本記事は、野村絵理奈氏の著書『THE SPEECH 人を動かす話し方』(ポプラ社)の中から一部を抜粋・編集しています
〝頭の会話〟ではなく、〝心の会話〟が人を動かす
すなわち弁論は、語り手、語られる内容、語りかける相手という三つの要素で成り立つが、弁論の目的とはこの最後のもの、つまり聴き手に向けられる。(「弁論術」第1巻 第3章/前掲「アリストテレス全集18」)
アリストテレスは、人を説得する話し方に必要な3つの要素は、〈人徳(エトス)〉〈共感(パトス)〉〈論理(ロゴス)〉であると言っています。
〈人徳〉を伝えることはあなたの話す内容を聞き手に信用してもらう上で、スピーチを行う際のファーストステップと言えるでしょう。
ただしそれだけでは、まだ説得の土台ができたにすぎません。また、理路整然と語れば話の内容を理解させることはできるでしょうが、それは〝頭の会話〟です。
聞き手の心をつかみ、あなたが思うように行動してもらうには、〝心の会話〟をしなければいけません。
あなたと聞き手の間で〈心の会話〉が成り立つとき、聞き手の心を動かすことができます。そしてその結果、あなたの望む結果へと聞き手を導くことができるのです。
〈心の会話〉の主役は、スピーカーであるあなたではありません。
あくまでも「聞き手」なのです。聞き手が心を動かしてくれて初めて、あなたと聞き手の間で〈共感〉が生まれるのです。
(2)聴衆をとおしてとは、言葉によって彼らがある感情を抱いた状態に促される場合をいう。われわれは、苦痛を感じるときと喜びを感じるときとでは、あるいは好意を寄せる場合と憎しみを抱く場合とでは、裁定を同じようには下さないものである。(「弁論術」第1巻第2章/同前)
アリストテレスは、〈パトス〉を単なる聞き手とはせず、「聞き手がスピーチを通してある感情を抱くようになること」だとしています。
ここで言う〝感情〟もあくまでも〝聞き手の感情〟のことであり、スピーカーの感情を指すのではありません。
そして、「聞き手が抱くある感情」は言うまでもなく「スピーカーが聞き手に抱かせたい感情」とイコールである必要があります。
この感情の一致こそが、〈共感〉なのです。
感情とは、それで感化を及ぼすことで、裁定にあたって違いをもたらすかぎりのものを指し、そこには快楽ないしは苦痛が付随する。たとえば怒り、憐れみ、恐れ、その他この種のもの、およびそれらの反対の感情がそれである。(「弁論術」第2巻 第1章/同前)
スピーチで聞き手から〈共感〉を得ようとする時、まずは聞き手にどういう感情を抱かせたいのか、をはっきりさせておきます。
怒りなのか哀れみなのか、恐れなのか、それとは真逆の喜びなのか、優越感、あるいは期待感なのか──。
いずれにせよ、聞き手がどういう感情になれば、あなたが設定したゴールに向かってより積極的に、主体的に望ましい行動を起こしてくれるのかを明らかにする必要があります。あとは、その感情を高めていくようなテクニックを使っていくだけです。
実はこのようなテクニックは、これまでも歴史上多くのリーダーが使ってきたものでもあります。あなたもきっとどこかで耳にしたことがあるはずです。
有名な米国公民権運動におけるキング牧師のスピーチや、アメリカのオバマ前大統領の大統領選での勝利宣言スピーチは、その典型的なものだと言えます。
ご存じのように、キング牧師のスピーチでは「I have a dream」、オバマ前大統領のスピーチでは「Yes We Can」というフレーズが何度も何度も繰り返されました。
つまり、キング牧師やオバマ元大統領が聞き手に抱かせようとしたのは、「Dream(夢)」や「We Can(可能)」といった希望に満ちた感情だったのです。
事実、彼らがこのフレーズを口にする度に聴衆は大いに沸きました。
そのスピーチを聞いている聴衆は心の中で「I have a dream」、そして、「Yes We Can」という感情をどんどん高めていったのです。
彼らのスピーチは、そこにいた聴衆だけではなく、テレビを通して観ていた何十万という国民の感情も、さらには、時を超え、ネットなどを通じてそのスピーチにふれた人たちの感情まで揺さぶりました。
人種差別による貧困や格差に苦しみ、怒りや悲しみを募らせていた人々が、「I have adream」「Yes We Can」というキーワードのもと、希望に満ちた〈共感(エトス)〉によって一体化していく様子は、当時の映像などを見ても伝わってきます。
