「什一献金(じゅういちけんきん)」(英語でTithes)とは、収入の10分の1を献金するという意味で、ユダヤ人やキリスト教の教えです。つまり富を得たら「10分の1」を神に捧げるという文化が欧米では根づいているということです。

カーネーギーは、「金持ちは貧乏人の管財人にほかならない」と言って、築いた巨万の富で、次々に社会貢献をしました。現代では、ビル・ゲイツやウォーレン・バフェットが同じようなことをしています。

日本の寄付はアメリカの40分の1

金融
(画像= VAKSMANV/stock.adobe.com)

「日本には欧米のような寄付文化がない」と、よく言われます。『寄付白書2017』(日本ファンドレイジング協会 、2017)によると、2016年の日本の個人寄付総額は7,756億円。これに対して、アメリカは30兆6,664億円で、なんと日本の約40倍です。

このようなデータを見れば、たしかに日本には「寄付文化」がないということになります。では、寄付文化とはなんでしょうか。

富は神から一時的に与えられたもの

欧米社会の寄付文化を支えているのが、「什一献金」です。これは、キリスト教の教えとされていますが、もともとはユダヤの律法でした。ユダヤ人は、自分で稼いだもの、生産した物のすべての10%を、ユダヤの神(具体的には神殿や司祭)に捧げる決まりがありました。いわゆる、古代ユダヤの徴税方法だったようです。

これが、『旧約聖書』の「レビ記」「申命記」などに書かれ、その後、欧米社会に「什一献金」として広まったのです。キリスト教でもユダヤ教でも、この世界は神のものという教えです。ですから、富というのは神から一時的に与えられたものであり、その10分の1は常に神に返さなければならないというわけです。

この教えに従い、欧米の富裕層は積極的に慈善活動、社会貢献、寄付をするのです。

「感謝の気持ちの10%」が社会を回る

「什一献金」には、別の見方もあります。それは、これがユダヤ人の教えということで、富裕層が「お金の法則」と考えている点です。この世の中の富はぐるぐると回っています。いま、自分のところにあるのは一時的ということです。そのため、10分の1を社会に還元するのです。そうすると、それは社会を巡ってまた自分のところに戻ってくるというのです。

寄付は、自分に富を与えてくれた社会への感謝の気持ちの印です。この感謝の気持ちがないと、お金は増えないといわれています。したがって、「感謝の気持ちの10%」として、富裕層は自分とはまったく関係のない、遠い国の貧しい子どもたちに対しても寄付を行うのです。

「什一献金」は、中世キリスト教社会までは、教会に納める強制的な税とされてきました。しかし、プロテスタントの自由教会ができてからは、自発的なものに変わったといわれています。

寄付が少ないのは寄付税制が充実していないから

日本で献金が少ないのは、欧米のように寄付を促す税制になっていないことも大きな要因です。寄付をするには、その受け皿になる民間団体が必要です。しかし、その数は、欧米に比べて極端に少ないのです。

これは、政府が、寄付控除の対象団体をなかなか認可しない現状があるためです。その結果、NPO法人、公益法人(社団、財団法人)が約5万団体あるにもかかわらず、寄付控除の対象団体は1,100団体ほどしかありません。

寄付をすると、寄付控除が受けられ、寄付額が課税所得から差し引かれます。しかし、資格のない団体に寄付をしても、この控除は受けられません。個人の場合は、寄付したときに控除が認められるのは所得税で、住民税はほとんど対象外です。

こういった環境では、欧米のように富裕層の寄付による慈善活動、社会貢献は盛んにはなっていきません。

大阪「八百八橋」は町人の寄付でつくられた

近代以前の日本には、寄付文化がありました。例えば、大阪商人たちは、商売に使うお金と世の中に使うお金は別物と考え、気前よく寄付を行いました。商売では倹約を徹底しても、使うときはきっぷよく使ったのです。

江戸時代に大阪に架けられた橋は約200ヵ所。江戸の橋は、約350ヵ所あるうち半分が幕府による公儀橋でした。大阪の公儀橋は「天神橋」など、わずか12ヵ所。残りの橋は町人が生活や商売のためにかけた「町橋」だったのです。町橋をかけるにあたって幕府からの援助はなく、町人たちは自腹で橋をかけました。

「浪速の八百八橋(はっぴゃくやばし)」と呼ばれる大阪の橋は、808ヵ所かけられているのではなく、江戸時代の大阪商人たちが自腹を切ってまでもかけたという、その勢いを表しているのです。

こうして大阪には「八百八橋」ができ、水の都・大阪の橋は、商人たちの商売繁盛に直結していました。つまり、大阪商人たちが出したお金は世の中を回ることになり、これはユダヤ人の考えと似ていたのです。