインターネットメディアができるのではないかと考え、2000年に会社を立ち上げました。

馬渕 システム会社というより、「メディア」を意識した創業だったのですね。

山本 ネットメディアを意識していましたね。創業当時に展開されていたインターネットサービスの大半が現在はなくなっていますが、医療・介護従事者がシステムにアクセスすることを想定した使いやすいプラットフォームを作り、その価値を上げることに務めてきたおかげで、私たちは生き残ることができていると思います。

馬渕 創業当時、山本社長はまだ富士通にエンジニアとして就職されたそうですね。山本社長はとてもお話しやすく、固い人が多いという私のエンジニアのイメージをいい意味で覆してくれました(笑)

山本 富士通にいた頃から、「山本さんはコミュニケーション能力が高いエンジニアだ」などと言われていたんです。そのおかげで、私を直接指名してくださる案件もあるぐらいでした。富士通のときは「スーパーエンジニアの山本さん」と言われていた頃もありましたね(笑)

馬渕 以前、「富士通には社長を目指して入社した」とお話されている記事を拝見しました。そのような大志を抱いて入社した大企業からベンチャー経営者に転身するには、なにか大きな理由があったのではないですか?

山本 2000年頃の日本は「Googleってなに?」という時代だったと思います。しかし、米国のシリコンバレーから日本にどんどんベンチャー企業や彼らが開発した新しい技術が入って来ていて、それを肌身で感じていました。

馬渕 富士通のエンジニアとして日本のインターネット業界に変革をもたらす存在にもなれたのでは。

山本 確かに、富士通はほかの大手にはなかった自前のデータセンターを持っていましたし、インターネット分野では先行していたと思います。インターネット関連の仕事がバンバン舞い込んできていました。ただそれと同時に、自社プロダクトを作る時に大手ゆえのスピードの遅さにも直面していたんです。市場調査や稟議、事業の予算取りなどをやっているうちに、ベンチャー企業が似たようなものを作って市場に出してしまうんですよ。

馬渕 確かに大手企業だとマーケットに出すまでに数年はかかってしまいそうですね。

山本 構想段階ではベンチャーに先行していたとしても、大手企業では社内調整や稟議に時間がかかりすぎる。そのため、これからのインターネット時代に大手にいても勝ち目がないなと思ったんです。だからこそ、ベンチャー企業で自分の実力を試してみたいと考えて飛び出しました。カナミックには取締役として入ったわけですが、当時は社員が7人くらいしかいない小さい会社でした。

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(撮影=末松正義)

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