シンカー:リフレ・サイクルを左右するネットの資金需要を0%に誘導するかのような緊縮的な財政政策で、1999年から2020まで、合計で名目GDPは180兆円程度も失われたことになる。マネーを膨らませることができる管理通貨制の利点を活かし、財政拡大でネットの資金需要を十分に確保し、総需要を生み出す力、資金が循環し経済と市中のマネーが拡大する力、家計に所得が回る力を維持するという発想が欠けていた。財政収支を気にするあまり、プライマリーバランス黒字化を拙速に目指すなど、ネットの資金需要を0%で安定させる金本位制のような財政運営で、スタンスが緊縮になりすぎる失政となり、国民の大きな負担になってしまったと考えられる。デフレ完全脱却のためには、リフレ・サイクルを活性化し続けるため、GDP比−5%程度に誘導するような緩和的な財政政策スタンスに変化すべきだろう。言い換えれば、これまでのネットの資金需要を0%に誘導する水準と比較し、5%(25兆円程度)程度の恒常的な財政支出拡大余地があることになる。財政支出の案として、緊急事態宣言の休業対象企業支援、事業再構築補助金の拡充、大学ファンドの規模の拡大、子ども手当、出産費用助成の拡充、電気自動車の急速充電設備の設置、サイバー攻撃に対応する技術開発支援などが挙げられる。

会田卓司,アンダースロー
(画像=PIXTA)

長年日本では、将来の経済成長が期待できず、物価下落が続くとみられたため、企業にとっては投資よりもリストラなどによるコスト削減が重要であった。賃金が減少し、家計も苦しくなった。普通の経済では、企業は事業を展開するために資金を調達する。企業が資金調達を借り入れることは、貯蓄率ではマイナス(資金需要があること)だ。しかし日本では、企業が家計と同じように支出を抑えて貯蓄に励み、デレバレッジとして借金を返済し続け、貯蓄率は異常なプラス(資金需要がないこと)になってしまった。普通はしない部門が貯蓄をして何も使わないのであれば、支出が減り、国内の総需要に下押し圧力がかかってしまう。その結果、1990年前後のバブル崩壊後、日本経済は国内の総需要の弱さとデフレに苦しんできた。

しっかりとした経済成長を維持するため、企業の支出が弱くて総需要を破壊する力になっているのであれば、政府の支出の拡大でオフセットする必要がある。しかし、緊縮的な財政政策となってしまったため、企業の貯蓄率の異常なプラス幅を、財政収支のマイナス(赤字)で十分にオフセットすることができず、そのバランスであるネットの資金需要(企業貯蓄率+財政収支)はマイナス(支出が強い)であるべきものが、消滅(支出が弱い)してしまった。総需要を生み出す力、資金が循環し経済と市中のマネーが拡大する力、家計に所得が回る力であるネットの資金需要が消滅している状態は、リフレ・サイクル(貨幣経済が膨らむ力)が弱いことを意味する。経済と市中のマネーの膨らむ力が弱く、景気回復の実感は得られなかった。緊縮的な財政政策は雇用の拡大で立ち直りかけた家計の大きな負担となり、企業と政府の支出が弱いことで賃金の拡大も弱くなり、国内の総需要の弱さとデフレからなかなか脱却できない原因となってしまった。

1997・8年の金融危機以後、企業のデレバレッジとリストラの動きが強くなり、企業貯蓄率の上昇が強くなった。財政拡大で十分に補うことができず、ネットの資金需要は2000年前後に消滅してしまった。言い換えれば、ネットの資金需要を0%に安定させる財政運営がなされていたことになる。ネットの資金需要を大きなプラスにしてしまうと、市中のマネーが縮小して恐慌になるリスクになる。それを防ぐほどの財政支出はした。しかし、マネーを膨らませることができる管理通貨制の利点を活かし、財政拡大でネットの資金需要を十分に確保し、総需要を生み出す力、資金が循環し経済と市中のマネーが拡大する力、家計に所得が回る力を維持するという発想が欠けていた。財政収支を気にするあまり、消費税率引き上げなどでプライマリーバランス黒字化を拙速に目指すなど、ネットの資金需要を0%で安定させる金本位制のような財政運営で、スタンスが緊縮になりすぎる失政となり、国民の大きな負担になってしまったと考えられる。

図:リフレ・サイクルを示すネットの資金需要(企業貯蓄率+財政収支)

リフレ・サイクルを示すネットの資金需要(企業貯蓄率+財政収支)
(画像=日銀、内閣府 作成:岡三証券)

