2021年度の下半期が始まっても市場を取り巻く環境は落ち着かない。メディア等が取り沙汰するネガティブな材料、そして悲観論のスパイラルは、実に最近の日本の歪んだポピュリズム文化を象徴しているかに見える。批判的、攻撃的、悲観的と三拍子が揃っている。たとえば中国の大手不動産デベロッパーである「中国恒大集団」のデフォルト不安に触れて中国版リーマン・ショック発生の可能性を唱える人がいるかと思えば、天然ガス価格の急騰から欧州エネルギー危機(クライシス)を懸念する声もある。そもそも米国にはテーパリングや利上げ開始時期の予想(英文ではFRB声明もパウエル議長も断定的な表現は一切使っていないが、何故か日本では時期まで断定して報じているものがある)など、久しく株式市場にはネガティブな話題が燻っており、それらは正に火に注ぐ油のようだ。国内は国内で、新しい首相が漕ぎ出す前から新政権に対するバッシングと先行き悲観論が渦巻いている。新大統領就任から100日間はメディアとのハネムーン期間とする米国とは大きな違いだ。
「セルサイド」と「バイサイド」で溜息の中身が違う?
このような状況下、日経平均株価は9月24日の終値3万248円から8営業日続落する場面も見られた。この間の下落率は約9%、値幅にして2720円の下落である。同期間のNYダウの下落率は約1%でしかない。本稿公開時にはきっと何らかの状況変化はあるだろうし、市場見通しなどを論じることが本稿の趣旨ではないのでこれ以上は踏み込まないが、こういう時、市場関係者の多くが大きな溜息を漏らすものだ。
だが溜息といっても、実は「セルサイド」と「バイサイド」でその中身は少々異なる。一般的に「セルサイド」の人達の溜息は「(これから)何をどう提案したら良いのか分からない」という意味であり、一方の「バイサイド」の人達は「今日も(担当する運用ファンドの)純資産総額が減ってしまった」というパフォーマンス悪化に対する溜息だからだ。従って「バイサイド」のそれは個人投資家の溜息と基本的に同じ性質のものだが、「セルサイド」の溜息の半分は「この先、どうやって手数料を稼ごうか」という意味を含んでいる。
基本的に現物株取引は株価が上昇しないと儲からない。信用取引や先物取引ならば売りで仕掛けることもできるので株価下落でも利益を挙げることは可能であるが、どちらも取引開始までには何段ものハードルがある。ならば債券はと言えば、満期償還まで保有してもらう前提ならば購入時に確定した利回りは発行体がデフォルトしない限り獲得することができるが、日本国債なら10年で約0.07%前後、為替リスクを前提とした米国10年国債でも約1.60%の利回りにしかならない。更に悪いことには(今まさにそれが市場の大きな話題のひとつでもあるが)コロナ禍に取られた超金融緩和政策を終了させ、金利を上昇させる方向に中央銀行が向いている。基本的に債券も金利上昇局面では値下がりすることを考えれば、この超低金利の状態で資金を固定化するような運用提案は、お客様にとっても、プライベートバンカー(以下、バンカー)にとっても「Lose-Lose」の提案となりかねない。