金融を始め、不動産業、エネルギー業などさまざまな事業を手掛け拡大を続けたロスチャイルド家。数百年にも渡り世界に影響を与え、いまもなお、その名を知らない人はいないほど大きな存在感を示す巨大な財閥はどのように形成されていったのでしょうか。
目次
国際的な金融システムを構築した世界的財閥「ロスチャイルド家」
「世界最大」とまで謳われるロスチャイルド財閥は金融業に始まり、不動産事業、エネルギー産業、文化事業、ワインから慈善活動まで多角的な経営を行う巨大組織です。上流階級お抱えの古銭商であった初代ロスチャイルドは、貴族との交流をきっかけとして資産管理に携わり、やがて銀行業に転身します。転身後は信頼と実績を積み重ね、息子ともども国際的な影響力を獲得しました。1940年には約5,000億ドル、世界の富の約半分を支配していたといわれています。
彼らの歩んだ軌跡を辿れば、そこに近代的な金融システムの原型が見て取れます。最終的に金融で世界レベルの実権を得るまでになったロスチャイルド家には、情報・金融というソフト面からエネルギー・貴金属などのハード面までをカバーしていたという背景があるのです。
ドイツの一商人から世界的な財閥へと発展したロスチャイルド家について、時代を追いながら確認していきましょう。
18世紀後半:家祖マイヤー・ロスチャイルドが両替商として身を立てる
初代ロスチャイルドであるマイヤーは、フランクフルトのゲットー(迫害されていたユダヤ人の強制居住区)で少年時代を過ごします。当時ユダヤ人は家名を持つことが許されていませんでした。ところが、マイヤーの家には赤い楯(Roth Schild)が表札として付いていたためにゲットー内ではRothshild一家と呼ばれており、これを後に家名となりました。
父親は金貸し業を営むユダヤ教徒で、信仰心が厚く息子のマイヤーをユダヤ教の指導者(ラビ)養成学校に通わせていました。両親の死後、親戚の紹介により13歳でハノーバー王国のユダヤ人銀行家・オッペンハイム家に奉公人として預けられることになり、そこで宮廷御用商人としての業務を学びます。
20歳を迎えたマイヤーはフランクフルトのゲットーに戻ると、古銭商・両替商として活動しめます。当時のドイツは現在と異なりいくつもの小国・王国に分かれており、それぞれの国によって通貨が異なるため両替の需要が高く、小規模ながらそこから手数料を得てビジネスとしていたのです。
また通貨の質・デザインはその国の独自性を示すシンボルであり、各国趣向を凝らした貨幣を作っていたため特に上流階級に愛好家が多く存在しました。マイヤーは彼らにカタログを送り、郵便で注文を受け商品を配達するという通信販売を始めました。
ヘッセン侯爵の信認を得て、宮廷御用達の銀行業へ転身
この古銭業によりドイツの貴族らとのコネクションを築き上げ、さらには宮廷奉公人時代に関係のあったエストルフ将軍をも顧客として取引を始めます。エストルフ将軍はフランクフルト領主ヘッセン公爵家のヴィルヘルム皇太子に仕えていたため、マイヤーの評判がヘッセン家に広がるのは時間の問題でした。
このようにしてヘッセン公爵家の高官、ついにはヴィルヘルム皇太子本人とも顧客として取引するようになったマイヤーは、26歳でヘッセン家の宮廷御用商人に登録されます。翌年、同じくフランクフルトのゲットーに住んでいた宮廷御用商人サロモン・シュナッパーの娘と結婚し、息子5人娘5人と子宝に恵まれます。
この頃、ヴィルヘルム皇太子は領内の青年男子を練兵場で鍛え上げ、イギリスに傭兵として貸し出すビジネスで莫大な利益を上げていました。ヘッセン公爵家の財務官からも気に入られていたマイヤーは、ロンドンからヴィルヘルム皇太子へ振り出された為替手形を現金化する業務にも携わるようになります。
やがてヘッセン公爵が他界、皇太子がヴィルヘルム9世に即位して莫大な遺産を受け継ぎます。マイヤーの息子たちはすでに父親の業務を手伝うようになっており、長男はヴィルヘルム9世の抵当権に関わる業務を請け負います。
古銭商から銀行業へと転身したロスチャイルド家は、ヘッセン公爵家指定金融機関として一躍有名になり、大銀行と肩を並べるようになりました。
ヴィルヘルム9世は相続により当時ヨーロッパ最大といわれる規模の財産を抱えており、この貸出業務に携わったのもロートシルト(英名:ロスチャイルド)銀行でした。
息子達の活躍により西ヨーロッパネットワークを構築
