本記事は、野村絵理奈氏の著書『THE SPEECH 人を動かす話し方』(ポプラ社)の中から一部を抜粋・編集しています
聞き手の〈共感〉を得ることでプレゼンは成功する
「I have a dream」「Yes We Can」のように短いキーワードを何度も繰り返すことで徐々に聞き手の感情を高める方法以外にも、さまざまな聞き手の心を惹きつけるテクニックがあります。
スピーチにある要素を入れて、聞き手を一気に惹きつける〝ツカミ〟と呼ばれるテクニックもその一つで、その多くは、スピーチの冒頭で用いられます。
冒頭からいきなり、となると、使うのには勇気がいるかもしれません。
事実、最初のひと言を発する時がスピーチで最も緊張する瞬間です。
さらには、あなたのスピーチが聞くに値するスピーチなのかを聞き手が判断する瞬間でもあります。
冒頭はスピーチのファーストインプレッションです。人の印象と同じく、スピーチの印象を決定するのもまた、出だしのひと言なのです。
その瞬間に、堂々と自信をもって、人を惹きつけるひと言から始めるのは、たとえ上級者でも勇気を要します。
そういった挑戦を避けるため、日本人のスピーチは多くの場合、決まり文句やありきたりの挨拶などで始まります。
しかり、ありきたりの挨拶や長く無意味な前置きは、あなたの心を落ち着かせる効果があったとしても、冒頭の大切なインパクトを台無しにしてしまいます。
もちろん、改まった式典などでは挨拶や前置きが必要な場合もあるでしょうが、その場合もできるだけ無駄な言葉はカットしましょう。
冒頭の無駄をなくし、ツカミを使いこなせるようになれば、あなたのスピーチはワンランクアップするはずです。
リーダーズ・スピーチ 実例 冒頭で観客の心を一気に引きつけたスピーチ
〈2007年1月スティーブ・ジョブズiPhone 製品発表でのスピーチより一部引用〉
ここでは、プレゼンの天才と言われるスティーブ・ジョブズの例を参考にしながら、ツカミのテクニックを詳しく見ていきましょう。
2007年1月9日、Apple 社は初代iPhone の発売を発表しました。照明が落とされたサンフランシスコのモスコーンセンターの壇上のスクリーンに白いアップル社のロゴマークだけが神秘的に映し出される中、黒いTシャツにジーンズという姿で現れ、ゆっくりと舞台の端まで歩みを進めた、当時の最高経営責任者(CEO)のスティーブ・ジョブズが、冒頭で発し、それによって聴衆の拍手と喝采を浴びたのがこのひと言です。
2年半、この日を待ち続けていました。
「本日はお越しいただきありがとうございます」といった挨拶も、「今から、我が社の新商品をご紹介します」という前置きも全てカットし、「2年半待ち続けてきたことが、今、目の前で始まる」という、スティーブ・ジョブズの心況からプレゼンは始まりました。スマートフォンという歴史的な商品の幕開けを効果的な冒頭のツカミの言葉に凝縮したのです。
それによって「いまここで何かが始まる」という聴衆のワクワク感や期待感は一気に高まります。
もうこの時点ですでに、スティーブ・ジョブズは、彼が意図した共感を観衆に抱かせることに成功しています。
つまり、彼は冒頭のたったひと言で、会場全体のワクワク感という〈共感〉を手に入れ、会場全体を一つにしたのです。
数年に一度、すべてを変えてしまう新製品があらわれる。 それを一度でも経験できれば十分幸運といえるのですが── アップルは幾度かそのような機会に恵まれました。 1984年、Mac を発表。PC業界全体を変えてしまった。(拍手) 2001年、初代iPod 。(拍手) 音楽の聴き方だけでなく、音楽業界全体を変えた。 本日、革命的な新製品を3つ発表します。(拍手) 1つめ、ワイド画面タッチ操作の「iPod」。(拍手喝采) 2つめ、「革新的携帯電話」。(さらに拍手喝采) 3つめ、「画期的ネット通信機器」。(拍手) 3つです。 ワイド画面のタッチ操作iPod 、革新的携帯電話、画期的ネット通信機器。 iPod 、電話、ネット通信機器。 iPod 、電話……(笑いと拍手) おわかりですね? 独立した3つの機器ではなく、ひとつなのです。(盛り上がる観客) 名前は、iPhone 。 本日、アップルが電話を再発明します。 これです……。(ここで、iPhone らしからぬ商品が映し出され、笑いが起こる) 冗談です。 一応ここに実物があるけど、 まずは、スマートフォンとは何かについて話しましょう。
エンターテインメントの域に達していると言っても過言ではないスティーブ・ジョブズのプレゼンテーションは、iPhone という舞台上の主役に最大限のスポットライトを浴びせています。
期待感、ワクワク感が最高潮に達したところで本題に入るわけですから、観衆の心を大きく揺さぶり、それを手に入れたいと熱望させるのは、もはや必然です。
iPhone の発売日に世界中のアップルストアで長蛇の列ができたことは、それだけ多くの人がジョブズのこの見事なプレゼンによって、まだ見たこともないiPhone を手に入れたいという衝動にかられ、実際に行動を起こしたことを証明しています。
世界中に熱狂的なApple ファンを生み出したのは、人々の心をつかむスティーブ・ジョブズの卓越したプレゼン能力による部分が相当に大きかったことは言うまでもありません。
ジョブズ以降、IT業界では「目に見えないもの」「手に取れないもの」を言葉で説明するプレゼンテクニックが、必須のビジネススキルと言われるようになりました。
ITのようないわば無形商材は、そのスペックや機能を事細かに説明したところで、それが直接目には見えるわけではないので、消費者はあまりピンときません。論理的にすべてを説明したところでよくわからないのです。
さらに、無形商材の場合は、有形商材と違って、実際に手に取ってみることができなかったり、一定期間、実際に使用してみないと効果が分からなかったりする商品がほとんどです。
商品自体の説明をしてもすべては伝わらない、実際に使ってみることもできないとなると、どうすれば顧客の購買意欲を高められるのでしょうか。
顧客が商品を使うことで、どんなメリットが得られるのかを、データなどを用いて説明することは、誰でもするでしょう。
でも、それは〝頭の会話〟です。
説得するには、〝心の会話〟、つまり理屈ではなく、直感的に心で良いと感じられるような方法で伝え、共感を引き出す必要があります。
顧客がその商品を実際に使ってみての使用感や、手に入れた時の幸福感、その商品によって目的が達成された時の達成感など、顧客の感情にフォーカスするのです。
その商品を実際に手に入れたあとのような安心感やワクワク感を先んじて抱かせるようなプレゼンをすると、聞き手はその商品に興味を抱き、それを手に入れたらどんなに良いだろうという期待を膨らませ、すぐにそれを使ってみたいという衝動に駆られます。
また、スティーブ・ジョブズのように、商品の価値を強調することも欠かせません。この時のプレゼンでは、iPhone について、「Mac やiPod という今までの製品を、すべて変えてしまうような素晴らしい製品」だと、自ら紹介しています。
聞き手は、「そのような画期的な製品を手に入れることで、毎日が楽しくなりそうだ」とワクワクするような日常を想像します。
聞き手の購買意欲を高めるためには、難しいiPhone の製品説明を完璧に繰り広げるよりも、聞き手の〈共感〉を引き出す方が効果的であることをプレゼンの天才スティーブ・ジョブズは知っていたはずです。
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