日本経済とマーケットの動きの背景には、信用が拡大できる環境なのかを左右する信用サイクル、市中のマネーの拡大・縮小を左右するリフレ・サイクル、そして設備投資サイクルの三つのマクロ・サイクルがあると考えられる。三つのサイクルは名目GDP成長率の決定要因としても重要だ。名目GDP成長率は、日銀短観金融機関貸出態度DI(信用サイクル、前期差)、ネットの資金需要(リフレ・サイクル)、企業貯蓄率(4期ラグ)、米国実質GDP成長率でうまく説明できる。設備投資サイクルは企業貯蓄率の動きで表すことになる。

名目GDP(前年比)= −0.1 + 0.3 日銀短観中小企業貸出態度DI(前期差) − 0.3 ネットの資金需要 − 0.4 企業貯蓄率(4期ラグ) + 1.1 米国実質GDP(前年比) + 1.8 アップダミー − 1.9 ダウンダミー ; R2=0.96

1997・8年の金融危機以後、企業のデレバレッジとリストラの動きが強くなり、1999年から2020年までのネットの資金需要の平均は−0.3%と、ほぼ消滅した状態となっている。市中のマネーが拡大するリフレ・サイクルが十分に強い状態には、−5%程度のネットの資金需要が必要であると考えられる。ネットの資金需要が0%と消滅した状態は、名目GDP成長率を1.3%も押し下げる力となった。単純計算で1999年から2020年まで、名目GDPは累計で33.8%程度も下押し圧力を受けたことになる。名目GDPで、182.0兆円程度の損失となる。企業貯蓄率がプラスという異常な状態でも、財政政策が緩和的で、ネットの資金需要を−5%に維持できていれば、それだけの国力が維持できたとみられる。

新型コロナウィルス問題に対処する財政拡大で、2020年にはネットの資金需要は−5.1%まで拡大し、株式市場が上昇するリフレの力となった。デフレ完全脱却のためには、リフレ・サイクルを活性化し続けるため、GDP比−5%程度に誘導するような緩和的な財政政策スタンスに変化すべきだろう。言い換えれば、これまでのネットの資金需要を0%に誘導する水準と比較し、5%(25兆円程度)程度の恒常的な財政支出拡大余地があることになる。現在はその余地は新型コロナウィルス問題の対策に使っている。終息後は、その余地を、教育・科学技術・インフラへの投資、デジタルトランスフォーメーションや脱炭素などの促進、家計支援(子育て支援、ベーシックインカムなど)、そして医療福祉の拡充などに向けていくべきだろう。

望むべき財政再建は、企業活動の活性化で企業貯蓄率が−5%程度まで低下し、景気拡大による税収の自然増と過熱抑制の財政引き締めで、財政収支が0%に戻り、望ましい水準のネットの資金需要のすべてが企業によって生まれる形になることだろう。企業貯蓄率が異常なプラスで過剰貯蓄と総需要不足の状態で、緊縮財政で無理に財政収支を0%に改善させようとし、ネットの資金需要が消滅し、リフレ・サイクルが腰折れ、デフレ脱却に失敗し、景気悪化で財政の状態が更に悪化してしまったこれまでの間違いは反省すべきだろう。その失敗のツケを回された家計はもう限界にきている。

田キャノンの政策ウォッチ:25兆円の財政支出のアイディア

25兆円程度の財政拡大のアイディアを提示する。

中小企業への支援:緊急事態宣言の休業対象である酒類事業者などを支援。賃上げ促進のため、「事業再構築補助金」を拡充。

教育・科学技術・インフラ投資:本年度中に運用開始する大学ファンドの規模を4.5兆円から10兆円に拡大。

家計支援(子育て支援、ベーシックインカム):子ども庁創設、子ども・子育て支援に5兆円。幼稚園・保育所一元化を目玉政策。出産費用助成の拡充。高校生の医療費の無償化。大学・専門学校等においてデータサイエンス教育の拡充。

脱炭素:再生可能エネルギーの主力電源化を徹底、国民負担の抑制と地域共生を図りながら支援。急速充電設備の設置による電気自動車の普及拡大。

デジタルトランスフォーメーション:5G整備計画を税制支援も通じて加速させる。データセンターの国内立地・新規拠点整備。

サイバーセキュリティ:サイバー攻撃に対応する技術開発、人材育成、産学官連携拠点の形成を図る。

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岡三証券チーフエコノミスト
会田卓司

岡三証券エコノミスト
田 未来