ヘッセン公爵家指定機関としての業務、またフランス革命期の貿易業などにより、ロスチャイルド家はフランクフルトのゲットーで一番の資産家となります。そしてヨーロッパの中枢とも呼べる列強諸国の主要都市であるフランクフルト(長男アムシェル)、ウィーン(次男サロモン)、ロンドン(三男ネイサン)、ナポリ(四男カール)、パリ(五男ジェームス)に息子たちを派遣して支店を開かせました。
当時の主な業務内容は、信用供与と貸付業務でした。そのようななか、ドイツ国内だけでなく外国都市へと取引範囲を拡大させた彼らは、通信と馬車輸送のネットワークを作って西ヨーロッパ主要都市を繋ぐ一大貿易網の構築にも成功しました。
19世紀:情報網を活用し、世界金融業をイギリスから飛躍させた三男のネイサン
ロスチャイルド家の活躍のなかでは、ロンドンを基盤とした三男・ネイサンが次なる飛躍へ大きく貢献してきたとされています。
最初のきっかけはフランス革命でした。この革命によりロスチャイルド家は巨万の富を得た、一方で、多くの金融業者が破産したといわれています。ネイサン・ロスチャイルドの成功エピソードをいくつか見ていきましょう。
綿製品の独自ルートによる輸出
1806年、勢いにのっていたナポレオン・ボナパルトはついにヘッセン選帝侯国の領地へと侵攻します。当時すでに選帝侯となっていたヴィルヘルム9世は領地を放棄せねばならず、これに伴いフランス当局に見つからないよう、自らの資産を隠す避難先を求めていました。
そこでヴィルヘルム9世は、その莫大な財産を投資信託という形でロートシルト銀行に預けました。先のトラファルガー海戦の結果から、フランス軍がイギリスへ侵攻する恐れは小さかったため、初代ロスチャイルドはこの資産をロンドンにいる三男・ネイサンの元へと移動させます。
ナポレオン発令の大陸封鎖令により、大陸内とイギリスとで物価に大きな差が生まれたのを、ネイサンは見逃しませんでした。綿製品を中心とした多くの生活用品をイギリスからの輸入に頼っていたため、大陸内では物価が高騰、逆にイギリス内ではストックのやり場に困り価格が下落していたのです。
そこでネイサンはヴィルヘルム9世の財産を元手に、綿製品をイギリスから安価で大量に仕入れ大陸に密輸します。密輸した製品を自前の貿易ルートを使い各地に売り捌くという形で巨万の富を築きました。大陸の人々からは厚い信頼を寄せられ、預かった資産の運用を大成功させたロスチャイルド家は、ヘッセン公爵家の財務に深く関わる重要組織となります。
イギリス国債の操作
1815年、ワーテルローの戦いでフランス軍とイギリス・オランダ・プロイセン連合国軍が衝突します。ヨーロッパの覇権をかけたこの争いに負ければ、イギリス国債は大暴落することになります。
そこでネイサンは一芝居をうつことを思いつきます。慌ててイギリス国債を売りさばき、すでに構築していた通信網でイギリス中に「イギリス敗北」という情報を蔓延させたのです。ロスチャイルド家の情報網の広さは周知の事実でしたので、その情報を鵜呑みにした人々はこぞってイギリス国債を売り払い、国債は暴落しました。
ところがネイサンは、実は最初からイギリスの勝利を知っていたのです。大陸から荒波の中を航行し、真っ青な顔で戻り敗北を知らせるというネイサンの迫真の演技に騙され、誰もその誤報を見破ることができませんでした。一方でネイサンはあらかじめ根回しを行い、暴落したイギリス国債を一気に買い漁ります。午後になり取引所が閉まるころには、ネイサンはロンドン証券取引所の上場銘柄のうち約62%を保有していたようです。
この一件だけで100万ポンド以上の利益を上げ、ネイサンの資産は2,500倍に膨れ上がったといいます。これが世にいう「ネイサンの逆売り」でした。
金や通貨への投機
初代ロスチャイルドが築き上げた政府要人・貴族とのコネクション、ウィーン支店の次男・サロモンとパリ支店の五男・ジェームスの協力で築き上げた馬車と通信ネットワークにより、ロスチャイルド家の情報網はヨーロッパ全体をカバーするほどの規模になっていました。
このネットワークを利用し、三男のネイサンは情報をいち早くキャッチして金や通貨へ投資を行い、さらに資産を増やしました。1810年、ロンドン証券取引所の支配人であるベアリングが亡くなると、すでに彼の懐に入り込んでいたネイサンが後を継ぎ、名実ともに金融王として君臨しました。
ロスチャイルドが築いた金融の仕組み
古銭業を通じて上流階級との関係を築いたロスチャイルドは、名門貴族の貸金業務、為替手形の現金化、資産の管理を請け負うことになります。さらには国際ネットワークの構築とそれを利用した資産運用にまで至ります。彼らが辿った奇跡は、まさしく今日の金融業界の原型そのものといえるでしょう。