これらはすべて、〈共感〉を得るためのシンプルかつ強力なテクニックの効果です。
聞き手が多ければ多いほど、また属性や文化、価値観などが多様であれば多様であるほど、人々の感情を一つにまとめるためには誰でもわかる簡単で短いキャッチフレーズを使う必要があります。
また、「I have a dream」や「Yes We Can」といったキーワードは、前向きな感情を刺激する手法ですが、ネガティブキャンペーンやデモなどでは逆に、怒りや不安といったマイナスの感情を高めるテクニックがよく使われます。
どちらの場合も、聞き手に、意図する感情を抱かせることができれば、スピーチは成功に近づくのです。
実は、こうしたテクニックはスピーチだけで使われるものではありません。
テレビや雑誌、インターネット、広告、歌詞、さらには誰かのひと言によっても、私たちの感情は気付かぬうちに、発信した側が意図した方向に導かれています。情報にふれている限り、あるいは誰かと会って話している限り、それを避けるのはたやすいことではありません。〈共感〉のテクニックから無縁の環境で過ごそうとすれば、山奥にこもり誰にも会わないようにする以外に方法はないくらいです。
しかし、そのようなテクニックがあるという知識さえもっていれば、その情報がもつ真の目的に気づくことができます。そうすれば、少なくともそれに対して無防備でいることは避けられるでしょう。
そういう意味でも、聞き手の〈共感〉を獲得するテクニックについて学んでおくことは、非常に重要だと思います。
エモーショナルでなければ聞き手の感情は動かせない
論理的に、抜け目なく完璧に説明すれば、人を説得できる。
まだまだ、そう信じている人は多くいます。
日本においては長きにわたり、ことビジネスのスピーチにおいては、論理的であることが何よりも重要だという風潮が根強くありました。
その傾向は頭の良い人ほど強く、「これほど完璧に話しているのだから、自分の話が相手に通じないはずはない」と信じ、聞き手を無視し、延々と誰にも通じない話を展開しています。
もちろん、論理的であることは、人を説得する上で絶対に欠かせない要素です。
でも、それだけでは足りないのです。
スピーチの目的は完璧な説明を披露することでも、難しい言葉を羅列して優秀そうに見せることでもありません。
あくまで、聞き手の共感を得て、あなたが望む結果へと導くことなのです。
そして、聞き手の感情を動かすものもまた、スピーカーの感情です。つまり、〈共感〉を得るには、エモーショナルなスピーチである必要があります。
エモーショナルなスピーチという言葉は、スティーブ・ジョブスによって一時流行しました。
聴衆の感情を盛り上げ、自分の世界にぐいぐいと引き込んでいく彼のスピーチに衝撃を受け、彼のようなエモーショナルなスピーチがしたい!という人が徐々に増えてきたのです。
ただし、エモーショナルなスピーチとは、感情的に話すことではありません、あくまでも聞き手をエモーショナルにするスピーチのことです。
スティーブ・ジョブズのスピーチを思い出してみてください。
彼は表情豊かに感情を露わにしながら語っているでしょうか?
答えはNo です。彼の語りはむしろクールで、話し方だけ見れば、〝エモーショナル〟とは対極のタイプです。
意外に感じるかもしれませんが、それこそが〈共感〉の効果を高める秘訣なのです。
実は、スピーカーのほうがあまりにも感情を高ぶらせてしまうと、聞き手には話し手個人の感情だけが伝わってしまい、スピーチの内容への〈共感〉にまで至りません。
例えば、テレビのアナウンサーがボロボロ泣いて悲しいニュースを読んでいたのでは、視聴者にはアナウンサー個人の感情ばかりが伝わって、ニュースの悲惨さへの〈共感〉は生まれにくくなってしまいます。それはニュースを伝える者としては致命的なミスです。主観を込めすぎないのは情報を伝える上での鉄則です。
スピーチの場合も同様で、スピーカーが自分の感情を必要以上に前面に押し出して、その感情を押し付けてしまうと、逆効果となってしまう場合もあります。
必要なのは、スピーカーが感情にまかせてスピーチするのではなく、聞き手の感情、つまり〈共感〉を引き出すための技術です。
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