グローバル金融ビジネスの原型を築く
一家連携で巨大ネットワークを構築したロスチャイルド家ですが、国境を越えて情報を素早く仕入れ投機を行うというこの手法は、現在行われているグローバル金融ビジネスの原型となっています。
エネルギー産業へ新規投資する先見性
三男・ネイサンはフランス革命で資産運用に成功、その後も金や為替投資により財産を築き金融王として名を馳せましたが、パリ支店の五男は新しい交通手段として鉄道に価値を見出していました。その後、無事鉄道事業を成功させ「鉄道王」と呼ばれるまでになります。
しかしここでとどまらず、すぐに南アフリカのダイヤモンド鉱山・金鉱山への投資を開始、ロシアのバクー油田の利権も掌握し、情報産業・鉄道産業に加えエネルギー産業・貴金属産業においても実権を握ります。
主要メディアとなる情報網と金融ネットワークを抑え、一方では地下資源を中心とした現物への投資も行うという二足のわらじで、ロスチャイルド一族はその立場をより強固なものにしました。エネルギー産業の重要性は、現代の国家運営を見ても明らかですが、その原型はこのころからすでにロスチャイルド家が形成していたのです。
国家経済、世界経済との金融提携
初代ロスチャイルドを中心にヴィルヘルム9世の資産管理を成し遂げ、三男がイギリスで経済の実権を握った後も、ロスチャイルド一族の進化は止まりませんでした。フランス革命を機にイングランド銀行の支配を進めると、やがて各国の財務大臣は国債を発行する際に多額の手数料をロスチャイルド商会に納め、融資もロスチャイルド商会から受けるようになります。
さらに1862年、ナポレオン3世との金融提携を結ぶと、1870年にはバチカンへの融資を開始、実質的にカトリック教会もロスチャイルド家による金融面での影響を受けました。さらに5年後にはスエズ運河運営会社の筆頭株主となり、政府関係者への影響力を強めます。
創業から100年の時を経て、ロスチャイルド一族は金融を通じて有力者、そして国家に大きな影響力をもつようになったのです。産業革命から100年が経ち20世紀に入ると、地下資源が国家の力そのものとまでいわれる時代を迎えます。ここでもロスチャイルド一族のビジネス戦略は働いており、メディア、そして金属・原油といった現物の両面から世界の動向に影響を与えたとされています。
いまも活動を続けるロスチャイルド家。その世界経済へ影響力とは
ロスチャイルド家の活動はいまもなお続いており、直系の企業としては三男・ネイサンがロンドンに立ち上げた投資銀行「N・M・ロスチャイルド・アンド・サンズ」、また独立系アドバイザリー企業「ロスチャイルド&カンパニー」などが有名です。
しかし、これらはロスチャイルド一族の影響を表すものの一角に過ぎません。
FRBへの関与
アメリカには日本でいう「中央銀行」が存在せず、米国内の金融政策を決定しドル紙幣を発行しているのはFRB(アメリカ連邦準備制度理事会)です。1944年のブレトン・ウッズ会議により世界の基軸通貨として米ドルが選ばれましたが、ここでFRBが世界の金融政策をコントロールすることになります。
FRBはその名前からも公的組織のような印象を持たせていますが、実質は一私企業です。もともと個々の銀行が銀行券としてドル紙幣を発行していたところ、1907年の恐慌を皮切りに中央銀行の必要性が唱えられるようになり、1910年、全米の大手銀行頭取や金融指導者による会議で議論が行われました。結果、全米に12の連邦準備銀行を置き、その統括としてFRBがワシントンに設立されたのです。「連邦」とはいうものの、中身はすべて私的金融機関が所有していました。
1910年の会議に出席した人物の多くにはロスチャイルドの息がかかっていました。そして草案のほとんどは、ロスチャイルド代理人のポール・ウォーバーグが1人で作成したようです。
きっかけは1837年、アメリカのジョージ・ピーボディがベアリング家の親戚を通じてロンドンのビジネスに参入、ロスチャイルド家三男・ネイサンの代理人となったことでした。ピーボディ証券、ピーボディ基金の運営に携わっていた彼には息子がおらず、後継者としてジュニアス・モルガン(息子はUSスティール創業者『金融王』ピアポント・モルガン)を指名、モルガン商会はやがてアメリカにおいてロスチャイルドの代理人を務めることになります。
時を同じくして、ロスチャイルドの代理人が次々と渡米します。フランクフルトのベルモント商会は企業買収で成長し金融機関も支配、モルガン家とつながってボストン財閥を形成します。ジェイコブ・シフは渡米後、ソロモン・ローブの娘と結婚することでクーン・ローブ商会頭首となりに、ロックフェラーやカーネギーを後援し、後にウォール街の銀行連合を組織しました。
やがてモルガン家の「金融王」ピアポント・モルガンが世界最大の製鋼会社USスティールを創業、各界の主要人物と関係を深めたロスチャイルド一族は、金融・経済・産業と3つの支配力を得ていきます。この背景の中、恐慌を迎えたアメリカではFRBが設立されることになります。
貴金属分野での活動
19世紀末、世界最大規模の財閥へと成長していたロスチャイルド一族は非鉄金属分野に進出し、めまぐるしい発展を遂げます。このころ創設された組織が世界3大ニッケル資本の1つ「ル・ニッケル」です。
ロスチャイルド家は、ニッケル事業を展開後、間髪入れず亜鉛・鉛・石炭の発掘会社を設立、南欧・西欧のみならずアフリカ大陸にも進出しました。1880年代後半にはダイヤモンド発掘事業を展開、南アフリカ最大手の資源開発組織「アングロ・アメリカン」と提携します。
ル・ニッケルはストなどにより活動が縮小しつつも21世紀に入るまで事業を続けており、また提携していたアングロ・アメリカン社は、現在も巨大企業として世界各国での鉱物事業を展開し続けています。
日本への影響
ロスチャイルド一族は日本国内にも多大な影響を与えています。1923年関東大震災の直後は新橋-横浜間の電車復旧を援助し、第二次大戦後にはチャーチル首相の依頼で訪日、日本政府・銀行・トップ企業と関係を築き、戦後日本の復興を支えてきました。
ロスチャイルド家に学ぶ財をなすための3つの視点
(1)「語るなかれ」
ロスチャイルド家は創業当初から、口外しないという秘匿の慣習を掟とし「信用」を重視してきました。フランス革命期、ヴィルヘルム9世はナポレオン軍の侵攻を受け、その莫大な資産を信用のあるロスチャイルドに託しました。一家で匿われた資産はやがてネイサンの運用で何倍にも膨れ上がり、情報網を利用した国債操作でも財産を築き上げました。
これらはすべて、彼らが築き上げた顧客からの信頼、そしてヨーロッパを股に掛ける巨大なネットワークがあったからこそ成し得たものでした。「情報こそが金に変わる」ことをロスチャイルド家は初代から見抜いていたのです。顧客の情報を漏らさない、アンテナを張り巡らせて誰よりも広く早く情報をキャッチする、そして情報の発信は綿密な戦略のもと行われました。
(2)一族繁栄の「鉄の掟」となった「五本の矢」
五本の矢が1つの手に握られた図がロスチャイルド家の紋章となっています。初代ロスチャイルドは「五本の矢」による結束を5人の息子に託し、これが現代まで一族の事業承継の肝として機能してきました。
ユダヤ教は戒律が多いことで有名な宗教で、初代であるマイヤーは熱心なユダヤ教徒でした。彼は血族が結束することを鉄の掟とし、これを守らない者は一族の事業から追放するという厳しいルールを設け、この掟が代々受け継がれることになったのです。
(3)フィランソロピーの精神と世界の発展を担う自負
フィランソロピーは、現代において「慈善活動」としてチャリティーなどと同義的に扱われている言葉です。ギリシア語の「フィル(愛する)」「アンソロポス(人類)」を語源とし、世のための寄付活動を指します。「隣人愛」と対比して「人類愛」と訳されることもあります。
ユダヤ教では古来「貧者の救済が神の意志である」という考え方が見られます。また米国のシンクタンク・都市問題研究所のソスキス氏は、近代フィランソロピストの典型として「長期的に貧困を根絶する」という考え方を挙げています。
フェイスブック社のザッカーバーグ夫妻が2015年、自社株の99%(約5兆円)に相当する寄付を段階的に行うと表明し、これは近年行われたフィランソロピーの例として挙げられます。ロスチャイルド一族の活動もその大胆さから批判的に取られることもしばしばですが、総合的に見ると現代文明をリードし人類全体の発展に寄与、彼らもその事を自負しているといいます。
ネイサン・ロスチャイルドゆかりの地イギリスには、世界40カ国の植物と文化を集めた庭園「エクスバリー・ガーデン」が存在します。初代・マイヤーから数え7代目にあたるシャーロット嬢がディレクターを務め年間約9万人が訪れるこの庭園は、入園料の全てが庭園の管理にあてられています。
結束と慈善、この精神こそが一家、そして文化を長期にわたって守る秘訣なのでしょう。
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